田辺聖子さんが亡くなられた。91歳でした。
私は田辺さんというとスヌーが思い出されます。それと「お聖どんアドベンチャー」確か筒井康隆氏が命名したのだけど「“どん”というのは身分の下の人につけるものなのに語呂合わせだけで命名したのだけど、心の広い田辺聖子さんはお許しくださった」と筒井氏が恐縮しながら書いておられたように記憶しています。
長らくそういう感じでいたのですが田辺聖子氏の「新源氏物語」を手に取ってからは私にとっての田辺さんはイコール「源氏物語」そして「今昔物語」「文車日記」という古典作家の方になりました。「文車日記」はむしろ以前の本ですが。
特に「新源氏物語」続編「霧ふかき宇治の恋」は何度読み返したか判らないほどで文庫本がぼろぼろになっています。
他の作家のそれは読んでいない、ちらと見て読まなかったのですが田辺さんの源氏物語に夢中になってしまったのはどういうことなのでしょうか。
やはり田辺さんは関西の方なので「源氏物語」はそういう雰囲気がないといけないのでは、という気もします。特におかしな女性の箇所は関西弁で書かれているのが当たり前ですが抜群に上手いのですね。
田辺さんの「源氏物語」に出会わなければこの絶対読むべき古典を読まずにいたかもしれません。そのことを思うとほんとうに感謝をしきれない思いであります。
上に書いたスヌーピーのスヌーにしろ「お聖どんアドベンチャー」にしろ田辺聖子さんの魅力はおっとりとした上品さのなかに明るい笑いが必ず含まれていることで田辺「源氏物語」の醍醐味はやはりそういう茶目っ気のある格調というものなのでありましょう。
「源氏物語」というものを一度は読まなければならないかなあ、とか古典って難しそうだし、しかも上中下巻まであるし、とかで怯んでいる方、是非田辺「「源氏物語」読んでいただきたいです。
長い間、女性がほとんど活躍できなかった日本という国で(いや世界的に女性はあまり活躍出来てませんが)1008年という時期に女性が書いた世界初の長編小説が日本という国にあるのですから。しかもその小説が単に世界初だのという肩書などつけなくてもしかも現在の小説と比べても遜色ないどころかこれ以上面白い小説ってそんなにないのでは?というくらい面白いというのはいったいどういうことなのか。
この言葉に間違いがあるかないかを確かめるには読んでみるしかありません。
そのままでは読めなくても幾人かの方が現代語で読めるように執筆されているわけですが私は田辺聖子さんのものは凄く面白くしかもうっとりと読める素晴らしい作品だと思っています。
しっかし光源氏くらい嫌な男はいないよね、とも思います。
続編「霧ふかき宇治の恋」がまたそれ以上に面白いのも確かめてください。同じく薫と匂うも嫌な男たちですw薫の君と匂宮っていう名前です。
出てくる男、碌な奴がいないっていうw
そこが面白いのですよね。
田辺聖子さん、素晴らしい源氏物語を読ませてくださってありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。