ガエル記

散策

『進撃の巨人』における新しい異世界観とディストピア

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今必死になってアニメ『進撃の巨人』season3観ています。単行本も持っているのですが、とにかく難しくて途中からついていけなくなっていて持ってるだけ状態になっていたのでまずはアニメで補助してもらおうと。

と言っても『進撃』世界観が大好きなので非常に楽しく必死になっていられるので至福の時間を過ごしているわけなのですが。

 

正直、この年齢になって夢中になれる新作マンガが現れるとは思ってもいませんでした。

年を取る、というのは悲しいもので新しいものを好きになれることが少なくなっていきます。好きで見たり聞いたりするのは昔好きだったものばかりになり「今の新しいのはクズばっかり」などという老害発言を繰り返してしまうのですね。

「いや自分は冷静に公平に判断して考えて評価している」と言っても脳が新しいものを受け入れきれないのが事実だろうと私は思っています。

 

私自身今現在進行中で読めるマンガ、好きになるマンガは凄く少ないのです。マンガ自体を読んでないのもあるのですがw噂を聞いたり試し読みなどしても続けたい気がしないわけです。

アニメとなればテレビで観れてしまうわけですが、今は観ている作品は皆無です。

特にゾンビものにまったく興味が持てない、どれを観ても良いと思えないのですが、『進撃の巨人』というのはある意味「ゾンビもの」と言ってもいいのですがこれだけは面白いんですよね。

「ゾンビ」と思われる題材の特質をここまできっちり活かしている作品は他にない、と思っています。

 

私はSFが大好きだと思っているんですが、日本の作家は異世界を作り上げるのが物凄く苦手で下手なのです。

それっぽいものの多くは外国の作品を模倣したものが多いわけです。例えていえば『北斗の拳』の世界観は『マッドマックス』のもろパクリなのに人気長編として確立されてしまっていて確かにパクリは世界構造だけで物語は違うわけですが、逆に言うと物語は作れても世界構造を作り出すのが苦手なわけです。

だからいつまで経っても「学園もの」とか「会社もの」のような「箱」が最初に決まっている世界の中で物語を作っていく、というスタイルから離れられないのです。

「大切なのは物語なので世界構造はそのまま借りて来ていいじゃないの」というわけです。

それはそれでいいのですが、ですから日本人は「異世界を作ることが苦手」という事になります。

山岸凉子テレプシコーラ』では日本人バレエダンサーは今までにない個性的な新しい踊りを考えることが苦手、ということが語られるのですがこの新しい踊りということはそのまま今までにない個性的な新しい世界を作る、ということと同義なのですね。

借り物ではない世界観で物語を作る、ことは日本で生まれた作品ではごく希少であるのです。

 

とりあえず長い長い間マンガを読み続けて来た者にとって新しい世界観を持つ作品というのはほとんどない、と言ってよいのです。

それは子供向け作品だから、という理由づけもあるのかもしれませんが青年ものになると余計にないのですからその理由づけはあまり意味がありません。

 

もちろんほとんどの作品は歴史ものにしろ現代ものにしろむしろリアリティを基調とするものなのですから異世界観を評価の基準にすることが少ないのですが、異世界観を欲しているものとしては残念な社会です。

 

そしてものすっげえ異世界観を構築してくれている『進撃の巨人』を目の前にしたら今度は難しくてついていけないのですから老害も極まれり、です。

しかし今を生きる子供たちが羨ましいではありませんか。

これを観て読んで育つ世界観はどんなふうになるのでしょうか。

その成果を見れるまで生きていられるかは未知数ですけど。

 

そしてもう一つ、SFに大切なのが「どれくらいのディストピアを想像して創造できるか」です。

 

このディストピア創造こそがSFの醍醐味であります。

 

かつて小松左京は『日本沈没』というとてつもないディストピアを創造してくれました。

このディストピア感の破壊力はとてつもないものでした。

「私たちのこの日本が沈没してしまう?」

これは単純に世界滅亡とか地球最後の日、とかいうのよりも日本人にとってリアルでぞっとするディストピアだったのでありましょう。

当然と言えば当然なのですが日本人が読む・見るSF世界で日本人が被害を受けることが人気となったことは確かです。アメリカのSFではやはり「アメリカ人」作家と同じ人種が主人公となり迫害されるわけです。『猿の惑星』を思い出すと判りやすいことですね。

 

そうしたものすらでなく『進撃の巨人』は「日本人にとってのディストピア」という領域を超えて大きな世界観でのディストピアを構築していくのはSF作品の世界でも稀ではないのでしょうか。そしてまた日本人と切り離された世界観の作品がこれほど人気作になるのも稀であるようにも思えます。

しかしこれはもしかしたら今現在の「日本人の悪口を言う奴は反日だ」という世論の中では正解だったのかもしれません。

もし『進撃』世界が日本人への迫害マンガだったら今の社会では成立しにくかったのでは、とすら思えるからです。

『進撃』の登場人物が外国風の姓名と容姿をしているからこそ受け入れやすかったのかもしれません。

 

さてさて私が日本のマンガの中で世界観を書ける作家は萩尾望都が一番と思っています。『バルバラ異界』『マージナル』の世界観はとんでもない域にあると思うのですが悲しいことにそれほどの広範囲の人気にならないのが残念です。特に『バルバラ異界』は萩尾作品には珍しい日本が舞台なのですからもう少し大きな反響があっても良いのではないでしょうかねえ。

 

ジャンプ系の異世界ものは色々とありますが世界構築の面でだけで言えばやはり薄い気がします。『銀魂』のように異世界風の世界観は大好きですが。

読んではいないのですが「犬だけの世界のマンガ」というのは凄いと思います。

それで言えば『ウルトラマン』の世界観は不思議ですね。

 

とにかく一つの世界を作り上げていっている『進撃の巨人

進行中のマンガ作品は読んでいないのですが、少しでも追いつくように楽しく頑張ってす。

口うるさい年齢の読者もうならせてくれる『進撃の巨人』進行中に読めることは幸せなことでありますよ。