ガエル記

散策

『天官賜福』鑑賞完了

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サンランがシエ・リェンのことを「にいさん」と呼ぶのがなんか嬉しく心地よい。

(日本的には芸人のようでもあるけどw)

イチャラブでありながら案外さらりとかわしていくのも良いです。

 

「兄さん」と呼び「サンランと呼んで欲しい」というかわし型BLというのでしょうか。

私はすっかりBL系コンテンツから離れてしまっていたのですが李豪凌監督作品で再び引き寄せられた感があります。

なんとなく懐かしい感覚があるのでしょうか。とても楽しく鑑賞しました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

美形すぎる、のではありますが主人公シエ・リェンの抜け感が可愛く好ましい。その分、サンランの落ち着きやかっこよさが見えてくるわけです。

 

このふたりを観ているとヤン・ウェンリーユリアンを思い出してしまいます。というかシエ・リェンがヤンに似てるだけですが、っていうか似てはいませんがw

 

まあヤン・ウェンリーが孤児だったユリアンの養父となって世話をする、というか逆に世話をされるようになっていった経緯が素晴らしいように本作でシエ・リェンが落ちてきた童を救い「私のために生きなさい」というくだりがなんとも心に訴えます。

 

『天官賜福』

いわば超能力を持つ美形男性たちのBL作品で私的にはこうした都合よい話は

ずっと避けてきたのですがそれを説き伏せる魅力と良さがあります。

過剰に悲劇的でないのも好きです。

 

このシリーズは明らかに続きがある感で終わってしまいます。

これだけは絶対に続きをお願いしたいですがそれには同じく李監督であるのが条件ですね。

 

そして近々wowowで『詩季織々』が放送されます。

李豪凌総監督でオムニバスの一つを製作されていますね。楽しみです。

 

『天官賜福』 李豪凌

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以前観かけてはいたのですが、思いきりファンタジーだったのでこういう類にはまるとキリがないと思いやめてしまいました。なにせ私は一時期江湖モノにはまりきってた過去があります。

しかし『時光代理人』で李豪凌監督に唸ってしまったのでこれはもう遡って観るしかありません。

しかし凄いな。

『時光代理人』以上の惜しみもないBL全開物語なのですな。

私の好み的にはあまりにも美麗すぎる顔立ちで皆似通っているのがやや物足りなくて観なかったのもあったのですが『時光代理人』同様内容はとても面白いのだとわかりました。

これでもう少しキャラの個性が分かれていたらな、と残念ではあります。

観続ければ違いは解ってはくるのですがw

 

第三話まで鑑賞しました。

シエ・リェン良いです。

なんだろう、この魅力は。

 

 

『時光代理人 -LINK CLICK-』李豪凌

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てなわけで『時光代理人』観てみました。中国製アニメという以外には予備知識無しでの鑑賞です。

中国製アニメには凄い期待もあって今まで幾つかちょっと見したものの観続けることはなかったのですが本作で一気に惹きこまれました。

絵柄としてはなんというのか?やや懐かしく感じられるような古めのキャラデザインです、というか現在日本アニメと比較すると全体的に古く拙く感じてしまうのは確かです。

しかしそんなことなどどうでもいいくらい魅力的なアニメなのです。

最近の私はアニメを観てもワクワクドキドキできないし何度も繰り返して観たいと思うこともなくなっていたのですが久しぶりにそんなトキメキを感じたのでした。

 

いったいこのアニメのどこにそんなに惹かれているのでしょうか。

まだ一話目ですからそれは予感としか言えません。が、物凄く期待しているのだけは確かです。

主人公の2人組。

トキ(程小時)とヒカル(陸光)

トキは黒髪のドジ男子でヒカルはクールな白髪といういかにも思いきりBLパターンなのですがなぜかこれがちっとも嫌いと感じないのは私がすっかりぞっこんになっている証拠なのでしょう。

 

