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散策

『三国志』再び 横山光輝 十五巻

三国志』このあたりからやっと劉備玄徳が本格的に活躍し始める、と言っていいのではないか。

通常のマンガの構成としてはとんでもない。

とはいえここからの玄徳の活躍はそれを越えるとんでもなさだ。どうしてそういう構成なのかはこの巻を読めばわかるといえよう。

 

 

ネタバレしまうのでご注意を。

 

曹操と玄徳が馬車に隣り合って座っている貴重なショット。

ふたりは皇帝に謁見する。その際皇帝は劉備が自分の一族であると知り「玄徳よ。これからも朕の力になってくれ」と親しく話しかけられた。

 

曹操の側近は玄徳が力を持っていくのではないかと危ぶむが曹操は意に介さずそれよりも狩りを催して人々の心を計りたいと画策する。

狩りの中で曹操は帝の弓矢を取り上げて鹿を射る。帝の矢が鹿に刺さっているのを見て「帝が鹿を射止められました」と家来が呼ばわるのを一喝して曹操は「その鹿を射たのは余じゃ」と声をあげる。

帝は言葉もなく皆も何も言えない。

関羽は刀の柄に手をかける。それを見た玄徳は関羽の前に袖を払い曹操の腕前を褒めたたえた。

 

玄徳は関羽の行動を諫めたが関羽もまた玄徳が自分を止めたことに疑問を感じていたのだ。

が玄徳は諄々と説得し関羽の疑惑を解き明かした。

 

一方皇帝は狩場での曹操の態度に深く悩んでいた。漢室の歴史が自分の代で途絶えてしまうかもしれない恐れが帝を鬱々と苦しめたのだ。

后の父にも勧められ帝は密詔をしたため玉帯にそれを仕込む。

 

かつて帝が長安から洛陽へ逃げ延びた折にも活躍した董承は高齢ではあったが忠義の士でもあった。

帝は董承を呼び密詔を仕込んだ玉帯を授けた。

 

ここから董承はこの玉帯の中に密詔があるのを見つけ出し友人をはじめ志を同じくする者たちによる血判状を作っていく。

六名となってもう少し同志を集めたいと公家百官の名簿を見ていくうちに董承は劉備玄徳の名に目が留まる。

董承は玄徳にも帝の密詔を見せ、彼は血判状の七人目に連なった。

この一部始終を聞いていたのが

関羽張飛であった。

この様子を見て董承は羨ましいと思う。このように濃く深く結ばれていれば必ず大事は成功すると感じた。

 

この後玄徳はひとり百姓仕事に精を出す。

関羽張飛は嫌がるが玄徳は淡々と畑を耕すばかりだった。

 

ここからあの名場面。雷天下での曹操・玄徳の英雄談議となる。

曹操は雷に驚いて隠れた玄徳を見くびるようになる。

玄徳は弟たちに(デカい弟だな)自分がいかに曹操の前で愚かさを演じて安心させているかを説明する。

 

しかし曹操の近くにいることで玄徳は公孫瓚が滅んだ話を聞くことになり運命のはかなさを思い知る。

そして曹操に一軍を貸してほしいと頼み徐州へ向かう。

これを聞いた董承は慌てて後を追うが玄徳から「都を離れた方が自由に行動できるのです」という答えられよりいっそう玄徳の風格を感じたのだった。

 

この後またまた「ぎゃっ」となる話が。

前々回荀彧と郭嘉でぎゃあぎゃあ書いていたが「郭嘉」と呼ばれる男がここで登場したのだった。

うむう。前に長々と説明した「郭嘉のセリフをいう男」は「郭嘉」とは呼ばれていなかったので本作品では誰なのかわからない。

むむむ。もはや何なのか私にはわからない。

 

さてともかくも曹操の一軍を借り袁術討伐のため徐州へと到着した。

徐州は玄徳の領地であり徐州の城には曹操の部下が玄徳の留守番をしている形になっていた。

袁術は淮南の住民に重税をかけて苦しめていた。それがため淮南では人々が餓死し逃げ出していく者が絶えなかった。

さすがの袁術も困り果て兄の袁紹に助けを求めた。袁紹は河北に来るならば面倒は見てやろうと答えてきた。袁術が持つ玉璽が目的なのだ。

袁術は淮南を捨て河北に移動し始めた。

膨大な財宝を乗せた車を連ねた大行列が動き出す。

 

