ガエル記

散策

『鵜頭川村事件』

松田龍平氏、今の日本俳優で見たいと思わせてくれる希少価値を持っています。

という理由で観始めたのですがなんか嫌な予感しかしません。

一度もう止めようとしたのですが駄作なら駄作としても観てみる意味もあるような気がして再度観始めました。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

失踪した妻が最後に残したのは「鵜頭川村へ行く」という言葉だった。

もうひとつ妻が言った「エイキチが来る」という謎めいた言葉を夫である岩森明は忘れずにいた。

幼い一人娘を連れて岩森は初めて鵜頭川村を訪れた。

そこで岩森は少しずつ村の秘密を知っていくことになる。

 

今第三話まで観たところですがこれはつまり

「この村は日本という国の縮図である」

というお定まりのテーマを描いたものではないのでしょうか。

 

外界から分断された小さな世界で何年もまったく成長することもない、というのはそのまま日本を意味しているわけですよね。

そこでは家父長制が絶対であり「選ばれた女性」という名のもとに性的な犠牲が当然の如くに行われている、というのも日本の戯画化でしかありません。

 

閉ざされた地域の怖ろしい風習という話は数限りなくあって最近では『ミッドサマー』が話題になったりしました。あえて意識して女性蔑視にならないようにあの作品は作られた感もありますが日本作品は「あえて女性蔑視」を強調する形で作られている気がします。

それには強い嫌悪感が起こりますがそれを無しにはしては日本を描写できないのだろうというあきらめもあります。それを見たくないのなら日本の作品を観ること自体を放棄するしかない。

失望しかないのです。

 

まだ物語の中盤も行かないほどなのかもしれないのにすでにぐったりと疲れてしまいました。

私の予想は外れてくれるのでしょうか。

 

 

 

『四畳半タイムマシンブルース』夏目慎吾

観ることができるのはずっと先になるだろうと思われた本作ですが突如ディズニー+が199円キャンペーンを決行したので急遽加入して早々観ることが叶いました。

9月20日まで(つまり今日)なのでどうぞお早めに。

 

湯浅監督の四畳半シリーズ及び『夜は短し歩けよ乙女』が大好きだったので本作も早くから気になっていました。

しかも本作は『SonnyBoy』で知るところとなった夏目慎吾監督によるもので監督は四畳半シリーズ及び『夜は短し』にも参加していることもあって大いに期待してしまうのでした。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

さて第一話を鑑賞しました。

キャラは相変わらずのメンバーですが湯浅監督ものよりこころなしか肉付きが良くなっている感がします。微妙にですが。その分やや美形めになっているやも。

アニメーションとしては湯浅アニメをしっかり受け継いだ、という感じで非常に心地よく安心して観られます。

 

湯浅アニメ、というのは日本ではなぜか異端的な印象があります。好きな連中にはたまらない価値観を持ちますがメインストリームからは外れているのは確かなのです。そこがいいのですが何故という気もします。

癖のあるデザイン的背景もしかりですしヒロイン黒髪の乙女ですら現在他アニメとは一線を画す。しかしそこがいいのですけどね。

 

舞台及び主人公&ヒロインが現実的だからこそ奇妙な人物が面白く本作の題材となるタイムマシンが効いてくる。

この一か月間楽しませていただきます。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その17『如懿伝』との比較

台風のおかげもあって『瓔珞』最後にきて怒涛の鑑賞ができました。

となれば恒例『如懿伝』との比較をせずにはおられません。

 

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

さてまずざっくり比較感想を書きます。

『瓔珞』途中までは『如懿伝』を越える勢いで面白かったのですが後半は失速してしまいましたね。やはりどれほど前半が面白くてもラストが盛り上がらないといまいち感想が低下してしまいます。

逆に『如懿伝』はラストが涙だったので途中のダレ場を忘れさせて「良いドラマだった」と思わせる力がありました。

 

とはいえ偶然ですが『如懿伝』を観てから『瓔珞』を観た、という順番はとても良かったと思っています。勿論逆に観ていたらどんな感想を持ったかはわかるはずもないですが。

しかも間に『宮廷の諍い女』を観たのも良かったとひとり満足しています。このドラマで流れがわかりましたので。

この三作品を続けて観るのはお勧めだと思います。

 

とにかく『如懿伝』が主役の周迅が大好きなのもあってぞっこん惚れ込んだのですがその上ででも『瓔珞』の前半の面白さはそれを超えるパワーを持っていました。

そもそもが皇帝の幼馴染という設定の如懿とは違い庶民の娘である瓔珞は一介の刺繍宮女として紫禁城に入り運よく皇后付きの女官になれたもののその後辛者庫で便器洗いという過酷な仕事を強いられそこで一人の宦官と仲良くなり持ち前の明るさと知恵でのし上がっていくという筋書きはハラハラわくわくのし通しで目が離せませんでした。

