ガエル記

散策

『機動戦士ガンダムΖΖ』その5

第30・31話『青の部隊』ほんとにこのあたり、子供向けに面白いのかなと思いつつなかなか見ごたえあります。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

しかしなんといってもキャラクター造形がⅠⅡに比べいまいちなのが辛いところです。

ルー・ルカにしてもグレミーにしてもプルにしても零点じゃないにしてもこれまでのガンダムそして他のガンダムと比べても弱いと感じてしまいます。

ジュドーの男らしさは確かに魅力ありますが主人公としてはやはり古臭いのは否めない。どうしてもアムロカミーユのふたりの印象が強いので「違うタイプ」ということで無理に作った感があります。

とはいえさすがにまだロラン・セアックの登場には早すぎるのでしょう。ガンダムでは珍しい正統派正義の味方型主人公です。

 

しかしニュータイプというガンダム独自の天才が活躍する3作目ではほとんどニュータイプを問題にしていないただ元気な男の子が活躍するのは凄いことなのではないでしょうか。

 

ファが登場していよいよ本来のガンダムストーリーに戻っていきそうな予感。

『機動戦士ガンダムΖΖ』その4

マシュマーほどじゃないけどグレミー・トトもかなりおかしい。しかも名前がもう完全に雑魚クラス。変に美形キャラになってるのが虚しい。

 

ネタバレしまうのでご注意を。

 

 

観続けていると確かにⅠやⅡで感じた物語の新しい感覚が薄れ二番煎じに思えてしまうところはある。特に『泣き虫セシリア』は明らかにⅠにおけるミハル・ラトキエ物語の焼き直しだけど劣化してしまっているのは否めない。

『南海に咲く兄妹愛』は『ククルス・ドアン』の変形判でしょうか。

プルとジュドーの関係はロザミアとカミーユと重なりますがこれは良い方向に進むことを祈ります。

 

そしてハマーン様の髪形がすぐ元に戻りました。あれはいったいなんだったのか。

もしかしたらあのおかっぱスタイルは戦闘用なのかもしれませんね。

 

 

第25話『ロンメルの顔』・・・子供向けアニメの話?もはや面白いのかどうか理解不能です。しかしこれでロンメル将軍の名前がエルヴィンであることを知った。

エルヴィン、ロンメルだったのね。

 

26話を観てても思うけどガンダムではこうした異境の地での戦いというのが興味深い。いつの間にか砂が入り込んでくる、なんていうのがSFの醍醐味なのです。

 

ハマーン様がルージュを。

 

 

 

『機動戦士ガンダムΖΖ』その3

16話。ブライトさんもいろいろあったんだ・・・・。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

この楽しさはなんというべきか。

このふざけた感じ、嫌いではない。

ガンダムZの続きと思わなければとても面白いです。

(さすがにあのZのすぐ後には観れないだろうて)

ファースト世代ですがZZは完全未鑑賞なので。

観てなくてよかった。今観て正解。

 

しかしブライトさんだけはしっかりとファースト・Zを引き継いでいる感じがします。それがまたとても良いです。ガンダム信奉者がブライトさん好きなのは当然ですね。

 

ジュドーの妹思いはZでカミーユがロザミアを守り切れなかった後悔から生まれたのだろうなと思う。

しかしその妹がなかなか思うようにいかないのが富野流。

 

ハマーン様の髪形が変わっている。

 

 

 

 

 

『機動戦士ガンダムΖΖ』その2

ガンダムシリーズ』ⅠⅡアムロカミーユが続けていじけひねくれキャラだったのがⅢのジュドーで男の子らしい前向きキャラになったわけです。

妹思いで生活力があってきっぱりした主人公で作品も今のところ明るく楽し気に進んでいきます。

35年以上も経ってから初めて観てみればなかなか面白いのですがガンダムⅠⅡから続けて観ていたらこれまでとのあまりの違いに戸惑っていたでしょう。

特にゼータはファーストより深刻に暗かったのが反動で明るくというよりギャグに走っている感が強くて笑ってしまいます。

しかしこの笑い感もやはり富野節の一つとは思うのですよね。

思えば『Gレコ』にもそのギャグ感はしっかり続いていたではないですか。

 

でも本気で面白いですよ。うわ今ブライトさんがハサウェイ思い出してしんみりしてる。『閃光のハサウェイ』に続く。

 

