ガエル記

散策

「どろろ」新旧比較してみる その8

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どろろざんまい」続けます。

 

新版での17・18・19話「しらぬいの巻」「問答の巻」「無常岬の巻」は絡まり合っているので一挙に語っていきます。

 

またこの部分はマンガとアニメ旧新版での違いが顕著にあります。

昨日も書きましたがアニメ旧版はこの3話分をまるきり無視しています。かろうじて「しらぬいの巻」に似た漁業の村が舞台で魚の化け物(鮫でなくエイのようなかんじ)が出てくる「海獣ビラビラの巻」がそれかなと思わせます。しらぬいという男ではなくサヨという少女がどろろに好意を持つというまったく違う話になっているのです。少女から「どろろのほうが好き」と言われ赤くなるどろろ、という描き方がされますが旧版は22話「妖怪もんもん」でも女の子にでれでれするという表現があり、このあたりはどのように解釈すべきなのでしょうか。

アニメ旧版でもどろろが女の子である、という設定はされているのですが、どろろが男として生きていたのはどろろ本人の意志つまり性同一性障害だった、ということなのでしょうか。もしくは両親から「おまえは男として生きろ」と言われ長い間そうしてきたために精神的にも男性らしい思考になってしまった、と考えるべきなのか。

マンガではおっかちゃんに思える女性にはにデレてもエロチックな意味で女性にデレる場面はないように記憶していますがアニメ旧版の男の子的なデレ方はちょっと気になります。もちろんここで「女ではあってもまんざら悪い気はしないな」というような説明セリフがあると良いんですけどね。

単なるパターン化された反応にすぎない、という答えかもしれません。

 

とにかく旧版では新版での改変である寿海(百鬼丸の育ての親)や途中で殺されずに百鬼丸と最後に対決することになる多宝丸などの登場がないのは当然としても鮫を愛するしらぬいの話、どろろの両親がどろろの背中に宝の地図を刺青として記していた、という話そしてそれを見たイタチたち強盗団がどろろが女だということを知る、という話が語られない。

アニメ旧版はとにかく子供たちの受けが悪く途中からギャグよりのどろろ中心の話にしてタイトルも「どろろ」から「どろろと百鬼丸」にする、などの様々な工夫がなされたらしいのですが、こうして見返しても後半が楽しいアニメ作品になっているような気がしないのは不思議です。むしろ今の感覚だとかなり残酷で強烈な場面が多いように思えます。

マンガでは寿海と多宝丸の登場は無論ないのですが、しらぬいの話とどろろの背中の地図、そして女であることがイタチにばれる話があります。そして突如登場する代官と大勢の手下たちが数多くの船で乗り込んできて乱闘になる場面があるのです。

このエピソードと新版での多宝丸が戦いを仕掛ける話を絡ませたのは上手い改変だと思います。

しかし違うのは宝の存在です。

マンガではイタチが命がけでみつけた宝の壺は空っぽで「イタチに見つかるといけないから宝は他に移す。この宝は貧しい農民が立ち上がるためのものだ」という手紙だけが入っていました。

すでに重傷を負っていたイタチは大きな岩を抱え代官の手下たちの上に自ら落ちて死にます。

新版では壺どころか洞窟にぎっしりとお宝があったという描写になっていましたね。これはどちらの方がいいのか。

マンガではこの後、そのお宝が別の場所から見つかるという話はもう描かれていません。マンガがいわば打ち切りになってしまったので描き損ねたのか、それとも手塚氏としてはそんなお宝はもうなくなってしまったとも思っていたのでしょうか。

ではなぜ新版でお宝がざくざくあったのか。もちろんそれはどろろが後で本当に百姓たちのために新しい村を作る、という資金にするためここでそれを暗示しているのかもしれません。

しかし元々これほどの資金を隠していたのなら何故どろろのおっかちゃんは飢えて死んだのか。「大義のための金をどろろのために使ってしまっちゃいけない」というセリフまで用意しているのですが、あの状態ではどろろも飢えて死ぬ確率の方が高そうで文字通り宝の持ち腐れになってしまったように思えます。

結局どろろが「ちょっとだけ別勘定で」と持ち出しますが飢えない程度に使うのは当然のことでどろろの母親というよりその前に父親・火袋本人が何故これだけの金を使わずに死んだのかは謎すぎます。

新版ではマンガのこのエピソードを農村づくりのため、という話に絡ませていった脚本はとても上手いと思うのですが、これほど膨大な財産を持ちながら飢え死にした、という説明はうまくなされていないように思えます。

まだしもマンガの「結局なかったのだ」のほうが納得できるのではないでしょうか。つまりマンガだと「宝を別に移した火袋は後になにかの理由で使ってしまった。が、妻のオジヤはそれを知らなかった」とも考えられるからですね。

マンガでの壺くらいであればそう説明できる気がします。

新版の「新しい村づくり」という考え方はすごく素晴らしくて好きなのですが、あまりにも財宝がありすぎてちょっと考えてしまいました。

 

まだまだこの箇所続きます。

 

そして地図によって