瓔珞の師でもあり姉とも慕う富察皇后があまりにも優美でありケンカ友達の明玉とのやり取りも楽しく「これは『如懿伝』よりはるかに良い」とまで評価したのでした。

がそのとてつもない面白さははっきり言って富察皇后の敵討ちで終わったと言っても過言ではないと私は思っています。

そこまででまとめてしまっていたら最高のドラマになっていたのではないでしょうか。

 

とはいってもそれでは令妃としての活躍や影の黒幕・嫻妃との決着がつかないなどという(嫻妃の最大の山場・髪を切る場面とか)不満は残るのでしょうけど。

しかし瓔珞が二度目の円明園から後の話がまるでそれまでの面白さとは絶対に違うのです。順嬪の話などは『如懿伝』の寒香見に重なるのでしょうが寒香見の魅力や寒部の物語に比べるとはっきりと見劣りします。

そのままラストに行くほど質が低下していき「南巡」に至っては取ってつけた如くであの戦闘シーンは中華ものには必須なのだろうとはいえあまりにもお粗末でした。

もしかしたらこのラスト部分はドラマの人気が出たので急遽付け足したものなのでは、とさえ思えます。

前半のぴりりとした瓔珞の知性も表現されることもなくなってしまいました。明玉をあっさり死なせてしまうしそのことを瓔珞が思い出しもしないのがおかしいのです。

そして袁春望も上手く描き切れなかった残念さがあります。

返す返すも54話で終わらせていたら、と無念でなりません。

 

55話から話が奇妙に変わっていきます。袁春望が裏切者だとなってがっかりもしました。ここから70話までの16話がやけに長く感じます。

54話までは『如懿伝』を超える、と確信しましたが残りの16話を含めてしまうと全体としては『如懿伝』の趣のほうが勝ると私は考えます。

どうしてこうなってしまったのか、『瓔珞』の製作内部でなにかがあったのでしょうか。

あの鮮烈な面白さはラストで腐ってしまいました。

『如懿伝』もラスト近くになるとややダレてきて嫌な話が多くなってきます。

それでもあの悲劇的なまとめ方は素晴らしいと思いました。

『瓔珞』では如懿にあたる嫻妃皇后が迫力あるために何とか持った気もします。人格はまったく違いますが。

 

『瓔珞』ここまで面白い作品をどうして最後までやり遂げきれなかったのか、皇帝・瓔珞・富察皇后などが素晴らしかっただけに悔やまれてしまいます。やはり70話という長編ドラマのポテンシャルを保つのは困難なのですね。

 

最後にきてやり遂げきれた『如懿伝』(しかもこちらは87話)はマジで凄かったのだと思わされました。

なので『瓔珞』『如懿伝』のどちらが面白いか、と問われれば総体としては『如懿伝』です。

しかし前半というか54話まで(あと少しなのに惜しい)ならば『瓔珞』は確かに庶民として軍配を挙げたくなります。

 

 

 

 



 



『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その16

どうなるの?どうなるの?どうなるの?

とはらはらです。

 

 

 

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しかしいくら何でも明玉をこんな形で死なせてしまうとは冷酷極まりないドラマですな。

思えば瓔珞はこれまでずっと自分のためではなく明玉を救いたい一心で後宮に入り自由な生活ができたのに再び後宮世界に戻る決意をしてきました。

瓔珞は明玉を幸福な結婚へ送り出したかった、かつて富察皇后が瓔珞に幸福を与えてあげたいと思ったように。

しかし敬愛した富察皇后は自害へ追い込まれ今度は親友であり唯一心の拠り所だった明玉が自害に追い込まれた。

本質的に善良で他人思いの瓔珞が怒りで行動するために起爆剤が必要なのはわかりますがこの導火線の選択は酷です。

 

さて瓔珞はすべての手段を失ってしまいました。

皇帝・太皇后・皇后・腹心の友そして義兄弟。

傅恒だけが瓔珞を一途に思い続けていますが彼は裏を返せば彼女にとって最も深い棘でもある。

瓔珞からすべてを失わせたのは新しい敵・沉璧でした。

皇帝の寵愛を急激にほしいままにした沉璧は何故か瓔珞と深い友情を求めようと近づきます。

 

さてその結果は。

 

瓔珞がそう簡単に負けてしまうわけはないと思いながらもちょっとどきどきはらはらしてしまいました。

第63話まで鑑賞しましたが、いろいろと疑問も浮かびます。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その15

おもしろくなってきました。

やはり順調に言っている時より困難の時ほど瓔珞の知性が光りますね。

 

 

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いきなり葉侍医の女装が出てきて腹痛い。共演者はよく笑わずに演技しました。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いだった瓔珞ですが本来の願望だった富察皇后の仇を討ったことを機にして皇帝の怒りと嫌悪を買ってしまう。

皇帝の寵愛を失った瓔珞は生活も激変し皆から侮られる。

さすがの瓔珞も諦めきったかと思われたが傷つけられた明玉を守るために再び戦い始める。

 

ここから皇太后・(現)皇后・瓔珞のバトルが繰り広げられていく。三人が三人とも魑魅魍魎の如くで面白い。

 

