他の多くの方と同じように私も一度読み始めたら止めることができず無我夢中で読み続けてしまいました。
そして多くの方と同じように私もこの本より5年前に出版された竹宮惠子著『少年の名はジルベール』を当時に読んでいます。
他の方のレビューを見ていると本当に真摯にお二人の作家の著書を読まれ感慨を持たれているのが伝わってきます。そして感想は書けない、どうぞもうこれで誰からもこの話について煩わされることがありませんように、という言葉が多く見受けられました。
そんな中ですが私としては皆さんより少し多めに文章を書いてみようかと思います。やっと一度読み終えたきりですがその状態での感想です。
ネタバレしますのでご注意を。
もちろんこれは萩尾望都作品のファン、というだけの私が書いた妄想にすぎません。彼女の作品が好きでかなり読んできたつもりですが萩尾氏自身については他のファンのかたよりはあまり追いかけてもいず情報も知らないのではないかと思います。
竹宮惠子著『少年の名はジルベール』
萩尾望都著『一度きりの大泉の話』
二冊は同じ事柄を書いているはずなのにまったく違う内容になっています。
最も問題なのは萩尾望都著に書かれている竹宮惠子氏から受けた「盗作したのではないのか?」という言葉が竹宮惠子著にはまったく書かれていないことです。
萩尾氏は竹宮・増山両氏からまるで宗教裁判のように「なぜ、「小鳥の巣」を描いたのか」「なぜ、男子寄宿ものを描いたのか」「なぜ、学校が川のそばにあるのか」とまで問われ続けます。
そしてその後さらに竹宮氏から渡された手紙の内容にショックを受け萩尾氏は目が見えにくくなり倒れてしまうほどまで追い詰められてしまうのです。
なのに竹宮著には萩尾さんの優れた才能への嫉妬に苦しんだことが書き連ねられるだけで萩尾氏はいたって飄々とした感じで記されしかも肝心の竹宮氏の萩尾氏への「弾劾」は書かれていません。
これについては多くの方が指摘されていました。
が、本当にまったく「そのこと」は書かれていないのでしょうか。
竹宮氏は自分が言った萩尾氏への「ひどい言いがかり」を隠匿してしまったのでしょうか。
いや竹宮著には書かれているのです。
それは著書178ページの
どうしようもなくなった私は萩尾さんに、「距離を置きたい」という主旨のことを告げた。それは「大泉サロン」が本当に終わりになることを意味していた。
に当たるのではないでしょうか。
萩尾著で書かれた彼女への恐ろしい呪詛ともいえる竹宮氏(と増山氏)の盗作疑惑を意味する言葉の数々、萩尾氏を絶対に許せないという状況にまで追い詰めた言葉は竹宮著では
「距離を置きたい」
という一言で書かれてしまっているのです。
これはいったいどういうことなのでしょうか。
萩尾望都氏は非常に丁寧な落ち着いた言葉を選んで書かれていますが「もう二度と復縁することはない」という強い意志が感じられる言葉も選ばれています。
「覆水盆に返らず」という一文はまさにそれですね。
それほど萩尾望都が受けた衝撃は深く強いものだったのでしょう。それは彼女だからこそその衝撃を覚え深く傷ついたのではないかと思います。
萩尾さんは両親から「マンガ家になる」という人生の選択を反対され続けてきたと言われています。そして彼女自身もその仕打ちを許すことなく苦しみ続けてきた人でもあります。
竹宮惠子・増山法恵ふたりは萩尾さんにとってそんな自分を理解してくれた新しい親にも思える存在だったかもしれません。それは「同居する」という状況に入ることからも連想されてきます。
一方竹宮惠子氏にとってこの同居は青春そのもので若いマンガ家ふたりとそれを支持する知識人の情熱を感じられます。ただ編集者氏の不安どおりに竹宮氏が萩尾氏の才能に対して嫉妬し彼女もまた苦悩し体調を崩しどうしようもないところへ追い詰められていくわけです。
竹宮氏の記述は理路整然として読みやすく理解しやすく共感できるものでした。
ただ、萩尾氏の著書はそれを大きく揺るがせてしまうものだったと言えます。
竹宮氏が
「距離を置きたい」
という一言で表現した状況は萩尾氏に対して「盗作疑惑」をかけその後「すべて忘れて欲しい。なにもなかったことにしてほしい」と言いさらに「近寄るな」という手紙で締めくくられます。
いったい二人のうち、どちらが真実を言いどちらが虚偽を言っているのでしょうか。
たぶんどちらも真実を言っているのでしょう。
もしくは真実のつもりを言っているのでしょう。
竹宮氏にとっては「あなたの凄い才能に私は苦しんでいる。だから」
「距離を置きたい」
と言っただけ(のつもり)だったのでしょう。
盗作の嫌疑はかけたけどよく考えて思い直し「あのことばは忘れて何もなかったことにしてそして私にもう近づかないで」と伝えてすべては終わったので書く必要はなくなったと判断したのです。
しかし萩尾氏にはそのすべての事柄が彼女を錯乱させたのです。
聡明な竹宮氏にはそれがわからなかったのです。
才能ある萩尾氏がわからないわけはない、と思ったのかもしれません。
竹宮氏の理路整然とした知的な『少年の名はジルベール』に対し萩尾著『一度きりの大泉の話』はページ数も多く文章もまとまりがなく文体も落ち着きがないのですがそれだけにより萩尾氏の苦しみが激しいことが伝わってきます。
抑えようとしても抑えきれない怒りや恨みがあちこちから滲みあふれ出てきています。
それを知るのはやはり辛いことでもありました。
私は以前こんなブログ記事を書いていました。
blog.goo.ne.jp
これは萩尾望都『十年目の毬絵』について書いた記事です。
この時はむろん萩尾氏の気持ちを知らなかったので私はもう少し気楽に考えていました。
しかし今回萩尾氏の心を知って『十年目の毬絵』の意味は何なのだろうか、とますます考えずにおられません。
ふたりの画家男性とその間でふたりに愛された女性毬絵。
才能がありかっこいい男性に描かれた画家は毬絵と結婚しもう一人の冴えない男から離れていきます。
冴えない男は毬絵を夢に見て泣くのです。
そして再会した二人の男は三人で過ごした日々がなんと輝いていたかと思い起こします。
これは萩尾氏がかつて過ごした竹宮氏増山氏との青春を懐かしんで描いのだ、と(ほかの人に言われて気づいたものの)思わずにはおられません。
しかもふたりの画家の思い人の名は毬絵、まりえ、です。
「まりえ」は増山法恵=ますやまのりえから取り出すことができるのです。
しかし今回萩尾氏は著書で「まったく懐かしくない」と書かれているのです。
ではこのマンガはなんなのか?
意識してこのマンガは描けないはずです。
では無意識に萩尾望都はこのマンガを描いてしまったのでしょうか。
毬絵=まりえ、の名づけの際に「増山法恵=ますやまのりえ」を重ねてしまったのは偶然だったのでしょうか。
画家であること、毬絵を連れ去り、会わなくなったこと、自分を冴えない奴だと思い込んでいること、すべてが符号しているのになぜ萩尾望都はこのマンガを描けたのでしょうか。
萩尾望都さんは深く深く考えて物語を作り出す、と以前読みました。
そんな方だけにその思いもまた強く深いのだと思います。
その方が描いたこの短いマンガの訴えている声は「もう一度会いたい」なのです。