この報を聞いた玄徳は五万の兵を率いて出陣した。

が同時に財宝を狙う山賊も出現した。

昼は玄徳軍に襲われ夜は山賊に襲われ袁術の大行列はいつしか散り散りばらばらとなっていく。

季節は六月、最も暑い時期であった。

水を求め食糧もなくなり袁術に付き従った人々は次々と倒れていった。

そして袁術自身もただひとりの従者と共に彷徨い百姓家にたどり着く。

が、「袁術だ」と名乗ったために百姓は水瓶を倒してしまった。今まで重税を搾り取られた百姓からは水の一杯ももらえることはなかったのだ。

袁術は血を吐いて死んだ。

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十三巻後半から十四巻

女子がちょっぴりだけとはいえ描かれている珍しい横山『三国志』表紙絵。

呂布とその娘だけど。呂布の危機を描いた名場面(?)とも言える。

 

 

 


ネタバレしますのでご注意を。

 

呂布軍に襲われ玄徳は逃げ延びたが行方知れず、小沛城は奪われてしまった。

 

ひとり逃走し彷徨う玄徳は近くの村の男から「小沛の玄徳様ではございませぬか」と問われる。男は続けて「玄徳様は民百姓にとても思いやりがございました。こんな時こそふだんの御恩返しがしたいと村の者も語っております」というのだ。

しかし玄徳は自分はそうではないと否定した。

男は自分の持つ食べ物を玄徳に渡す。玄徳はありがたく受け取り立ち去った。

それからも玄徳が行く先々に食糧の入った包みが置かれる。それに玄徳は勇気づけられるのだった。

 

そしてついに玄徳は曹操軍の旗を見つける。曹操だと知って喜んで駆け付けるという珍しい場面だな。

キャンドルもあってロマンチックな場面なのに曹操の思いやりでこの後すぐに別室に行くのが残念なり。

 

それより曹操様の到着で大喜びする夏侯惇がかわいい。

この横山先生独特の走りかた名前あるのだろうか。横走り?

眼が痛いだろうに曹操様へのご挨拶を気にする夏侯惇

 

これだけで救われる。よかったね夏侯惇呂布の報告をして

やはり曹操は頼もしいや。

 

この後曹操軍は呂布に味方する山賊三万が立てこもる泰山を越えねばならない。そこで曹操は許褚に山賊討伐を命じる。

左下のコマ、こ、これはさすがに台詞書き忘れでは??せめて描き文字で「進めーっ」とかも少し「山賊どもなどひとひねりだーっ」とか言ってそうなんだけど。

なにせ次のコマは

ってめっちゃ盛り上がってるんだし。

横山許褚、小柄すぎなんだけど私は凄く好きで前にも書いたけど許褚見たくて再読してる。

なのでここは重要。

しかし許褚の戦い方は両側が崖になっている細い山道は全速で駆け抜ける、という極めてシンプルなものだった。

しかし山賊の仕掛けた岩落とし通り過ぎてから落ちて来るんだもんなあ。

 

山賊が守る泰山が突破されたと聞き呂布はついに自ら小沛へ討って出る決意をする。

徐州城の留守居は陳珪老人に託した。

 

これで陳父子の計画は着実に進むことになる。

陳登はさらに呂布に妻子と金銀兵糧を下邳城へと移すように提言し呂布はこれに賛同した。

蕭関へ急ごうとする呂布に再び陳登は進言をする。「まず私が様子を調べてきます」

陳登は蕭関へ走り「曹操様はあなた方を疑っているので救援にはこない」という嘘をつく。驚いた陳宮らは陳登に曹操様を説得して欲しいと願った。

陳登はさらに呂布に「やはり彼らは謀叛者でした」と虚偽を伝え呂布の怒りを掻き立てる。

 

さあ呂布の地獄の時間が始まる。ていうか呂布ってずっと地獄にいる気がする。

最強の男であり女性を大切にする思いやりがあり和睦をさせる機智もある長所を持ちながらなぜこんな惨めな道を歩むのだろう。

 

呂布は陳登の策略にまんまとはまり蕭関の城を曹操軍をして奪い取られてしまう。やむなく徐州城へ戻った呂布は今度は陳珪老人によって門を閉ざされる。

陳珪は「この城の主は前城主陶謙様が譲られた玄徳殿だ」と明言した。

呂布は怒るが陳宮たちは呂布を抑え小沛に行くことを勧めた。呂布もそうするしかなかった。

しかし陳登はそこへも先回りし小沛城を守る張遼・高順を騙して出陣させこれもまんまと奪い取ってしまったのだ。

呂布は怒り狂う

がここで現れたのは関羽張飛率いる玄徳軍だった。

張飛呂布の首を取らんと息巻く。呂布もこれを受けて立ったが関羽までが現れたのを見て赤兎馬の足に任せて逃走した。

さすがのふたりも赤兎馬には追い付けなかった。

 

