ガエル記

散策

「大人の道徳」齋藤孝

著者について何も知らず何気なく手に取って読み始めたのですが、こんなことを書いているなんて、と思える箇所が幾つもある一冊でした。

後で検索してみると著書も多く書かれていて幾つかの受賞もされているしテレビで顔を見たこともある人物なのですね。レビューを見ても「普通の道徳観」という評価から「中高年にとって大変ためになる」というような絶賛までありますが「ひどい内容」とまでは書かれていません。

確かに細かな項目が多々に渡って書かれていてその多くは特に反論するほどもない内容ですが逆に凄く感銘を受けることはないうえに「これは現在書かれた文章なのか」とがっくりくる部分もいくつもあるのですね。

今回はそこを書いてみたいと思います。

 

まずは第一章「今までの価値観が通用しない時代」1大人たちの非道徳的な振る舞い、の中の“パワハラ、セクハラがいけないのはわかるけど・・・”です。

もう項目からしてむっとなってしまうものですが、中身は全部取り出さねばならないものになります。

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飲み会では軽口をたたきあったりするもの、というのは良いのですがそれが「絶対に触れられたくないところに触れられた」「傷ついてトラウマになった」と言われてしまうほどのもの、というのはどういうことなのか。

危なくて恋愛の話はできません、そうなるとそもそも「飲みに行く」ということを何のためにするのか、判らなくなってくる、という文章に驚いてしまいました。

「何のために一緒に酒を飲むのか」といったまるで哲学のような問いをあらためて考えねばならない時代になったのです、というのなら本気で考えていいのではないでしょうか。

ここでいうセクハラとは書かれていないけど女子学生との飲み会ということなのでしょうが、女子学生に恋愛の話だけをするのが目的、というのはどういうことなのか、恋愛の話以外なら「何のためなのか判らない」というのはどういうことなのか、私には不思議です。

例えば小説でも映画でもマンガでも趣味についてでもスポーツや花や星や科学やオカルトについてでも楽しい話題は山のようにあるのではないでしょうか。

「恋愛の話ができない」=「何のための飲み会か判らない」というこの著者の考え方は謎すぎます。

そして「で、どうなの?みんな彼氏とかいるの?」くらいの会話は問題ないように思えます。」と書かれていますが問題ありますよ。

何故女子学生が(ここ男性じゃないですよね)教師に彼氏がいるかどうか答えなければならないのでしょうか。それを聞くことを問題がない、と考えていること自体がすでにおかしい。

セクハラがなくならないわけです。こうした「知識人」として有名な方でも初歩からして間違っているのですから。

そしてそうならないために(セクハラしないために)まずルールをきちんと知っておかなければなりません、と書く。

ルール、ではなくこの方「道徳」を知るべきなのですね。

って、その人が「大人の道徳」という本を書いている・・・女性への軽口には道徳は必要なし、と思っておられるのでしょうか。

レビューでここを批判することがなかったのも残念でもあります。

 

皆さんに伝えたかったのは以上なのですが続く「源氏物語」と「ロリータ」はわたしとして非常に不満で書いてみます。

実を言うとパラ読みした時、ここが目に入り「お、『ロリータ』について書いてる」と思って読み始めたのですがとんでもない勘違いの文章だったのでこちらもがっくりしたのです。

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まずナボコフの「ロリータ」はロリコン男ハンバートが少女を拉致していった様を一人称で書いた、という構成からなる小説なのでその文章そのものが「からくり」かもしれない、というギミックを前提として成立するものです。その男がしれっと「源氏物語」の紫の上を引き合いに出すのを日本の大学教授が大喜びしているのも奇妙なことです。確かにナボコフが我が国の古典も知っていたというのは誇れることかもしれませんがナボコフであればハンバートのようなクズが紫の上を引き合いに出して悦に入ってる滑稽さを描きだしている、と表現するべき事柄でしょう。齋藤氏がそこを自覚しながら書いているのか、この文章では勘違いで書いているとしか思えません。

源氏物語」の時代でしかも貴族社会であれば紫の上を妻にするのはそこまで不道徳でなかったでしょうし、中年男といっても二人の年齢差は10歳ほどなので紫の上が12歳で源氏が22歳ほどとすれば中年男と言うには若すぎるようです。現在の感覚でおかしいのは確かですが。

しかも中年になった源氏は再び少女の妻を得るはめになるのですがこの時はもう興味がわかない、という人格になっているので単なる女好きだっただけで特別にロリコンだったわけではないでしょう。どちらかというと年上の女性との恋愛がけっこう多いですしね。

一方のハンバートは筋金入りのロリコンで拉致したロリータとの間に娘が生まれて10歳くらいになったらまた同じように弄び、そのまた娘ともやれる、と願望を述べています。源氏とハンバートを同列に語ってはいけません。

とは言え私は文学としての「ロリータ」は何度も読み返すほど大好きなのです。

ここまでギミックに凝った小説は無い、と思っています。ナボコフ「ロリータ」の面白さは膨大な知識と策略です。反道徳もその一部なのです。

源氏物語」を知っていた、やってはいけないことをやってしまう、程度の文学ではないのですよ。