ここでまたもや『如懿伝』との重ね合わせですが『如懿伝』での令妃が最初勘違いして薬を服用していたことがありました。

皇帝が別の妃嬪に与えていた薬を妊娠薬と思い盗んで自分も服用していたがなかなか妊娠しない。おかしいと思っていたらなんとそれは逆の不妊薬だったという話です。

『如懿伝』での令妃がお馬鹿なことを示す一例ですが皇帝にも陰謀があることをあちらの令妃はきづかなかったのですね。その後令妃は慌てて泣く泣く本物の妊娠薬を飲みやっと子どもを授かります。

本作でも過程は同じなのですがそれは本作の令妃が自ら望んだ不妊薬でした。しかしうっかり勘違いで不妊薬を飲み続けていたのと敵討ちのために飲んでいたのではまったく違う演出です。

 

そして確かにあちらでも令妃が皇太后に取り入る話はありましたが本作では皇太后が令妃の面白さに惚れ込んで可愛がるという真逆の感覚になっています。

筋が同じなのに中身は異なる、というのは面白いですね。

 

さてここで瓔珞の義兄弟・袁春望が裏切り皇后に取り入っていたのだという話になっていきます。

これはいったいどうなるのか、袁春望と進忠も似ているようでまったく異なる印象です。

 

そしてまたもや瓔珞は円明園に皇太后と共に身をひそめていましたが新しいライバルが登場したとの知らせを受けて紫禁城に戻るのでした。

 

新しいライバルですと?

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その14

第54話まで鑑賞。

前回はダレ場と書きましたが物語が大きく動き出しました。

 

 

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袁春望が再登場して嬉しくなりました。

私はどうやら彼が大好きです。

恒例の『如懿伝』比較で言えばあの作品には彼がいない気がします。

 

謀の中の謀の中の謀。

瓔珞の謀自体が謀を利用していくのですが輝發那拉皇后はさらに瓔珞を利用したのでした。

喜塔臘・爾晴の鬼の形相は最後まで凄まじく恐ろしいものでした。なぜここまで彼女が鬼になってしまったのかも物語になりそうです。

 

そしてここにも二つの大きな比較があります。

同じ女官として存在した瓔珞と爾晴の生き方です。

喜塔臘・爾晴は幸福になる道もあり得たはずなのに自ら不幸への選択をしていったように思えてしまいます。

といっても瓔珞はまだどうなるのかわかりませんが。

 

『如懿伝』は恋心の物語でしたが確かにあれほど頭の良い如懿が恋物語の主人公なのは不思議と言えば不思議です。『如懿伝』を観ている時はそれほどまで思わなかった、というか少し不思議ではありましたがw

恋するヒロインにしては頭良すぎました。

 

本作で皇帝が女性たちに対してゾッとしている様が面白可笑しいです。

 

 

 

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その13

様々な出来事が次々と起こってはいきますがいわばダレ場になるのかもしれません。

それでも目を離せませんが。

 

 

ネタバレますのでご注意を。

 

 

 

皇帝の心を再び射止め紫禁城へと戻った瓔珞は目まぐるしいほどに様々な攻略で皇帝の寵愛を引き寄せ他の妃嬪の追随を許さない。

特にそれまで寵妃と自認していた嘉妃と純妃は瓔珞を貶めようと画策するが瓔珞はその上を行く。

嘉妃は瓔珞と傅恒の過去をほじくり皇帝の嫉妬を利用しようとしたが瓔珞はあえて皇帝と立ち向かうことで自らの潔白を証明してみせ寵愛は却って深くなってしまう。

純妃もあれこれと瓔珞の失墜のきっかけを作ろうとするのだが逆に自分が危うくなってしまうのでした。

 

このパートで傅恒の止まらない熱愛が邪魔に思えてくるのですがしぶしぶ結婚した爾晴がみるみる鬼の形相になっていくのを見ると彼もかわいそうではあります。

彼女の傅恒への愛と嫉妬と復讐が綯交ぜになった感情の噴出はこの物語の中でも凄まじいエピソードです。

聖人君子たる傅恒がやっと妻を尼寺に押し込める決意をしてすっきりするのですがこちらもほっとしましたw

 

傅恒は皇帝から再び重い任務を任されます。その後、城内で担い籠に乗った瓔珞を見かけるのですがふたりはまるで同志のようなまなざしを送りあうのです。

傅恒もどこか吹っ切れた思いがあるのでしょうか。

妻の嫉妬で悲しく死んでいった侍女青蓮の「あの方を忘れなくてはなりません」という言葉も作用しているのでしょうか。

運命を受け入れてなおも強いつながりを持つのはかっこいいなと思います。

 

さてさてとはいえ瓔珞いじめはなおも続きます。令貴人から始まった瓔珞ですがあっという間に令妃にまでのし上がりました。

第50話となりそろそろ最終章へと近づいてきた感があります。

今ではもう『如懿伝』と比較しなくとも万全の面白さを堪能してます。