曹操は夜酒宴を設けて皆を労った。

玄徳は関羽張飛との再会を喜んだ。

いいねえ。

翌日から曹操呂布のいる下邳城を完全に取り囲んで孤立させる。さらに自ら戦争を中止しないかと説得に行く。

曹操軍も決して安穏とできる状態ではなかったのだ。

呂布曹操の和睦交渉に気が移るが側近の陳宮はこれを固辞し曹操に向かって矢を射った。

(ところでこの陳宮ってかつて曹操と仲間だったあの人だよね)

怒って総攻撃を号令する曹操呂布は慌てた。曹操の前で内輪もめを始めたのだ。

 

呂布軍はこれ以降ますます内部分裂していく。

それもこれも呂布という男の気の弱さから生じたものだ。呂布はやむなく愛娘を袁術に届けようと自ら娘を背負って曹操・玄徳軍の中を突破しようとするが果たせず戻る。そしてじれったさに酔いつぶれ酔った自分の哀れさに今度は禁酒を命じる。疲れ切った兵たちと呂布を励まそうとして猪肉と酒を用意した武将に呂布は激怒し鞭打ちに処する。

心遣いを無下にされ鞭打たれた武将は涙し曹操軍に寝返る。

これですべてが終わった。

アイパッチ夏侯惇、かっこいー。


疲れ切った呂布は眠っている間に捕縛され曹操の前に引き出された。

 

呂布はこの場に及んでも「このわしを自分の部下として使ってみる気はないか」と問う。

こうして呂布は最期を迎えた。

裏切りの人生を送った呂布は家来の裏切りによってその幕を閉じたのである。

 

しかし呂布物語が面白いのは確か。

赤兎馬という名馬に乗るのも圧倒的な英雄を感じさせる。

貂蝉との物語、玄徳の好意を無下にする物語など話題の多い男であった。

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十三巻 前半

三国志』再読なんでざっとやろうと思っているのにどうしても一巻ペースになってしまうのですよ。どうしても書きたいことがあるのだな。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

冒頭、あの有名な曹操の「この先に梅の実があるぞ」事件が描かれる。

張繍荊州劉表が組んで怪しい気配があると聞き曹操南陽へと向かう。

季節は5月から6月。最も暑い季節なのだ。

河南の伏牛山脈の道は険しく兵士たちは倒れ水を求めた。

そんな兵士たちに曹操は「皆の者、もう少しのしんぼうだ。この山を越えると梅の林がある」と呼びかける。兵士たちは「梅の実が食える」と言い合った。すっぱい梅の味を想像し口の中に唾をわかせいつしか喉の渇きを忘れたのだ。

 

それでいいのかなあとは思う。

 

とはいえ曹操の機転で難行軍を進め南陽の宛城へと迫った。

曹操はカッコいいんだけど

しかしこの戦争は曹操にとって多くの犠牲者を出しただけの戦いとなってしまう。

宛城での搦手を狙った作戦は上手くいかず五万の犠牲者を出し逃走した曹操軍を待ち構えていたのは荊州劉表軍と張繍軍の連合軍だった。

それでも曹操は挫けず兵士たちの身を隠させ人数を少なく見せて敵を安堵させ一気に総攻撃をかける奇策で目的だった張繍の首を取る寸前まで進むがここで急使が届く。

ホレボレ

冀州袁紹曹操の国を狙って大動員を発令したというのだ。

こうして曹操軍は都へと引き返したのだった。

 

曹操が都に戻ると袁紹軍の動きは止まり都攻撃は頓挫した。

曹操は安堵する一方「余の天下統一まだまだ遠いか」との思いもつのる。

 

この後「横山三国志の荀彧問題」が現れる。

 

荀彧というと「二虎競食の計」「駆虎吞狼の計」で有名で本作でもそこが描かれていたがその時の人物が荀彧とすればこの後に出ていて曹操から「荀彧か」と呼ばれる男の顔がまったく違うのだ。

(十巻より。名前は出てこない)

(本巻。「荀彧か」と呼ばれる)

「二虎競食」は荀彧に決まっているので名記載なしでも荀彧だ。なのに後々「荀彧か」と呼ばれる男の顔がなんともひょうきんだ、というのであちこちで「横山三国志では荀彧が前と後で顔が違う」と書かれているのだ。

これはいったいどうしてなんだろうか。

 

この「荀彧」呼ばれ男の直前に郭嘉の言葉を言う男が登場する。郭嘉、と書いたが本作品のここでは名前は出てこない。

 