絵柄はやや古めかしいとは言ったものの脚本演出はそうではありません。

第一話にありがちの主人公たちの出会いという説明が続いてうんざりすることがなくすでに話が始まっていて進行していくのが心地よい。

その反面物語に関わる若い女性エマの両親の深い愛情に思わず涙してしまう感性も詰め込まれていてそのブレンド具合がたまらないのです。

 

もうひとつは日本アニメにあふれる度外れな暴力性がないことです。

現在日本アニメはどれくらい過激な暴力表現をするかの競争に陥っているようにも思えるのですが本作はそうした方向性に行くのでしょうか。

私自身暴力作品がもともと好きではあるのですが現在日本アニメあまりにもそちら方面に偏りすぎていると懸念せざるを得ません。

自分も好きな『進撃の巨人』にも恐ろしい暴力無しにはいられませんし大人気の『鬼滅の刃』『呪術廻戦』他血まみれ血しぶき肉飛びの暴力が日本のアニメの原動力になっています。それがないアニメならエロが目的となる。

しかしそうした目的ではない作品となるともうはっきりと低視聴率低評価となってしまうのです。

 

本作はたぶん今の感覚でいえばBL志向であるのは確かなのでしょう。

時間を題材にしているのは日本でヒットしている『東京リベンジャーズ』とも重ねられますがその表現はかなり違うと感じます。

 

私としては比較できないほど本作のほうが好きです。

 

背景も優しい描写でとても良い。

なにもかもちょっと夢中になりそうな予感です。

 

 

 

『最後の決闘裁判』リドリー・スコット

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2021年製作。

こんなに早くwowowで観られるとは。

絶対観たいという期待の鑑賞でしたが想像以上の作品でした。

とはいえ非常に複雑な構想を感じますので見逃している個所も多々あるような気がします。

しかしまずは最初の感想を書いてみます。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

と書いたもののネタバレはたぶん最初からされていたのではないでしょうか。

少なくとも事件のあらましは先に知ってから観ても問題はない。

最後の決闘場面だけは何も知らなかったのでこれまで体験したことがないほどはらはらドキドキしました。いったいどうなるのか?

 

そして私がこの映画を期待していた理由はこの映画の予告がある前に私が「マット・デイモンは必ず女性への性暴力を訴える映画に出演するだろう」と考えていたからでした。

何故そんな予感を信じていたかというのは数年前ミートゥー運動がアメリカで吹き荒れる始まりとなったハーヴェイ・ワインスタイン告発事件があった時です。

その際に何らかの記事で

マット・デイモンがワインスタイン事件について「まったく知らなかった、気づかなかった」というコメントを出したらある女優から「おかしい。私はなんどもあなたにそのことを知らせた。知らなかった、ではなくあえて聞かなかったふりをしていただけじゃないの」と反駁され追い詰められた”

というのを見たからでした。

 

記事が簡単に見つかりました。これです。

www.elle.com

上に書いた私の記憶はまあまあでしたでしょうか。

とにかく当時この記事を読んだ私もショックでした。

それまでマットとベンに私はとても好感を持っていました。とても頭が良く高い問題意識を持っている男性俳優だとなんとなく思っていたのでした。

にもかかわらずワインスタインの性暴力にはこうした擁護をして女性への被害をまったく問題にしていなかったのです。

たとえどんなに賢そうでも男性の意識というのはこういうものなのかという失望したのは事実です。

その後彼らの反論などは読むこともなかったのですがそれだけにもしかしたらマットたちは何らかの意思表現をしてくれるような気がしてなりませんでした。

もちろん私が単にそういう願望を抱いたからの予感とも言えます。

マットとベンはこの事件

「権力を持つ男性の女性への性暴力を周囲は気づかないだけでなく知らされた時に逆に女性を貶めていく」

そして彼ら自身がその中にいたことに自ら怒りを感じ

「俺たちは何でも解っているつもりでいたが何も解っていなかったんだ」

ということを映画を通じて表現してくれるに違いない、と信じたのでした。

まあ、好きな俳優にだからこそへの激しい思い込み、だったのですがまさかその勝手な思い入れがこんなに早く現実になるとは・・・。

彼らはあの事件後すぐに動き始めたのです。

もちろんそれはむしろ「これは良い映画になる。問題作だ。俺たちでまた世界をあっと言わせようぜ」という意気込みで盛り上がったのかもしれません。

しかしその思いから生まれた作品がこの内容だったのはやはり感心せずにはいられません。

 

