ガエル記

散策

「ガタカ」アンドリュー・ニコル コン・ゲームでした

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なかなか色々考えさせてくれる面白い映画でした。

ありそうな、というかもうすでにその片鱗さえ身近に感じられる近未来SFでありディストピアものですが、内容をジャンル分けするならSFというよりは欧米映画での人気ジャンル《コン・ゲーム》のほうなのではないかと思います。

つまりトム・リプレイ・イン・ディストピアですが奇しくも映画「リプリー」で餌食にされてしまうディッキーを演じたジュード・ロウが本作では詐欺の片棒を担いでいます。

と言いつつジュードのプロフィールを見ると「ガタカ」のほうが先なのですね。「あらまあ」です。

 

上ですでにネタバレですが、以下ネタバレです。

 

 

 

 

とにかくジュード・ロウはどちらの映画でも憐れな主人公男の理想の男として登場しているわけです。

片方は相棒であり、片方では被害者でありますがどちらもその彼の死が主人公を支えるという設定になるのも面白い。

 

そしてとにかく「あちらの映画」は主人公が圧力にくじけずとことん戦い抜く、という映画が好きですね。

とんでもないことを発案し、幾たびも幾たびも様々な困難が行く手を遮るが主人公はその場その場で窮地を凌ぎ引き戻そうとする手をすり抜けていく。

心臓ばくばくのサスペンスフルな展開です。

 

ガタカ」「リプリー」(オールドファンは「太陽がいっぱい」でもいいですがこの場合ジュード・ロウが共通点ですしコンゲーム的要素はやはり「リプリー」のほうが強い)共通するのは生まれは恵まれない主人公であるということ。

リプリー」主人公トムは才能があるのに生まれが貧しいがゆえに外見もさえないのだが、裕福で遊び暮らすディッキー(=ジュード)を殺して彼になりすますことで優雅な男になっていく。何度も殺人がばれそうになるがそのたびにかわして生き延びる。

ガタカ」主人公ヴィンセントは血液検査で未来社会の「不適正者」とみなされるが宇宙飛行士になるのが夢。「不適正者」ではなれないがそこにDNAブローカーが登場して「適正者」の中でもエリートであるジェローム(=ジュード)の体液を使用することで宇宙局「ガタカ」に入り念願の宇宙飛行士となる。ジェロームは彼の成功を祈りながら自ら死を選ぶ。

 

コン・ゲームとしては「ガタカ」は甘いのですね。あまりにも主人公自身ではない他人からの援助が多すぎるわけです。

社会としてはディストピアの設定なのですがこの一見冷酷な遺伝子社会はあちこちに抜け穴がある気がしますね。これだとたぶん主人公だけじゃなく大勢が同じようにDNA買ってるのではないでしょうか。気づいたら宇宙船乗組員のほとんどがヴィンセントと同じだった、というオチのほうがおかしかったかもですがそれならSFなんですがあくまでもこの映画が《コン・ゲーム》なのでこのオチになるのだと思います。

 

もしくはSFなら必死で主人公たちがDNA詐欺をやってジェローム=ジュードが自殺した後、政権交代があってすべて意味がなくなる=遺伝子社会が終わる、というほうがディストピア感強まる気もします。

 

色々考えられて面白い映画であると思いますが、ディストピア作品としては弱く暗黒面があまり暗くないのですね。

SFであればヴィンセントが5センチほど高くなるのではなく50センチ以上伸ばさないと理想身長にならない、とすべきでしょう。

SFというのは怖ろしいジャンルなのですが、そこが面白いのです。

 

作品としては甘いと思いますが、この映画自体の物語に対しての感想は「どんな時代でも人間はなんとかしようとする」ってことです。

それを作る姿勢は頼もしいし愉快です。

ただ、それなら主人公だけじゃなくジェロームも助けるべきですよね。そこんとこが作品の弱さかもなあとも思います。

SFではなくSF仕立ての主人公のコン・ゲームだから、ですね。

 

 連想したのは諸星大二郎の「子供の王国」なのです。1984年の短編集収録なのでそれ以前の執筆ですね。

この恐怖感にくらべるとどうかな、と思ってしまうのです。

ガタカ」ラストの感想はこのマンガを読んでしまったからです。