そして十巻に登場した「二虎競食の計」男とほぼ同じ顔(より険しくなってるが)なのも気になる。彼は荀彧なのか郭嘉なのか。

荀彧の言葉を言った男が後に郭嘉の文言を話している。そしてその後に「荀彧か」と呼ばれる男が登場する。

 

つまり荀彧の顔が変わってしまった、というより「荀彧のセリフを言った男が後で郭嘉のセリフを言ってその後「荀彧か」と曹操に呼ばれる別の男が登場する」のである。

 

私が思うには「荀彧と郭嘉を混ぜて一人のキャラクターにして名前を付けず、その後に荀彧という男が登場した」のだろう。

なぜそうなってしまったのか、と結局よくわからない。

 

荀彧問題で手こずった。今回一巻ペースどころじゃない。それでも急いで書いたので破綻しているかもしれない。

 

さて呂布は仲間と思っていた玄徳が曹操と手を組んで自分を討とうとしていると知り怒る。どうするものかと悩んでいる時に愛娘の歌声を聞く。

にんまりする呂布。良いお父さんではあるのだよな。

呂布はただひとりの愛娘を袁術の息子に嫁がせ同盟を結びたいと考える。しかしその返事は「まず姫を先に寄こすように」つまり呂布の娘を人質にするというものだった。

呂布は怒り自分の力で玄徳と曹操両軍に勝つと決意する。

 

曹操は玄徳と組んでのたくらみが呂布にばれたと知り夏侯惇を援軍として出陣させる。

その間にも呂布は玄徳のいる小城を攻め立てていた。しかし曹操の出した夏侯惇軍は早かった。呂布も玄徳のいる小城は後にして夏侯惇へと軍を向ける。

ここで夏侯惇は左目を射られてしまう。これ以降の夏侯惇のアイパッチ姿は印象的だ。

 

玄徳は城を出て戦うがこれに気づいた呂布が向きを変えて攻撃してきたのを知り急ぎ城へと戻る。

関羽張飛は別動隊で玄徳を守れない。

小沛は呂布の手に落ち玄徳の行方は知れなかった。

 

思った通りここまで。

荀彧がーーー。

ま、仕方ない。

玄徳どうなる???

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十二巻

物語が曹操パートに入る。

なにしろずーっと曹操様を観ていられるのですぞ。眼福眼福。曹操は小柄だと言う史実というか記録があるので横山先生も意識しておられるようだけど、どうしても好みのためか(氏は好きなキャラをすらりと描きがち)大きめに描かれているように思えます。とにかく際立つ美形だというのは確か。私は壮年期以降の曹操デザインもとても好きです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

曹操と彼が守護する帝は許昌にいる。その許昌を李傕・郭汜の敗残兵らが狙っていると聞き曹操は討伐軍を考えたが呂布の存在が出陣を迷わせる。都を空にすれば呂布は確実に略奪に動くからだ。

そのため曹操呂布に平東将軍の称号を与えて忠誠を誓わせた。曹操は速攻で南陽宛城へと進軍した。

宛城ではその報がもたらされ戦わずに開城して曹操を受け入れたのだ。だがその心内では曹操討伐の意志が潜んでいた。

 

曹操はこの城で胡弓を引く美しい未亡人を見染めてしまう。名は鄒氏。城主張繍の縁続きの張済の妻だった。

曹操は鄒氏に胡弓を弾かせ酒を飲みすっかり心を奪われてしまう。

張繍はその様子に付け入った。今なら兵を動かしても事は容易いだろう。気になるのは曹操の護衛典韋だけだった。

典韋をおだて酒を飲ませて酔いつぶれさせ武器を奪い取った上で火事を起こした。曹操は鄒氏と優雅なひとときを過ごしていたが火事に気付き「典韋典韋」と呼ばわった。

 

酔いつぶれて眠っていた典韋も火事の煙で目ざめる周囲は燃え盛っている。武器を探したが無い。典韋はそのまま外へ出た。そこには敵兵が集まっていた。

 

典韋の「絶対に曹操様をお守りする」という覚悟に痺れる。

武器の無い典韋はやむなく全身に矢を浴び矢ぶすまとなって立ち往生を遂げる。

曹操はひとり逃げおおせたが背後から矢傷を負い川に身を投げ「もうこれまでか」というところで味方の兵らに出くわした。

典韋が針鼠のようになって死んだことを聞かされた曹操は自分が酒と女にうつつを抜かしている間に忠義の家来を失ったと嘆き悲しんだが

 

