ガエル記

散策

ジェンダーバイアスのかかった漫画は


www.huffingtonpost.jp

自分ツイッターでこの記事に反論することを書いたのだけど、それだけだと言い足りないのでここでもう一度書いてみます。

 

ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」

 

そのとおりなのです。マンガを読んでジェンダーバイアスに疑問を感じその後もマンガを読み続けた者ならそう思ってしまっても仕方ない。なぜなら昔とほぼ変わっていないように思えるからです。ここまで時間をかけてきても変わらないのなら、むしろ後退しているかのように思えるのだから一度滅んでしまうしか方法はないのかもしれません。

 

ツイッターで書いたことと異なってしまうのですが、自分の気持ちとしてはどちらも間違ってはいません。

面白い作品にはジェンダーバイアスを上手く使ったものが多いと思います。私がツイートしたのはそのことなのですが、だからといって多くの作品で同じように「それ」を考え論議し様々な形を描写しているわけではありません。むしろ少ないわけです。

一部の作品を除けばジェンダーの扱いは大きく偏っています。勿論商業の上で成り立つ作品なのですから読者が望む形、そしてそうであろうと出版社が考える形になってしまいます。

そして困難なのは出版社に勤める多くが男性であり、男性が考えるジェンダーバイアスになりがちだということです。女性が編集者である場合でも上司や周囲が男性であればそれに合わせてしまうことになります。

少年マンガを含む男性マンガであればジェンダーに関しては創作者とそれほど相違がないことも多くなってしまい、それはそれで偏見を見直す機会が少なくなります。

少女マンガであれば男性編集者及び男性社会の好悪で選別されてしまい、男性社会に受け入れられる作者や作品が多くなってしまいます。

それを繰り返していけば一部のそうではない編集者や作家が頑張ったとしても結果ジェンダーバイアスの変化は実際の社会よりも乏しくなっていくでしょう。

 

実際、少女マンガはどう変化してきたのでしょうか。

一時期の大きな変革からさらに進化したのでしょうか。

私はむしろ後退しているようにさえ思えます。

絵柄の変化もある時期からそう特別に成長したようには思えません。

私自身が少女マンガの絵柄が苦手なのでよりそう思えるのかもしれません。少女マンガの内容は少年マンガより面白くても絵柄において停滞している気がします。

一方少年マンガは絵柄においてかなり変化してきたように思えます。少女マンガ化したといってもいいのかもしれません。繊細な描写が多くなりました。しかし内容は、男女の設定はどう変化したでしょうか。

いまだに話題になる少年マンガ雑誌のジェンダー問題を見ていると自分が少女だったころから進化したようには思えません。

こちらも停滞もしくは後退しているかのように感じるのです。

少年マンガ少女マンガというのは人格を育成する時期に読むものです。少年マンガに登場する女性たちは男性作家によって描かれることが多く外見は可愛らしく性格は明るく主人公を助け導く、という類型が多く見られます。そして主人公の少年はあまり恋愛に熱心ではないのに美少女から愛情を注がれる、という展開にいきがちです。

少女マンガでは外見を非常に気にするヒロインが多く思いやり深く頑張り屋さん、というようなタイプを求められがちです。現実にいないようなかっこいい男性がヒロインを好きになりますが、その理由は「君の優しい心だ」という事が多いのではないでしょうか。

こうした刷り込みを成長期に受けた男女は自然とそうであるべきとなってしまっても仕方ないのではないでしょうか。

男の子は女の子から優しくされるのが当然で自分が努力することは下心がある嫌な奴であると思い込み、女の子は外見を悲観する謙虚さを持つべきであり、明るくけなげにふるまうことが男子に好かれることだと学ばされます。

こうした刷り込みは怖ろしいものです。

痴漢や性的虐待を受けた日本の女性が声を発しないのはこの刷り込みが原因なのではないかと思っています。

 

マンガというのは少年少女期に強い影響を与えます。

男性が女性がどうあるべきか、どうすれば男女が対等に関係を持てるのか、どんな愛情の交わし方がより良いものなのか、少年少女のマンガにこうした働きが生まれることを、より良いロールモデルが描かれることを、そうしたものがより面白い物語となって表現されることを願わずにはいられません。

 

それが少年少女マンガの目指す道なのだと思うのですが。

 

それが無理ならとりあえず「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅ぼす」しかありませんね。