ガエル記

散策

「南京!南京!」陸川 ー絶対観るべき映画ですー

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「ココシリ」の鮮烈な映像で陸川監督の名前は記憶に残るものとなっていました。

その陸川監督が日本軍による南京大虐殺映画を製作したと聞いてすぐ驚くとともに早く観たいと期待したのですが、日本での公開はなくDVDにもなっていないと言います。

中国での公開が2009年となっていますからすでに10年が経つにも関わらず

いまだに公開されない中アマゾンプライムで配信されたのはなんらかの動きがあってのことでしょうか。とにかく、この映画を観たいと思っていて観れなかった者たちにとってはネット配信という一つの選択があることに感謝するばかりです。

 

以下、ネタバレがありますのでご注意を。

 

 

 

 

小さな諸事情で鑑賞するのが今になってしまいましたが、正直自分が思った以上、というか遥かに超える素晴らしい映画でした。

この映画の最初の感想として言うべきことなのか、ではありますがなんといってもモノクロームの映像の美しさ、映し出されるひとつひとつのカットの鮮烈な印象が物語とともに焼き付けられていきます。

こうした迫力のある映像というのは以前から中国映画の醍醐味でありました。

映画好きであるならばまずはこの映画の優れた映画作りの巧みさに感動しなければならないでしょう。

そして監督自身が書いた脚本は驚くほどに公平で落ち着いた視線で構築されていることを感じます。

この怖ろしく残虐に悲しい歴史を本来なら激しい怒りを叩きつけても足りないほどの苦しみに対し陸川監督はあり得ないほどの配慮を見せていることが伝わってきます。

その冷静さを保つために映画の多くの部分がひとりの日本兵の若者の視点で物語られます。そのために本国中国での上映時に物議を呼んでしまったと言われていますが、そういった自国での反感を買うことは判り切ったことであるのに陸川監督が公平な作品を作ったのはまさしく日本人にこそこの映画を観て欲しかったからに違いありません。

 

日本軍の兵士として、人間性をまったく感じない冷酷極まりない軍人・伊田と対照的に兵士・角川は慰安婦に恋をしてしまう真面目さ、一途さを持った若者として描かれます。

映画のかなりの割合がこのうぶで真っ正直な若い日本兵の立場で表現されていくことは観る者を彼に共感させてしまいます。特に最後の場面、彼が日本の祭りに没頭していく様を見せ、その後、彼は囚われ殺されそうになった中国人の親子を逃げさせた後自害する、という結末は鬼子である日本兵の表現ではありません。

一方、冷徹な軍人・伊田の行動は日本軍の狂気そのもののように見えます。何故彼はこんなにも残虐なのか、このような狂気が存在するのかとまで考えてしまいます。

しかし昨今の日本のネットでの中韓に関するネトウヨ氏たちの発言「自分たちこそが正義であり《あいつら》はいなくなって欲しい」というような表現に確かに同じ狂気を感じてしまいます。本人たちは「自分たちは立派で美しいのに(同じ東洋人の)あいつらは最悪」ということで喜びあっています。そういった考え方こそが怖ろしいことに気づかなければなりません。

 

しかし、中国人である陸川監督は対照的な日本兵を描くという手法で冷静に判断しようと試みます。しかも私には優しい若者兵士のほうに重点がおかれているようにさえ感じます。

同じく中国人側も果敢に戦う青年をリウ・イエが演じ、逆に日本軍に「ともだち」といって取り入ろうとする中年男性を描くことでバランスをとっています。

こちらも戦う男よりも姑息な行為をとっている中年男性のほうにより思い入れを感じます。

南京大虐殺として大勢を撃ち殺す場面は壮絶で惨たらしいものです。戦う男(リウ・イエ)はこの中で撃ち殺されます。幼い男の子を守って。従来の映画であればここがメインだったでしょう。

が、陸川監督がより心を配ったのはある意味の裏切り者にも思える中年男です。彼はドイツ人・ラーベに親しく仕え、日本軍とは「ともだち」という言葉を使って取り入り、保身を図っている男です。そうすれば自分の家族だけは守ることができる、という企みが彼にあったのです。

ところが日本軍兵士は彼を特別な存在として考慮することさえありません。彼の家族もなんの待遇もとられることもなく大事な愛娘はまるで何かの物体であるかのように躊躇もなく高い窓から放り落とされてしまったのです。

この場面は陸川監督が最も悲しく残酷な場面として描いていると感じます。

その後日本軍に取り入ろうとしていた男は死を選びました。再び子を宿した妻を逃して。

 

この映画が日本で公開されないのは何故なのでしょうか。DVDとして作られ販売されることすらないのは?

陸川監督は日本人にこそこの映画を観て考えて欲しいと願い作られたと思います。そう願うだけの価値がこの作品にはあります。

 

10年の月日が経ちました。いつかこの映画が公開される日がくるのでしょうか。

一般に目にする時があるのでしょうか。

その時「なぜこんな優れた作品をすぐその時日本で観なかったのだ?まったく理解できない」と言える人間になれているでしょうか、日本人は。

 

さまざまな議論をすることが大切です。

そのために様々な表現の自由と権利が必要です。

反面、許されない表現もあります。

例えば今問題になっている、北方領土問題に立ち向かっている方々に「戦争するしかないですよね」などと国会議員が発言するのは表現の自由ではありません。

 

しかしこの映画には多くの人が鑑賞し話し合うことができる価値があります。

是非、この映画作品を観てください。

陸川監督の思いを感じられるはずです。