この後、曹操は死んだ徐州の太守陶謙の家臣だった陳登父子と手を結ぶ。

陳父子は徐州の太守となってしまった呂布に大きな不満を持っていた。特に父の陳珪は明晰な頭脳を持ち話術を心得ていた。

謀叛を感じて召し捕り首を刎ねようとする呂布の前で落ち着き払って論破する胆力を持っている。

袁術が徐州に攻め入った際にも単身羊一頭だけを連れて敵陣に入り込み韓将軍とさしで話し合いここでも論破してしまう。韓将軍は陳珪老人の口車に乗ってしまった。

 

呂布のいる城に袁術軍が攻めてきた。だが袁術軍は呂布の目の前で同士討ちを始めたのだ。

呂布は陳珪に「敵が反乱を起こすよう御前にその任務を与える」と命じたのを思い出した。呂布軍は打って出、袁術軍に立ち向かった。

そこに現れたのが関羽率いる豫洲軍だった。

関羽の登場で袁術軍は逃走し始める。

 

呂布関羽に感謝し城で祝杯を上げ申そうと招待するが

ひえーこの関羽、めちゃくちゃかっこいいんですが。なぜこんなカッコいい顔が描けるのか意味がわからない。

 

呂布はすっかり気を良くし陳珪登父子を褒めちぎった。味方となった韓将軍たちをどうしようかと問うと陳珪は「山東に置いて地盤を固めさせた方がよろしかろうと」と答える。

この返事に疑問を持った息子に陳珪は「あの将軍たちは性根が卑しい。そういう人物を呂布の側においとけば呂布暗殺の邪魔になる」と答えた。

 

袁術孫策から与かった玉璽を自分のものとしてすっかり皇帝と称していた。その皇帝が思うように呂布を討伐できずにいる。袁術は苛立ち孫策に使者を出したが孫策は「その首を討つ」という返事をかえす。

その孫策に朝廷から「会稽の太守に任命」という旨と「勝手に皇帝を名乗る袁術を討て」という言葉を賜る。孫策はこれを引き受けた。

部下は孫策に「先頭に立って戦わず曹操の援軍をするという形をとってください」という助言をした。

 

袁術のいる淮南は水害に襲われていた。農作物が全滅となり食糧難を案じなければならない。そこへ曹操・玄徳・呂布軍が三十万の兵となって襲ってきた。そこへ孫策軍までが加わったのだ。

 

曹操軍もまた予定になかった水害で食糧不足に困窮していた。やむなく曹操は食糧総官の王垢の首を刎ねて皆の不満を落ち着かせるという策を行う。

また曹操の命令に背いた者の首を刎ねて見せしめとした。

さらに自ら死体の山を踏み越えて城壁にしがみつき兵たちを奮起させた。

曹操はこの戦いの勝利をもぎとった。

 

そして曹操は玄徳に豫洲から小沛に戻ってくれぬかと耳打ちする。

 

曹操呂布暗殺を計画している。

 

今回なんといっても陳珪老人のお手並みに感服しました。人の心を動かす匠の技です。

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十一巻

孫策小覇王と呼ばれるだけあって頼もしい。周瑜との関係も描かれて居たらなあと思ったりもする。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

冒頭、孫策太史慈の一騎打ちで互いに相手への敬意が生じたふたりが主従になっていくまでが描かれる。

孫策は劉繇を討たんとし太史慈は劉繇の家来ではあったがその劉繇の了見の狭さに失望してしまう。

さらに太史慈は劉繇が戦意を失って逃げ落ちてからも古城に立てこもって孫策軍と戦い続けた。孫策太史慈を罠にはめ生け捕る。「早く首を刎ねろ」と言い続ける太史慈を説得し孫策は彼を部下とした。

太史慈は「三日の自由をくだされば優れた大将と兵を三千集めて精兵を作ってみせましょう」と言い出し孫権はこれを信じた。

翌朝太史慈がいなくなったと知った他の部下たちは孫策に呆れたが三日後太史慈は約束どおり三千の精兵を引き連れて戻ってきたのだった。

 

孫策の活躍は留まらず勢力は確実に増大していく。新しい時代の人物となった。

江南・江東八十一州は孫策の治める土地となる。兵は強く土地は肥え文化は栄えた。

小覇王孫策の地位は確固たるものとなったのだ。

 