そしてここで「ママから言われたからな」という台詞が入るのですがこれはもちろん『水星の魔女』での母親からの洗脳に続くものですね。

新しい作品がこうして富野世界を継承していっているのだなと改めて思われます。

 

キャラ・スーンは『オルフェンズ』のカルタを思わせます。

 

『機動戦士ガンダムΖΖ』富野由悠季

ついに観始めました。ダブルゼータ。これだけはなかなか普通に配信されてないのでバンダイチャンネルにて鑑賞です。

 

もっとヘンテコなアニメかと思っていたら想像以上にちゃんとした作品で驚いています。主人公ジュドーは明るく活動的で「2023年の今」ではほとんどいないタイプだと思われます。

というか戦争孤児そのものといったキャラ設定なので80年代に受けたのかどうか?よくわかりません。性格が明るいのは時代的なものを感じますが。

同時代のアニメを検索すると『聖闘士星矢』『ドラゴンボール』『タッチ』などが並んでいます。私自身はそろそろ気持ちがアニメから離れ始めていて本作『ダブルゼータ』は完全に観ていませんでした。好きだったのは『ボトムズ』くらいでした。

(1986年の出来事に『殺人の追憶』の最初の事件が起きたと記されていてどきりとする。80年代は浮かれた時代と呼ばれても実際はそんなことはない当たり前だけど)

 

とにかくジュドーの明るさが今は珍しく貴重なものに感じます。このバイタリティはあり得ない現在。

そしてマシュマー・セロ、何この人www楽しい。こういう人がもっと増えて欲しい今。この人を知っただけでもこのアニメ観た甲斐あった。

 

しかしなんだろうこの複雑な感じ。富野由悠季だから当然なのかもしれませんが一筋縄ではいかない世界観を感じます。

複雑すぎてすぐには判らない本物の感じ。

これに比べると現在の『水星の魔女』はかなりわかりやすく(といっても複雑なんですが)すっきり見やすいように設定されているように思えます。

富野世界はこんがらがってる感覚が好きです。

 

ZZコメディタッチながらも不穏です。

 

『火狩りの王』その2

最近には珍しく続けて再鑑賞しています。

まだよくわからないけど期待してしまっているのかもしれません。

 

ねたばれしますのでご注意を。

 

 

再鑑賞の理由のひとつは昨日も書きましたが本作がきわめて女性的な作品なのではないかと思ったことです。

とはいえ現在のアニメ界の実情で映像作品に関わったメインスタッフを見てもほとんど男性ですから女性作品とは言い難いのかもしれません。なにしろ監督も脚本もキャラデザインも美術監督も編集も音楽も男性なのですから。

原作者が女性だというだけです。

 

ここで考えてしまうのは以前であればもっとアクション的な構成に変えられていたかもしれない、とも思えます。つまり本作で言えば冒頭でヒロインを助けて死んでしまう「火狩り」の物語から始まれば迫力ある導入部になるはずです。

(例えば『魔女の宅急便』において宮崎駿氏は原作を大きく変えてアクションアニメにしてしまったことを思い出します)

しかし本作で男性スタッフたちは本作をアクションドラマにせず幼い少女を地道に動かしていく行程をそのまま選んだようです。

この手法は男性的つまり少年マンガ的能動ストーリーを好む人々には非常に退屈な道なのではないでしょうか。

これまで日本のコンテンツは人気作ほど少年マンガ的(もう少し言えば少年ジャンプ的)手法を選んできました。

私自身女性なのですがこうした男性的なアクティブな物語を好んできたのですが最近になってもっと女性的な見方をしたほうが良かったのではないかと考えています。

つまりヒーロー側でも悪党側でもなく一市民の中でも弱い立場の人間から見た世界観です。

 

代表的な作品としては『赤毛のアン』です。これは小説としてでも高畑勲監督作品アニメを思い起こされてもいいのですが(非常に素晴らしく原作をアニメ化されていると言えます)ヒロインのアンが男の子を希望しているカスバート兄妹家に間違って養子に行かされるアクシデントから始まり何気ない日々の物語に伴って成長しますがやがてカスバート家が破産して兄が死亡し妹も目が悪くなってしまうという悲劇的な結末を迎えてしまいます。アンはまだ16歳でやっと学校の教師となる道に進むというだけの終わりです。しかしこの物語を読んだ(観た)人は誰ひとりとしてこの結末を不幸とは思わないはずです。大冒険もなく財宝や魔法の力を得ることもないのに他のどの物語よりも幸福を感じるのは何故なのでしょうか。

 

『火狩りの王』は『赤毛のアン』よりははるかにアクティブな物語にはなりそうですがヒロインの灯子はアンよりも頼りなげでひ弱そうな少女です。

特別な力も今のところ「唸る犬を手なずける」だけのようです。

そして灯子の物語にもうひとり15歳の少年煌四が加わります。

彼の力も今は未知数です。何かしてくれそうではありますがwしかも父親が「火狩り」だということでもしかしたら灯子を救った男がそうなのでしょうか。

 

再鑑賞していっそう期待が高まってきました。

「男性的物語」「女性的物語」という呼び方はやや性差別かもしれませんがこれまでの物語の多くが非常に男性的視点で描かれてきたことを思うとその呼び名が妥当なのではと思っています。

自分自身が(女性なのに)男性的物語を特に好んできたことへの戒めでもあります。

 

自然の火に近づくと人間が発火してしまう、というメタファーも何なのか考えてみなければなりません。

 

 

 

 

 

 

『火狩りの王』西村純二

原作:日向理恵子 構成/脚本:押井 守 キャラクター原案:山田章博

 

wowowオリジナルアニメ作品です。日本製でオリジナル作品、と聞くとどういうものか価値が上がるというより逆に「おもしろくないのでは」とつい思ってしまいます。

特にwowowオリジナルはつい先だってそれこそ押井監督の仲間内である神山監督(『攻殻機動隊』において)のオリジナルアニメ『永遠の831』に完全にがっくりさせられたので今回も疑惑を持ってしまうのは仕方ないと思いつつ少し期待していました。

 

さて私はwowowオンデマンドでの鑑賞で3話まで観ました。

なのでその分のネタバレをしてしまいますのでご注意ください。

 

 

内容はまったく知らなかったので観始めてちょっと不思議な世界観を理解しようと頑張ることになります。

ちょっと不思議、といってもこれまで観たことのないものではなくむしろ最近多く描かれている「世界の終わりのその後の世界」です。

かつてアニメは世界を守るために戦争を続けてきましたがそのアニメ界ではすでに世界は戦争によって破壊されてしまったのがデフォルトになってしまいました。

今ではほとんどのアニメが「終わりのその後」を描くことになっています。

では「その後」がどうなっているのか人間たちがその中でどう生きていくのかを描くのが興味の対象になるのは当然です。

 

 最終戦争前に開発・使用された人体発火病原体によってこの世界では「火」を使うと人間は死んでしまうのだが唯一「森に棲む炎魔から発せられた火」は安全に使うことができる、というある意味緩い規則性が配置されている。もちろん科学的な説明がされるのかもしれませんが。

その炎魔から火を取ってくるのが「火狩り」なのだがヒロイン灯子が無断で森に入り炎魔に襲われたのをひとりの「火狩り」に救われその火狩りが傷を負って死んでしまうところから物語が始まります。

 

細々と暮らしている村の中に突然機関車(?)のような乗り物が登場して世界観が変わっていきます。

ここで思い出したのが『甲鉄城のカバネリ』です。

これもいわゆるオリジナルアニメで荒木哲郎監督というのもあって期待して観始めたのですがゾンビの残虐性だけが見える作品で脱落してしまいました。

本作『火狩りの王』はもしかしたらその『甲鉄城のカバネリ』とほぼ同じような世界観で(両方まだ知らないのですが)描き方だけが違うのでは、と思っていたりします。

 

つまり『甲鉄城のカバネリ』はいかにも男性的な思考と価値観なのに対して本作『火狩りの王』はきわめて女性的な価値観と思考で構成されているだけの違いなのではないかと感じたりしました。

 

好戦的に突き進んで行っていた『甲鉄城のカバネリ』に対し『火狩りの王』はひっそりと始まり登場人物たちはこれから始まるだろう未知の世界に怯えおののいています。

私はこの始まり方こそ正しい入り方なのでは、と思いました。

 

これからどうなるのか何の力もないような灯子がどうなっていくのか観ていこうと思います。