しかも単なる俳優だけでなく脚本からマット&ベンでありさらに優秀な脚本家ニコール・ホロフセナーが脚本陣に加わっているのは女性の目線・判断がなければこの映画のテーマが確立しないからです。

そして彼らは性被害を受けた女性をカッコよく助け慰める騎士や王子ではなく自分たちの名誉や立場を守ろうとばかり考える情けない男たちを演じたのでした。

 

これまで映画では数えきれないほど美しいヒロインが悪者に辱められそのたびに男性主人公が颯爽と登場して悪を懲らしめヒロインを救い出し憧れの目で見つめられふたりは深く愛し合ったものでした。

しかし本作の美しきヒロインはマット・デイモン演じる夫に後継者を産むことだけを目的に妻とされます。

美しい白い馬が貴重だからとして仔馬を産むことだけを目的に飼われているのを見て妻・マルグリットは自分の姿と重ね合わせます。

そしてその白馬と交尾しようと近づく目的外の牡馬が激しく折檻されるのを見ます。

 

さてこの作品はいわゆる「羅生門スタイル」になっていて被害者の夫の視点・加害者の男の視点そして被害者である妻の視点から語られていきます。

章の見出しがそれぞれの「真実」となっているのは本人はそう「記憶している」「認識している真実」ということなのでしょう。

とはいえそれらには共通点はあります。

ジャン・ド・カルージュの激しい男性優位性。極端なマッチョとして描かれ彼自身そのことが自慢でもあるのです。

第二章のジャック・ル・グリの真実を観ても彼がマルグリットを強姦したと見えます。しかしそれでも彼としては「淑女なので嫌がってみせたが実は同意していた」と釈明します。まさにレイプ事件によくある事態です。

そして若く美しい二度目の妻であるマルグリットの女性としての力と立場はまったく弱弱しいものだということです。

意志に自由はなく父親に利用され夫に従うしか生きる道がなく夫の名誉欲のために恐ろしい火刑になってしまうかもしれない運命を受け入れる羽目になるのです。そうなればやっと授かった子どもとは死別することになります。

若く美しいだけでなく数か国語を読み書きし家の切り盛りにも長けた判断力を持ちながら彼女には何もない。レイプ被害を女性から訴えることは許されず夫を通じて裁判を起こすしかないのです。

ジャン・カルージュが「妻がル・グリにレイプされたことで裁判を申し出る」と周囲は彼女に冷たくあたります。

その様子は現在の被害女性への周囲の対応を思わせるものになっています。

女性への性暴力事件の様相が細やかに丹念に描かれていくのです。

 

しかしひとつわからないことがあります。

マルグリットは「実際はどう思っていたのでしょうか」

レイプとレイプ裁判の経緯は事実として丹念に表現されますが彼女の思いは隠されているのです。

がそれもまた男性製作陣(マットとベンとリドリー)の意地悪な仕掛けのようにも思えてしまいます。

ジャンとジャックとピエール伯ら男の考えは単純だがマルグリットの女性の考えは謎、と思えてしまうのです。

マルグリットはそもそも夫に深い愛情は抱いていません。

貞節な妻ではあります。

ですからル・グリからの性暴力は真実です。

しかし彼女がどこかで日常の破壊を望んでいたのではないかとも見えてくるのです。

それは彼への愛だとか不倫だとかではなく破壊への願望です。

 

マット・ベン・リドリーは単純に性被害女性を持ち上げるための映画ではなく何とも複雑に真実を訴える映画を作り上げた、と私は感じました。

 

人間というのはなんと奇妙で複雑でおかしな生き物なのか。

男も女もなんと悲しく生きねばならないのか。

名誉や立場などクソくらえ!