そして呂布登場。

本作読んでなかった頃は「呂布って最強の戦士で赤兎馬っていう凄い馬に乗ってる」ってことだけは知って「かっこいいなあ」と思っていたのに読んでみると想像と違った。

さて、袁術孫策から「玉璽を返してほしい」と言われる。部下たちは懲らしめるべきと怒りの声をあげるが「その前に北方の憂いを取り除くべき」との声があがる。

「北方の憂い」とは「徐州の呂布と小沛にいる劉備玄徳」のことだった。

特に呂布は国を空けてしまうとここぞと襲ってくる恐れがある。

その呂布を倒すためにまず劉備玄徳を倒さねばならない。袁術はかつて呂布に約束していた莫大な贈り物を今届けた。劉備への攻撃を阻止しないよう封じ込めたつもりだったが呂布にそうした配慮は無駄だった。

呂布袁術からの贈り物は昔の約束として受け取り玄徳は守るつもりだった。自分のために。

玄徳のこのセリフはいくらなんでも間違いだろうなあ。「うむ。招待状だ」で良いはず。しかし玄徳のことだからこれくらい言ってしまいそうな気もしておかしいw

やはり関羽張飛は良い。

そしてこの一幕が好き。

そしてこの後の一幕も面白い。

呂布は玄徳だけでなく袁術軍の総指揮者紀霊将軍も招待していた。

敵対する両軍を一堂に招待し呂布は双方の和睦を勧める。

怒る張飛と紀霊将軍の前で呂布は悠然と遠くに槍を突き立たせ

誰もその槍に矢が当たるとは思えなかった。ゆえに紀霊将軍は承知した。

呂布は酒をお替りして飲み干し矢をつがえて射る。その矢は見事に槍に命中したのだ。

呂布の機転で両者の和睦が成立してしまった。

紀霊将軍が呂布に機智に驚くが私も驚いた。

 

呂布の素晴らしいと言えるこの采配を張飛だけは納得できなかった。

張飛呂布の部下が買い求めた馬を盗み出したのだ。

呂布は怒りすぐさま玄徳のいる小沛へ出陣した。やはり呂布呂布であるとしか言えない。

玄徳は突然の呂布の攻撃に驚く。「なぜ」と問うと呂布は「張飛にわしの軍馬を盗ませたではないか」と答える。この答えに張飛は「当然のことをしたまで」と言い放つ。

ここであっさり潔く戦おうと言い出す玄徳アニキ。張飛の嬉しそうな顔。

しかし関羽は玄徳を止め「張飛とふたりで呂布軍をくい止めますので許昌に落ちのびてくだされ」というのだ。

許昌。どうしてここで曹操の国が出て来たんだろう。帝がいるからなのか。

とにかく関羽はここで玄徳を曹操の胸元へと送り出すのだ。

運命か。

それともなるべくしてなったものなのか。

 

関羽張飛はここぞと暴れまわり呂布軍をなぎ倒していくが呂布自身には届かずそのまま玄徳が向かった許昌へと追いかけた。

 

許昌へ落ちのびた玄徳一行を曹操は歓迎する。

曹操✖玄徳として『三国志』を読む者にとってこの再会ほど嬉しいものはないがふたりの逢瀬はあっというまに終わる。

玄徳を除くべきという部下に対し暗殺などもってのほかと進言する部下もいた。

曹操はその意見に賛成し「玄徳に恩を恵むべき」とした。

曹操は玄徳を豫洲の長官に任命し兵三千と米一万石を贈ったのだった。

玄徳は豫洲へ赴任した。

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十巻

張飛よ。しかしこの時が伏線ともなるのだ。

悲しいなあ。

 


ネタバレしますのでご注意を。

 

この巻もとても辛い巻だ(おおよそどれもツライ巻)が演出としてとてもうまい。

「酒を飲むんじゃないぞ」と玄徳に釘を刺されて留守番を任されたのに(しかも自分からすると言い出したヤツ)あっという間に酒を飲み始めしかも酔っ払って文官をぶん殴りそのために呂布に告げ口されて玄徳の留守に張飛達城兵が酔いつぶれているとばらされてしまう。

ここで面白いのはその呂布も「玄徳は俺を優しく迎え入れてくれた男だ」と言いながらもそれを裏切り城と領土を奪ってしまおうと決意してしまうというふたりの豪傑の心の弱さを並べて描いているところだろう。

 

呂布張飛という稀代の戦士がちょっとした誘惑の言葉にうっかり負けてしまう、という巻なのである。

 

その結果張飛は玄徳アニキが勅命を受けての留守番を果たせず憎々しく思っていた呂布に城を奪われ玄徳の母と奥方も城の中に置き去りにしてせめて兄貴たちに謝り自害しようと考えた。

