いったいどういうことなのでしょうか。
たったこれだけの報道ではいろいろな感想を持つ人がいるでしょう。
でもさすがにこの件に関してのコメントは少女に同情する人がほとんどです。
「たとえこれが本当に少女の虚偽証言だったとしても12歳の子供が実の父親からレイプされ続けていた、と証言せざるを得ないほどの何かがあったと考えるべきではないのか」
その通りだと思います。
「もし虚偽でなく真実だったら少女を父親のもとへ戻したらどんな酷いことになるのか」
つい先日、というより今進行形で父親から虐待を受け続けていた少女を父親のもとへ戻したことが糾弾されていますが、また同じことをしようとしているのでしょうか。
日本という国は以前から性犯罪に甘いと言われ続けそしてまったく改善してはいかない。
どんな性犯罪を犯してもなんとかして無罪にしてしまうのではないのかと思ってしまいます。
この最近でも数人の警察官からレイプされたという事件が同意があったとされ無罪となり、泥酔した女性がレイプされ抵抗しなかったから同意があったとみなされ無罪となっています。同意ということが理由になるわけです。集団レイプや泥酔でどんな同意があるというのか教えて欲しいものです。
12歳の場合は同意があっても犯罪ですからこの場合は嘘をついた、という理由をつけたわけですね。
悲しくて怖ろしくてどうしようもありません。
このニュースを読んでから山岸凉子「緘黙の底」という作品を思い出しました。
小学校の保健の女性先生を視点にして5年生(11歳くらい)の女子生徒が実の父親にレイプされ続けているのだけど、そのことを話せないでいる、という内容です。
タイトルの「緘黙」は「口を閉じてしゃべらないこと」という意味ですね。
この話では女の子は父親と二人暮らしであり、「レイプされ続けている」ことを人に話せない、という物語になっているのは今回のニュースとは違いますが、注目したいのは女の子がやっと保健の先生を通じて事実を伝えた時の男性教師のセリフです。
「あの子の・・・虚言です。同情を引こうとの・・・」
嘘をついた、とされるわけです。
「あの年齢が持つ性への憧れからくる妄想ですよ。何かちょっと崩れたカンジのする子だった たしかに」
しかし作品では保健の先生がこれを否定します。
「やめてください!妄想でこんなこと言えません。実の父親に犯されたなど口が裂けても言えないことなんです」
男性教師「父親はハッキリ否定しています」
保健先生「当たり前です。そんなこと認める父親はいません」
「だからその欲望・・・だけど ふつう我が子に感じますか?」
と否定する二人の男性教師に保健先生は言います。
「彼等は自分と同等もしくは上の人間には欲望を感じません。我が子であるというより前に“あきらかな弱者”ゆえ安心して欲望するのです」
「自己の無力感をはらすためにさらに無力な子供をねじ伏せるのです」
「“親の愛”という名目で最も手近で無防備な我が子を・・・犯す!」
「その時その子供は魂を殺害されるのです」
事実が判らないのに無理に重ねていると思われる人もいるかもしれませんが、男性教師
の「あの子の虚言です」という決めつけが記憶されていました。
嘘をついた。では何のために?
この作品では「実の父親に犯されたなど口が裂けても言えない」とされていることを現実の女子が話したのは何故だったのか。
子供には自分を守る術がなにもないのです。
おとなが守ってあげなければどうしようもないのです。
私たちはどうすればいいのでしょうか。