wowowにて鑑賞。何も知らずに見始めたのですが何気なくテレビ放送で観てしまうような内容ではありませんでした。素晴らしく美しい映像と複雑に組み込まれた構成の優れた映画でした。
主演はヴァネッサ・レッドグレイブです。私が描いたマンガの主人公・アレクス・レッドグレイブは彼女の名前からとったものです。
戦争の悲劇を描いたものでもあり、男女の性差別を描いたものでもあり、隠された真実を追求していくミステリーでもあります。
男女の真の恋愛について考える映画でもあり、親子の情愛を考える映画でもあり、人々の間の思いやり、親切、人徳について考える映画でもありました。
そうした様々な要素を含みながら40年以上の歳月が繊細な入れ子細工のように構成されて物語られます。
そして運命は残酷でありながら時に最愛の人を目の前に表してくれます、奇跡のように。
人生は地獄のような責め苦でありながら、時に美しい幸福を訪れさせるのです。
人はどちらをより欲するのでしょうか。何もない人生と、劇的な人生と。そして美しい生き方とそうではない生き方とでは。
しかし単純に分別できるものではありませんね。
映画では時の流れと移り変わりも描き出すのですが、理不尽な男女差別や格差が現在ではすっかりなくなったわけではないことも示されます。
かつてほどではない、と言われても看護師の女性が上司から「ナース!」と肩書だけで呼びつけられ正反対の命令を言いつけられる場面などに今でも差別意識は強く働いていることがわかります。
この映画は「昔の話」でありながらそうした意識は今もまだ存在するものであると言ってるように思えます。
ローズの行動はごく当たり前のものですが男たちはそれを「自分を誘惑するもの」そして「男たちを惑わすもの」として勝手に貶めていきます。こうした意識は現在でも特に日本という社会ではそのままに作用しているものです。
ローズの苦しみは戦争そのものもしくは敵国から及ぼされたものではなくこうした身内であるはずの男たち(女もですが)からの執拗な攻撃であることをよく噛みしめなければなりません。
そしてよく考えて欲しいのです。特に日本の男性たちに。こういうことをしてはいないかと。
ローズは精神病院で美しい40年間以上を無為に、いや地獄の拷問のなかで過ごしました。彼女の罪はなんだったのでしょうか。
同じように家庭という中で自分を殺して生きなければならない女性が多くいます。それは彼女自身の罪なのでしょうか。
あるいはそうした女性たちになにかが足りないのかもしれません。少しの知性や勇気などが。
ローズが聖書に自分の思いを誰にも理解されない真実を書き込み続け、それを奪おうとされた時必死で取り戻そうとしたように。
ローズは強い意志を持って戦い抜きました。再び運命が最愛の人を連れて来てくれる日まで。
あなたも待ち続けますか?現実のあなたにそういう日は訪れるでしょうか。
現在は昔ではなく、40年間以上閉じ込められなくてもいいはずです。
黒髪のローズが白髪になるまで待つ必要はないのではありませんか。
神父ゴーントの思い通りになってしまってはいけないのです。
誰かが幸福を持ってきてくれるのではなく自分で探さねばなりません。どうすればいいのか考えるのです。
ローズの時代は聖書に書き込むしかなかった。今はそうではない。
それでもローズは抗いました。
いまならもっと抗えるのです。
映画を観終わってすぐには「これはすべてローズの妄想だった、という話のほうが良かったのではないか」と思いました。最後があまりにも都合よく甘いものに感じたからです。
でもこの映画はそうした夢の話を幻想的に描きたかったのではなく、現実の女性へ強く訴える真実の物語だったのだと思いなおしました。
自分自身を生きて、と。
人生は地獄のような責め苦に満ちて人は戦いをしいられます。
もう少しの勇気が、私たちには必要です。
ヴァネッサ・レッドグレイブの美しさにも惹かれますが、マイケル役のジャック・レイナーがあまりにハンサムボーイすぎて笑ってしまいます。
日本では「そんな都合よく美少女が空から落ちてくるか!」というのがありましたがアイルランドではイケメンが空から落ちてくるのですなー。