『三国志』このあたりからやっと劉備玄徳が本格的に活躍し始める、と言っていいのではないか。
通常のマンガの構成としてはとんでもない。
とはいえここからの玄徳の活躍はそれを越えるとんでもなさだ。どうしてそういう構成なのかはこの巻を読めばわかるといえよう。
ネタバレしまうのでご注意を。
曹操と玄徳が馬車に隣り合って座っている貴重なショット。
ふたりは皇帝に謁見する。その際皇帝は劉備が自分の一族であると知り「玄徳よ。これからも朕の力になってくれ」と親しく話しかけられた。
曹操の側近は玄徳が力を持っていくのではないかと危ぶむが曹操は意に介さずそれよりも狩りを催して人々の心を計りたいと画策する。
狩りの中で曹操は帝の弓矢を取り上げて鹿を射る。帝の矢が鹿に刺さっているのを見て「帝が鹿を射止められました」と家来が呼ばわるのを一喝して曹操は「その鹿を射たのは余じゃ」と声をあげる。
帝は言葉もなく皆も何も言えない。
関羽は刀の柄に手をかける。それを見た玄徳は関羽の前に袖を払い曹操の腕前を褒めたたえた。
玄徳は関羽の行動を諫めたが関羽もまた玄徳が自分を止めたことに疑問を感じていたのだ。
が玄徳は諄々と説得し関羽の疑惑を解き明かした。
一方皇帝は狩場での曹操の態度に深く悩んでいた。漢室の歴史が自分の代で途絶えてしまうかもしれない恐れが帝を鬱々と苦しめたのだ。
后の父にも勧められ帝は密詔をしたため玉帯にそれを仕込む。
かつて帝が長安から洛陽へ逃げ延びた折にも活躍した董承は高齢ではあったが忠義の士でもあった。
帝は董承を呼び密詔を仕込んだ玉帯を授けた。
ここから董承はこの玉帯の中に密詔があるのを見つけ出し友人をはじめ志を同じくする者たちによる血判状を作っていく。
六名となってもう少し同志を集めたいと公家百官の名簿を見ていくうちに董承は劉備玄徳の名に目が留まる。
董承は玄徳にも帝の密詔を見せ、彼は血判状の七人目に連なった。
この一部始終を聞いていたのが
この様子を見て董承は羨ましいと思う。このように濃く深く結ばれていれば必ず大事は成功すると感じた。
この後玄徳はひとり百姓仕事に精を出す。
ここからあの名場面。雷天下での曹操・玄徳の英雄談議となる。
曹操は雷に驚いて隠れた玄徳を見くびるようになる。
玄徳は弟たちに(デカい弟だな)自分がいかに曹操の前で愚かさを演じて安心させているかを説明する。
しかし曹操の近くにいることで玄徳は公孫瓚が滅んだ話を聞くことになり運命のはかなさを思い知る。
そして曹操に一軍を貸してほしいと頼み徐州へ向かう。
これを聞いた董承は慌てて後を追うが玄徳から「都を離れた方が自由に行動できるのです」という答えられよりいっそう玄徳の風格を感じたのだった。
この後またまた「ぎゃっ」となる話が。
前々回荀彧と郭嘉でぎゃあぎゃあ書いていたが「郭嘉」と呼ばれる男がここで登場したのだった。
うむう。前に長々と説明した「郭嘉のセリフをいう男」は「郭嘉」とは呼ばれていなかったので本作品では誰なのかわからない。
むむむ。もはや何なのか私にはわからない。
さてともかくも曹操の一軍を借り袁術討伐のため徐州へと到着した。
徐州は玄徳の領地であり徐州の城には曹操の部下が玄徳の留守番をしている形になっていた。
袁術は淮南の住民に重税をかけて苦しめていた。それがため淮南では人々が餓死し逃げ出していく者が絶えなかった。
さすがの袁術も困り果て兄の袁紹に助けを求めた。袁紹は河北に来るならば面倒は見てやろうと答えてきた。袁術が持つ玉璽が目的なのだ。
袁術は淮南を捨て河北に移動し始めた。
膨大な財宝を乗せた車を連ねた大行列が動き出す。
この報を聞いた玄徳は五万の兵を率いて出陣した。
が同時に財宝を狙う山賊も出現した。
昼は玄徳軍に襲われ夜は山賊に襲われ袁術の大行列はいつしか散り散りばらばらとなっていく。
季節は六月、最も暑い時期であった。
水を求め食糧もなくなり袁術に付き従った人々は次々と倒れていった。
そして袁術自身もただひとりの従者と共に彷徨い百姓家にたどり着く。
が、「袁術だ」と名乗ったために百姓は水瓶を倒してしまった。今まで重税を搾り取られた百姓からは水の一杯ももらえることはなかったのだ。
袁術は血を吐いて死んだ。