4月30日に平成の天皇のお言葉や昔の映像を見ている時はほんわかしたりうるっとしたりして天皇の存在を改めて「良いものだなあ」などと思っていたのですが令和元年5月1日となり新天皇にまつわる報道を見ていくうちに暗澹たる思いになり「やはりこれは・・天皇制などなくなったほうがよいではないか」と一日で真逆の感想を持ってしまいました。
たぶん多くの方が同じ思いをされていたのではないのかとも思います。こういう思いに至ったというからにはテレビ局としてもそういう方向へ思いをはせさせようとしているのでしょうか。
勿論それは雅子皇后さまが皇室にはいってからの苦しみをまざまざと感じさせられたからなのです。
思えば「天皇は日本国の象徴」という言葉を天皇御一家の方々はまさしく体現されているのは不思議なことでもあります。
特別な存在であり、裕福で理想の形を追い求められる御一家なのにもかかわらず、いやそうだからこそか、天皇御一家を見ていると日本国民そのものを見ているようです。
天皇御自身も非常にまじめでしかも新しい皇室の姿を考えられておられるようでありながら、その実思うように物事を運ぶことが難しいのは「世間」というものに阻まれてしまうのでしょうか。
優秀なキャリアウーマンの道を着実に進まれていた雅子様を伴侶として皇室に迎え入れる際に「全力であなたをお守りする」といわれたという報道が繰り返されるたびに皇太子であった天皇のお気持ちはどのようなものであったかと思われます。
雅子様の外交官としての才能は皇太子妃としていかようにも発揮できると期待されたはずの夢は「世継ぎを生むまでは控えられるように」という重圧があったと聞きます。若い女性が外交官として活躍できるほどの強い気力を持った方が適応障害になってしまうほどの圧力とはいったいどれほど残酷なものだったのか、想像もつきません。
そして優秀な女性がそのすべてを捨てて家庭にはいり、夫に仕えることだけを求められアイデンティティを放棄させられ子供を生むことを強いられるというこの構図は今の日本社会における一般女性の姿と何ら変わることはない、というのはまさしく日本女性の《象徴=シンボル》そのものであると思えてならないのです。
《象徴=シンボル》というのは「主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。」なのですから。
気の毒で書きしるすのも辛いほどですが、そうした「人間そして女性としての権限や誇り」を奪い取られてしまいそれでも改善されるどころかますますマスコミは書き立て続け、なにかよく判らない「早く男児を生めという組織」のようなものが雅子様の心を破壊してしまったわけです。
「子供は天の授かりもの」という言い方はそれほど子供を生むのは人間が意識してどうこうできることではないことなのだと意味しているはずです。
それを「授かるよう努力しろ」というのは人間の域を超えることを要求しているわけです。
雅子様が愛子様をお生みになった時はほっとするような気持になってしまったのですがそれもおかしな話です。が、それでもさらに「男児を生め」という声があるとは人間の尊厳をどこまで傷つければ気が済むのでしょうか。
その後、愛子様が学校でいじめを受けたこと、思春期に悩み激やせされたことなども一般の日本人をそのまま体現されているようでした。
女性を単なる生殖の動物としてしか認識していない人々、弱点があるものを見つけるといじめをする人々がいることも日本社会を映し出しているわけです。そういう存在があることを天皇御一家は象徴として体現されている、惨い現実です。
新天皇になりテレビ報道もそうした現実を改めて考えたいと思ったのでしょうか。昨日は本当にこの現実を変えなければならないと皆が考えていたのではないでしょうか。
NHKでは(見ることができなかったのですが)「日本の象徴天皇制は自然消滅する」という特集を放送したそうです。
「男系男子のみが天皇を相続する」という世界にひとつの伝統を無くしてはならない、という一派を日本社会はどうしても崩すことができません。
私としてはこの一派はこれから今の天皇家の状況をどうやって存続できると考えているのか知りたいのですが正直何も考えていないのではないかと思っています。
「考えることはない。天皇家は続くのだ」という一存だけがあるように思えてなりません。
日本国民の多くが「次期天皇は愛子様でいいんじゃない?」と考えているように思います。「男系男子派」もそこまでは「OK」なのですよね。が、愛子様の子供が相続するのは「男系にならないので不可」でそこで悠仁様が登場しますが子供を生むのは結局「女性」なので悠仁様の妻になる女性がこの世の終わりのような重責を負うことになるわけです。
側室、というのは現代ではとても倫理的に無理でしょう。ならば体外受精を男児が授かるまで繰り返す?
ありそうにも思えます。
「体外受精は悪いことではないはず」という論理を振りかざすことでしょう。
が、いったい皇室の人々の人権は?
そこまでも周囲の人間が介入するのはもう尊厳も何もない。家畜としか思えない。
一般日本人は社畜、ですが日本人の象徴である天皇もまた同じ扱いを受けているわけです。
もうやめましょう。
人間としての当然の権利を主張されるべきです。
子供を生ませられる家畜ではありません。
人間としての権利・尊厳そして女性としての権利・尊厳を求める時期が来たのです。
天皇は日本の象徴。まさしくそのとおりのことを体現されてきました。社会の重圧にがんじがらめで身動きも取れず自分の意識を抑え込みぎりぎりで生活されているのです。これからもそうであっていいのでしょうか。
天皇は一般日本人と違う存在なのではなくそのまま日本人の姿なのです。
自由に生きられず、女性は才能を無視され子供を作れとだけ言われ、子供は学校でいじめを受けやせ細る。
いいですか?自分と関係ない人なのではなく自分たち自身なのです。
「天皇は日本の象徴なのだから国民が思うことをする」という報道もありました。
国民が自分たちで考え自分たちの代表がどうなれば一番良いのか。あまりにも国民の姿を映し出しているあの方たちを幸福にできるのは国民しかいないのです。
「男系男子」を強いていくのか。
そのために起きる無理をこれからも我慢するのか。
夫も妻も権利と尊厳を互いに対等に持ち、働き、人生を楽しみ、子供を愛し慈しむ、そんな姿が理想ではないのでしょうか。
結婚を無理強いされることはなく子供が授からなければそれもよし、養子を迎えることもできる。そうであるべきです。
天皇家も一般日本人も同じはず、というよりあまりにも日本人そのものをされてます。
「男系男子派」という意識を越えきれずにいるのは日本人の意識そのものなのだと思います。
「天皇と言うのはなかなか良い」と私は思っています。でもどうしても「男系男子」などにこだわるのなら存続は無理なのだからなくなってしまうことでしょう。それもまたいいのかもしれません。
それが嫌なら国民みんなで新しい形の幸福な天皇を作り上げていくのみです。
自分たちの象徴が不幸でいいのですか?
天皇が日本の象徴なのは戦後からではなくそれ以前からなのではないでしょうか。
国民が戦争に向かうことを反対していなかったのですから。
ところで先日の記事「八瀬童子」について書いていた伊丹十三著「日本世間噺大系」の一番最後に「天皇日常(猪熊兼繁先生講義録)」という文章が書かれています。
孝明天皇の日常生活の説明を聞く、というスタイルの一章なのですがこの終わり当たりに書かれていることが今回思い出されました。
「まァ、そんなことが想像されるぐらい天皇は,子供生む機械やったんですナ。何人でも、早く、沢山、なんぼでも子供生んでください、ちゅうのが原則やったんですワ」
この頃はもちろん側室が何人もいる世界です。男性男子派はこういうことを考えているのだと思われます。
そして一番最後の文章は猪熊先生の言葉でありながら伊丹十三氏の思いでもあったのではないでしょうか。