と生きていきたいものではありませんか。

 

 

『宇宙人ポール』グレッグ・モットーラ

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2011年製作。

以前に確かアマゾンプライムで初鑑賞してメチャクチャ惚れ込んでしまいました本作『宇宙人ポール』今回wowowで放送しているのを見つけ飛びつきました。

アメリカンコメディとは一味というかまったく違うUKジョークが楽しい。

これを観てポールを好きにならない人がいるのでしょうか。やはりとても愉快でおもしろかったです。

 

そう、とにかくポールのキャラ造形が最高です。

といっても見た目は今までさんざん見飽きたよくある「宇宙人」なのですがそれがこんなにステキに思えて好きになってしまうのは結局大切なのは「人柄」ということなのですね。

知的で皮肉があってしかも温厚で人情家、優しさとクールさを併せ持つ彼を好きにならずにはいられないでしょう。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

その「宇宙人ポール」としばしの活劇冒険を繰り広げるのがアメリカの「コミコン」にやってきたイギリス人コンビ・グレアムとクライブ。小説家とその挿絵画家という相棒でもあります。

思いきりオタクのふたり組はUFOオタクにとって聖域でもあるエリア51付近を通過した際にマジで宇宙人のポールと遭遇してしまうのでした。

 

爆笑のSFパロディの数々。主人公がUK組なのもあってその笑いはちょいクセがあって辛辣です。

例えば死んでしまった鳥を念力(あれはベスト・キッドのミヤギさん?)で生き返らせた後食べてしまうようなブラック系でありまする。

 

途中で出会うこちらは宗教オタクというべき?父娘との成り行きもおかしい。

娘のルースは極端な信仰を持つ父親の影響で偏った生活を強いられてきたのですがポールを見て衝撃を受け、彼の念力のおかげで失った片目の視力を回復し自分の考えが偏狭だったことにも気づかされていきます。

このルースの物語も作品に深みを与えていると思います。

 

最後にシガニー・ウィーバーが登場するという楽しみもあります。

彼女はオタクにとっての女神様ですから。しかしその女神をあっさり踏みつぶしてしまうというのもまたブラックな。

 

オタクにとっての人生観が見事に表現されている映画作品です。

 

 

前科者 -新米保護司・阿川佳代- (全6話) 二度目鑑賞

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二度目鑑賞しています。

やはりおもしろい。

原作マンガも気になります。試し読みだけでも違いがあってそこがまた気になる。

みどりの登場を先にしたのは正解だった気がする。そして二朗はかなりイメージが違う。話もまったく違うのか気になる。

それはそれとしてドラマとしての出来も秀逸だと思います。

 

しばらく時は流れ・・・・

 

やはり我慢できずマンガ、キンドルで読んでしまいましたw

 

これはドラマでの二番目の人の話になるのですよね。

結局まったく違う話でした。

(別にあの話があるのかもしれませんが)

これでいくと他の話がまたどう違うのか気になってしまうという・・・地獄。

 

ふむふむ。

試し読み的にはマンガは続きモノですがドラマはくっきり読み切りタイプに変えたのですな。

最初から六話の短期なのでこういう脚本変更になった、ということなのでしょう。

 

しかし三人目「多実子」回は良いですよ。

いやすごくかわいそうで辛いんだけど良い。佳代が慕われて傲慢になってしまったというのも良い。

 

映画予告もwowowで観ました。

森田剛共演。

観れるのを楽しみにします。

 

前科者 -新米保護司・阿川佳代- 岸善幸

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コンテンツは、無限ほどあるのに観たいものがまったく無い!という叫びの中で偶然見つけました。まったくもって宣伝というのは重要ですね。たとえどんなに良い作品があってもそれを評価できる人間がいても出会わなければ意味がない。つまりそう言いたくなるほどこのドラマは良い作品なのに誰も教えてくれないし気づいてなかったんですよ。もっと良い宣伝方法誰か考えて!

wowowオンデマンドにて鑑賞しました。探しに探して。主演が有村架純さんだという以外にはなかなか人目につかない気がします。

 

有村架純が演じるのは「保護司」

法務省のサイトにこう書かれています。

www.moj.go.jp

「更生保護」は人の立ち直りを支える活動です。

その手助けをするのが保護司でありますが給与はなくボランティアで行われるものなのですね。

犯罪や非行を行ったいわゆる前科のある人たちに寄り添い社会復帰を見守る役目でしかも無給となれば自然と生活にゆとりのある年配者でなければ難しい活動と思えます。

 

しかし本主人公保護司はタイトル通りの新米で皆が怪訝に思うほどに若い女性です。上の画像に観られるようにメガネをかけた地味外見の佳代ちゃんが経験のなさのあまりの頼りなさを見せながら困惑し考え時に怯え動揺し勇気を奮い起こしていく物語になっていました。

最近の私は世に溢れるコンテンツの暴力性に失望していてそうでないものを探そうとしてもなかなか見つからないことにさらに失望しています。

本作もそもそもが犯罪・非行から起きる物語になるのですが主人公阿川佳代の奮闘に次第に惹きこまれてしまいました。

やはり「求めよさらば与えられん」は本当なのだと確信しました。

 

ではではネタバレしますのでご注意を。

 

第一話はまさに佳代の初保護活動です。懲役を終えて出所してきた斉藤みどりとの出会いです。

態度の悪いみどりに佳代は振り回されますが次第に彼女の本質を知ることになりそしてみどりのほうも佳代の取り乱した姿を見て心を動かされます。

みどりはこの物語にずっとかかわっていくキャラクターになりそうです。

 

第二話はうってかわってぞっとする恐ろしい話でした。

次に佳代が保護をすることになったのはやりすぎなほど真面目な青年・石川二朗でした。

律儀な態度に佳代は思わず「犯罪を犯した人とは思えない」とつぶやいてしまうのですがこの言葉に二朗は逃げ出してしまうのです。

佳代は自分の失敗に狼狽します。しかし「まじめで優しい青年」と思えた二朗の隠された部分が少しずつ見えてくるのです。

二朗を演じた大東駿介氏の演技がおそろしく不気味でした。

彼の罪は兄殺しだったのですがその内実は近所に住む幼い女の子へのつきまといを制しようとした兄への短絡的殺害だったのです。

「彼女とぼくは深く愛し合っている」と信じ切っていた二朗はその女の子から否定の言葉を聞いて打ちのめされます。

つまり二朗は勘違いで兄を殺してしまったことになるわけです。

物語中で二朗はその勘違いを理解するだけになんという取り返しのつかない殺人なのか、と逆に困惑させられます。

 

三人目は田村多実子。

覚醒剤取締法違反容疑で執行猶予の判決を受けています。つまりまだ実刑は受けていないのですが、この三人の物語の中でもっとも(いやどれももっともではありますが)悲しい話に思えました。

彼女も父親から虐待を受けていた過去があります。

そのせいで自分に言い寄ってくる男性たちに抗えないのです。

いわば『ソフィーの選択』症候群です。

という内容は先日書いた『ソフィーの選択』レビューを読んでもらうしかないのですが

あの映画『ソフィーの選択』は毒親からの虐待を受けたために常に「悪い選択をしてしまうソフィー」を描いたものだからなのです。

覚醒剤で執行猶予となった多実子はそれに対抗できる気力を持ちながらも男性の虐待には抗えないのです。刑務所に入りさえすれば安心して暮らせる、と願う多実子の考えはそこから生じているようにも思えます。

しかし佳代のやさしさを「神」と崇める多実子を見れば刑務所内でも暴力的もしくは優しすぎる女性を信奉してしまう予感がします。

その女性が(優しい方であっても)覚醒剤を勧める側であれば元の木阿弥になってしまう。

これも演じた古川琴音 さんが素晴らしくて本当の人だとしか思えませんでした。

多実子があまりに気持ち悪く悲しくてたまらないのです。それもソフィーに対して思った感情です。つまり彼女はメリル・ストリープ

 

この6話で終わってしまうなんてあまりにひどい。

近々映画化されるそうですがドラマももう少し作ってほしいです。

有村架純の阿川佳代も少し観てみたいです。