ガエル記

散策

1970年の日本の政治は今よりまともだったんだ

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アナザーストーリーズ「熱気が生んだ真夜中の解放区~オールナイトニッポン伝説」

どーせ私の推しの話は出てこないだろうし、と思っていたらやっぱりちらとも触れられていないようでありました。

オールナイトニッポンでの私の推し、というのは「自切俳人」=北山修でして次はタモリさんなのです。後よく聞いてたのは松山千春南こうせつまででしょうか。

まあタモリ氏のことは有名なので写真くらいは出てきましたが、自切俳人については名前すら見つけきれないという感じで思ったとおりでしたが残念でした。

 

なので私にとってのオールナイトニッポンはイコール自切俳人なのに彼を語らないオールナイトニッポンの話など何の興味もない、と思いながら観始めました。申し訳ないですが鶴光さんやビートたけしさんの番組についてはどうでもいいのでした。たけしさんのは聞いてはいましたがもう思い出したい気持ちはないし、鶴光さんは当時から聞きたくもありませんでした。

ですが、番組で語られる最初のパーソナリティが亀渕昭信氏という知らない人の話からでしたので少しだけ興味を持って見ていたのです。

亀渕氏は1973年にパーソナリティから制作側へと移行した、と書かれているので当時10歳だった私が知っているはずもありません。

オールナイトニッポンを聞きだしたのは14・5歳からでしょうか。見ると、自切俳人はちょうどそのぴったり時期にパーソナリティをやっているのでぴったりですね。

 

そして私がオールナイトニッポンなんて全く知らなかった1970年、人気者になっていた亀渕昭信氏は当時の新聞にビアフラ戦争による難民の飢餓の記事と日本での余剰米が問題視されている記事が並んでいるのを見てショックを受け自番組で呼びかけたというのです。

「ビアフラでは人が飢えているのに日本では米が取れすぎて困っている。みんな、来週俺へのはがきは要らないから、政府に「余っている米をビアフラに送って」というハガキを出してくれ。霞が関の字が難しいならひらがなでいい」

結果2000通のハガキが政府に届き、5000トンがビアフラに救援物資として送られたというのです。

 

亀渕昭信氏は感激し当時の外務大臣・愛知揆一氏のもとへ出向いてお礼を言うと愛知大臣も200通ものはがきに感激した、というエピソードが語られ二人が並んでいる写真が映し出されました。

 

昨日観た記憶で書いているので多少違いがあるかもしれませんが、今現在こんなことが起きるでしょうか。

2000通もの、と言われましたが2000通というのは今それほど物凄い数字として受け止められない気もします。

余剰米で困っていると言ってもそれをアフリカまで輸送する費用ですとか様々なしがらみがどうだとか現在の政府が深夜番組の影響で若者たちが出した2000通ほどのハガキで動くものでしょうか。

 

当時の外務大臣愛知氏が「日本各地からハガキが来て驚きました。若い人たちの熱い思いを知りました」というその場で目で見て手に取ったような実感のある政治が当時は成されていたわけなのですね。

 

昨今、わが日本国政府そして安倍政治でこんな血肉の通った話題を聞いたことがないように思えます。

同じく自民党の政治であっても1970年のものは今とは違うものだったのだと思わされました。

 

もちろん当時の日本人がすべて立派だったなどとは言うつもりはありません。

1970年は連合赤軍よど号ハイジャックを起こし、三島由紀夫が自決した年でもありました。

日本社会はまだ高度成長期で勢いがあっただけに様々な問題もあり特に公害病が大きな悲劇を引き起こした記憶はまざまざと残っています。

 

とはいえ今回のこの番組ではかなりのショックを受けました。

 

「昔は良かった」というつもりはないのですが人々の思いを政府が受け止め、それが実現することがあったんだというとんでもないほどの衝撃を受けてしまったこの「オールナイト」のエピソードでした。