ガエル記

散策

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎原作・羽賀翔一漫画

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こども向けに書かれた内容なのでとてもわかりやすいのですがそこにある本当の意味を理解するのはとても難しいことだと思います。

 

言いたいことを説明するために取り上げたエピソードだけを読んで「よくある良い話」とか「こんなことくらいもう知ってるつまらない」というのは簡単ですがこの本の持つ意味を考えていくのはとても大切なことだと思います。

 

主人公の少年は叔父さんに「コペル君」というあだ名をつけてもらうのですが、この名前は「コペルニクス」を短縮したものです。天動説が当たり前とされた時代に地球が動いているのでは、という地動説を考え他人に話したコペルニクスのように当たりまえとされる物事を別の角度から見て考えることができた少年に叔父さんはこれからもそうあって欲しいという願いも込めてつけてくれたわけです。

このことはよく言われることですがやはりとても難しい。

事実現在目にする耳にすることを見ていると別の角度から考えてみよう、ということは本当に少ないのですよね。

 

このマンガ作品では子供向けに「いじめ」という題材を取り上げているのですがそれをそのまま受け取ってしまって「いじめ問題は・・・」という読み方をしてしまうとそこで終わってしまいます。だから「そんなことくらいわかっている」となってしまうのですね。

 

もちろん浦川君の話自体も考えさせられる良い題材だと思いますが、「コペル君」(別の角度から考え全く違う発想をする)という名前をつけられること、おじさんとコペル君が共に考えていくこと、おじさん自身がコペル君から喚起される、ということに注目しないといけないわけなのです。

 

「こんな話当たり前すぎてつまらない」わけがないのです。

生きていく間、人間は常にこうした問題があり常に考えていかねばなりません。

長い間物凄く悩んだことがある時違うことがあってその悩みがなくなってしまう、という経験をすることもあるかもしれませんが自分でその方法を見つけるのは難しいのです。

ちょっとした「違う考え方」をすればいいのですが、それがなかなかみつからなかったりするのです。

 

勿論この本の内容は様々な問題の答えを書いているわけではなくて「自分で考えなければならないのだよ」という事ですので答えが書いてある、と思って読んだ人はがっかりしてしまうのでしょう。

だけど「自分で考える」ということが「答え」なのです。自分で考えなければ絶対に理解できないのです。

よく「偉い人の名言」ばかり集めて見せている人がいますが、それは言葉でしかなく結局その人自身が考えてはいない、ということなのです。

たとえ小さなことでも自分で体験して考えて話す人のほうがやはり凄いと思うのです。

 

 

もちろん人間の考え方はどんどん変わっていきます。

コペルニクス的転回」と言っても良い方向へのみ変化するわけじゃなく時に悪い方向へだって変わってしまっていくのもよく目にすることですよね。

 

それでもまた変われるかもしれません。

一番大変なのは悪い人が良い人になる時周囲から「悪人だったくせに」と言われてしまうことです。その時にその言葉に耐えながら或いは受け流しながら良い人になるのは凄く難しい。『クリスマスキャロル』で一番感動するのはスクルージが良い人になることではなく、周囲から「ぼけたんだろ」とか悪口を言われるのに彼が全然気にせず善行を続けた、という部分です。

 

そしてその逆も世の中にはあるわけです。

この本は良いほうだけ書かれていますが、良い人が逆コぺしちゃう場合もあるわけです。

しかも怖ろしいことに案外よくあるのです。

この本のタイトルは『君たちはどう生きるか』です。

逆コぺしちゃうかコぺっちゃうか。

それは自分自身で考えていくしかないということです。