徐州の城で留守番をしているはずの張飛が戦場に現れ驚く玄徳と関羽

わけを話して死のうとする末弟をふたりの兄貴は留める。

「もし今日の事を恥と思うなら生きてその恥をそそげ」

張飛は泣き崩れる。

 

その後呂布軍が袁術にそそのかされ玄徳を討たんと向かってくる。玄徳は「蛟竜が淵に潜むのは時期を待ち点に昇らんがため」とつぶやいて逃げ延びる決意をする。

ところが結局呂布袁術に背を向けられてやむなく「玄徳を味方にするしかない」ことになってしまうのだ。

玄徳の城と領地を奪ったばかりの呂布が手のひらを反して「仲間になろう」と言い出す。

しかし玄徳もまたそれを受け入れるしかなす術がなかったのだ。

 

この経緯はそもそも曹操の(部下の)計略だった。

「二虎競食の計」「駆虎吞狼の計」として呂布と玄徳の仲を裂き互いを食い合わせ己は戦わずに邪魔なふたりを除いてしまおうという計略にはまった呂布と玄徳はなぜか再びくっついてしまう、という奇妙な結果になったのだ。

これも呂布の軽々しさと玄徳の人の好さの表れにも思える。

 

 

ここから孫策の話に移る。

孫堅を落石によって失い孫家一門は今や落ちぶれていた。息子の孫策袁術食客に甘んじる身の上でしかなかった。

しかし孫家を再建したいという念願は消えてはいなかった。孫策はただ一つの持ち物である「玉璽」を袁術に渡すことで兵三千と馬五百頭を借りたのだ。

さらに江東の二賢者を味方にする。

まず孫策は叔父を丹陽の地から追い払った劉繇を攻める。

若干二十一歳の孫策の初戦である。敵は牛渚の要塞に立てこもり圧倒的な力を持っていた。孫策は不利だった。

が何故かこの時敵の中で多数の謀反人が出て要塞内部で殺し合いが起き城門が開かれこの機を逃さず孫策軍はなだれ込んだのだ。

孫策の勝利となった。

そのきっかけとなった要塞内の反乱は地元の湖賊らの仕業だった。彼らはかつて孫堅将軍に縮み上がっていたという。その息子の孫策が軍船を引き連れてくると聞きもう賊はやってられないと決心して孫策の家来となり真人間になろうと話し合ったというのだ。

そこで湖賊の者たちが要塞内部に入り込みあちこちに火をつけて手柄を立てそれを手土産にして孫策の前に現れた、という次第だった。

孫策は父孫堅の威光を感じ彼らを家来とした。

 

戦地は神亭山へと移る。

そこで孫策はひとり山頂で敵陣形を偵察した。それを聞いて飛び出していったのが劉繇の家来太史慈だった。

孫策太史慈の一騎打ちが始まる。

 

 

『三国志』再び 横山光輝 九巻

天下を狙う曹操

 

 


ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

玄徳結婚したことがここでお披露目されて草。普通主人公の結婚って一番華やかな場面となるものじゃないのん?ストーリーに関係なければ主人公でもカットされる。

曹操は玄徳がちゃっかり徐州を領土にしたと聞かされカッとなる。これを部下に諫められまずは自国を取り戻すことにした。よかったよかった。

 

兗州城は呂布の部下たる薛蘭と李封が留守を預かっていたが軍規は乱れたるみきっていた。曹操軍はそこを突け目に攻め込んだのだ。

この頃の許褚の可愛さよ。

ところで横山先生はおおよそ忠実に原作(?)をマンガ化しているように思える。オリジナルキャラみたいなのはほぼないみたいだけどキャラクターの特に外見の改変はいろいろあって一番如実なのは張飛だろう。

張飛というと「虎髭でエラの張った顔立ちの豪傑」と書かれているのでぴんぴんした髭の丸顔で肥えた体躯に描かれがちではないだろうか。

それを横山氏はむしろやせ型の面長で髭もぴんぴんしてはいない容貌に変えてしまった。大胆なキャラ変革だ。しかし今ではこの張飛でなければがっかりしてしまう。

同じく許褚ももともとは肥満型キャラとして表現されているようなのに横山許褚はごらんのとおりすっきりとしたアスリートタイプになっている。横山氏の好みがよくわかる。

あの董卓もひどい肥満体となっていたはずなのに横山版では筋張ったやせ型となる。大体において横山作品では肥満体が活躍しづらいようだ。

逆に際立った美形とされている趙雲が太り気味の体格になっているのもおもしろい。

 

閑話休題

 

