昨日まで映画を追って感想を書いていきましたからここからちょっと雑感を。
ネタバレになりますのでご注意を。
他の方のレビューでいろいろ考えさせられます。
絶賛に対して「つまらない」という意見もちらほら。私にはこんな波乱万丈な、という物語も他の方から見ると「ほぼ何も起こらない平板な物語」に見えるというのですから不思議です。
実際映画ではヒロインが恋に落ちたかと思うと妊娠して人種の違いもあってクビになるかという不安の後女主人ソフィアが案外優しいのに気づきしかし彼氏からは罵詈雑言と脅しを受けて振られしかもその後その男が暴動をおこし町中で殺戮を行った集団の一人と知って自らも銃口を向けられ茫然のまま死産で大打撃を受け、その後海の恐怖の中で身近にあった愛を抱きいわば悟りを開く、という底辺以下の地獄から天国へ飛翔するジェットコースター的(いや落ちては来ず舞い上がっていきますが)展開を何も起こらない物語、とはいったいどう見ていたらそう見えるのか、私には謎です。しかも同時進行で雇い主のソフィアの涙の離婚騒動も繰り広げられています。
つまりそういう人の思う「面白い物語」というのはお洒落で生意気な現代娘がイケメン青年との好きとか嫌いとかの話を繰り返し結婚して可愛い赤ちゃんが生まれることが期待できますね、という事なのだろうと思われます。ソフィアの離婚騒動にも別のイケメン中年の姿が見えていることが必須なのでしょう。
この物語はそういった要素が皆無です。
ヒロインは内省的な雰囲気で考えを表しません。ですが、関係を持った男はいきなりフリチンで武芸を見せる馬鹿っぷりなのに好きになってしまい愛情もよくわからないままに妊娠してしまう、という構成も共感を呼びにくいのでしょうがよくあることなのです。一方のソフィアの夫も嫌な感じしかありません。彼の印象は家にあまりいないようなのに帰宅すると「家が汚い」と怒っている、これも男によくあるタイプです。
つまりこの映画に出てくる男は皆「嫌な感じ」なのですね。ソフィアの子供たちはまだ小さいのでそこまで男性性が表れてないのですが、それでも一番幼いペペが一番良い男であり年を重ねるごとに男性性のいやな部分が目覚め暴力的になる、という表現になっています。ケンカをし、物をぶつけるわけです。
女性にはこれを押さえつける力がありません。
この映画を観た男性は確かに「何も起きない」と思ってしまうかもしれません。登場する男性たちが誰も良いことを一つもしないからです。
クレオと関係した男フェルミンの暴力だけでなく、ソフィアの夫もただ離婚するだけでなく4人の子供の養育費すら払わないというのですからこちらの方がもっとたちが悪いのかもしれません。
ひとり身になったソフィアにちょっかいを出して振られると「色気もない」と罵りながら去る男など観客が男である場合、どの男にも共感できないのです。
唯一、一見おバカっぽい正義の味方風のソベック先生が一番良い男かもしれません。(プライベートがわからないので実質良い人か不明ですが)
なので男性でこの映画を「とても良い映画」と思える人は客観的に映画を観る才能がある凄い人です。
女性でこの映画を「よく判らない」「何もない、つまらない」と思う人はまだ男性との結婚こそがハッピーエンドなのだと信じているのではないでしょうか。
この映画の二人のヒロイン、クレオとソフィアはふたりともこの上ない幸福を得たという素晴らしいハッピーエンドなのをもしかしたら気づけないでいるのではないでしょうか。
その幸福とは「つまらない男性が女性の人生から外された」時に感じられるものなのです。
つまらない男性、と書きましたがキュアロン監督はすべての男性は女性にとって意味がない、と言いたいようにも思えます。
この映画の男性がすべて女性にとって意味がない存在だからです。
ポスターになっている劇的な家族の抱擁、異人種であるクレオとソフィアと子供たちが「私たちは家族よ、私たちはあなたが大好きよ」と言って抱きしめ合うこの愛の形の中に夫であり父である男が入っていないのがその答えのように思えます。
かつての家族ドラマであれば家長であるたくましい男が中心にいて美しい妻愛らしい子供たちが抱き合う形をシンボルにするのが当然のこの家族の抱擁に夫・父である男はいません。
男はこれを見ていったいどう思えばいいのでしょうか。
「僕も交じりたい」と素直に言える男性はまだ立派であると思います。
多くの男性は「くだらない」とうそぶいて見せるのではないかと思うのですが。
『ROMA』=『AMOR』=『愛』
という映画です。
その中に「男」はいなかった、とするキュアロン映画。
キュアロン監督自身が男でありながら素晴らしい映画の中でそのことを語った。
本当の愛、とは。
クレオもソフィアもそれを容易く手に入れたわけではありません。
苦しんで苦しんで「愛」を探しました。
そこなのでしょう。