ガエル記

散策

『ゾディアック』デヴィッド・フィンチャー

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こういった現実に起きた連続殺人を映画化した作品はあまたありますが、どうしようもなく惹かれて何度も観てしまう映画作品です。

 

ネタバレです。ご注意を。

 

 

 

たぶん主役のジェイク・ギレンホールがマンガ家という職業でその彼が事件を追って本を書く、という設定というか事実なのですが、がツボなのかもしれません。

その彼の名前(もちろん本当の名前)がグレイスミス、というのも個人的ツボです。

グレイスミス、という名前は私にとっては萩尾望都ポーの一族』の話を日記に残した男の名前です。ゾディアックとヴァンパネラという連想も一つの世界を構築します。

 

実はこのグレイスミスという名前が本当はミドルネームがグレイで姓のスミスと合体させてグレイスミスにしたという記述もおもしろい。

 

それで彼は単なるマンガ家にすぎないので懸命にテレビや図書館で事件を追跡し、同時進行で警察がこれを追っていく、という構成になるのが複雑なのですが、私はこういう複雑に時間が絡み合う構成がこれまた大好きです。

 

前半で起きる数回の殺人と誘拐未遂場面はフィンチャー監督の見せ場ともいえる壮絶な衝撃を受けますが、本作はそういうエログロ表現を競う映画ではないのも好きな理由です。

グレイスミスと警察側の調査と推理は数年を経てもというか経るほどに泥沼にはまって身動きが取れなくなっていきます。

数多くの証拠、筆跡の照合、心理分析、調べれば調べるほど事件は謎の罠に落ち込んでいく。

解明に導かれるはずの観客はますます迷宮の奥深くへと迷い込まされていく。

 

猟奇殺人の猟奇表現はとどまるところ知らずやりすぎている演出は逆にうんざりしてしまっています。

現実に殺されていることがすでに猟奇なのです。

そのことが軽く見られてしまうので次第にいかに残酷かを競うようになってしまうのでしょう。

 

この映画でもっとも怖いのはグレイスミスが単独で調査をするために元映写技師の家を訪問するエピソードですが、実際はなにも起きないのに物凄く怖い。この恐怖感がフィンチャーの真骨頂ですね。