許褚はここで初手柄をたて曹操に気に入られる。

兗州城を取り戻し曹操はさらに呂布に迫っていく。ここでも許褚は呂布に一騎打ちを挑むがさしもの許褚も呂布には歯が立たない。呂布、いったい何なのかこの男。

許褚の劣勢を見た悪来は加勢するが呂布はふたりを相手にして子供のようにあしらうのだ。

それを見た曹操呂布ひとりに総攻撃をかけた。

気づいた呂布赤兎馬を駆けさせた。

一日千里を走る名馬には誰も追いつけない。

 

が、ここで呂布に立ち向かう者がいた。

帰城しようとした呂布の前で橋が上げられ城に戻れなかったのだ。

城の主・田氏は呂布よりも曹操が上と見て城を曹操に明け渡すと呂布に明言したのだった。後ろから迫りくる曹操軍に追いつかれるわけにはいかない。呂布はやむなく兵を引き連れ逃げるしかなかった。

 

かなりの兵が逃げ出した。領土を失えばあっという間に部下は離れてしまうのだ。

呂布冀州袁紹を頼ろうと手紙を出すが袁紹は逆に曹操軍と協力して呂布を一気に滅ぼそうと出陣したのだった。

怒り迎え討とうとする呂布を部下が止める。呂布軍は退却するしか道がなかった。

こうして呂布は再び広野を彷徨い続ける流軍となる。

 

呂布軍は毎晩のように兵が逃亡しわずかとなった。

「どこか頼れるところはないか」と問いかける呂布に家来は「徐州の太守となった劉備玄徳を訪ねたら」と言い出す。

呂布は玄徳に手紙を送った。

玄徳のこのなんにも考えていないような顔がいつも笑える。

玄徳は「なにか運命的なものを感じる」とか言って呂布を受け入れると決める。

この時も張飛は嫌な予感がして

パワーちゃんのような張飛。パワーちゃんが張飛のようなのか。

 

思えばこの後張飛は酒が禍してとんでもない失態を見せてしまうのだが、そもそもこの時玄徳が呂布なんぞを助けなければ張飛が死ぬような思いをせずにすんだ、ともいえる。

たらればはないけど考えたら張飛はこの時大反対してるわけで気の毒ではある。

しかし弱った者に手を差し伸べずにはおけないのが玄徳の仁徳なので仕方ないんだよな。張飛こそがその玄徳の仁徳に惚れ込んだわけだからなあ。

 

袁紹のように襲い掛かってくるのじゃないかと恐れていた呂布は玄徳が温かく出迎えてまでくれたことに驚く。しかしその後の呂布を見ればそんな感動は瞬間的なものだった。

張飛に同意。関羽の表情はどっちなの?

 

酒宴を受け喜んだ呂布は「わしのおかげで玄徳殿は徐州を手に入れた」と笑う。

これを聞いた張飛は怒り剣を抜く。(ちゃんと聞いてるねえ)

何度も繰り返されるこの張飛抱きとめポーズ。

確かに張飛を抱きとめられるのは関羽しかいないよな。

 

この頃長安中央政府は再び乱れ始めていた。

董卓の後に指揮権をとった李傕と郭汜二将軍であった。

彼らは董卓以上の悪政を行い私欲を満たしていった。

さらに互いに帝を奪い合い相手を逆賊に仕立てようと考えたのだ。

ついに帝は長安を抜け出し逃走する。

追いかけて来る二将軍の前に側近董承が持ち出した財宝をばらまき兵たちが財宝を奪い合う間に逃げ延びた。

帝は洛陽に戻る。洛陽こそが皇室の歴史だった。

洛陽はすでに廃墟となっていた。が、帝はもうここから移りたくないと言う。董承は「ではここに住みましょう。やがて各地から忠義な男が駆け付けて来ましょう」と申し上げた。

董承のいったとおり帝を慕う者が集まり少しずつ街の再建に取り組みだしたのである。

なんだかいい話だ。ここで終わってもよかったのだがw

もちろん『三国志』はここでは終わらない。てか三国もまだない。

その直後、天下を睨む曹操の姿が描かれる。

天子は曹操に助けを求めてきた。

これこそが曹操が天下に手をかける手がかりとなる。

 

曹操軍は李傕郭汜二将軍を叩きのめした。

この戦いでも許褚は目覚ましい働きを見せる。曹操は今や天子を側に置く最強の軍隊を持つ将軍となった。

しかしその曹操はまだふたりの男のことが気になるという。

呂布劉備玄徳」

そして曹操は都を洛陽から許昌へと移す。洛陽に未練がある帝を説得しての遷都である。帝はもはや曹操に頼るしかなかったのだ。