吾妻ひでおさんが逝去されました。
私は物凄く彼の作品を追いかけてきたわけではないのですが、それなりに家に彼の本もありますし、そこそこ(だじゃれではなく)読んできたファンだと思っています。
吾妻ひでおといえば第一に「可愛い女の子」でありマンガにおけるロリコンの元祖という周知がありますが、私にとってマンガ・ロリコンの元祖は和田慎二センセーなのです。和田慎二マンガでロリコンという言葉を知ったのでこれは譲れません。
余談ながら今wiki見たらおふたりは同じ1950年生まれでした!なんとー。
しかも和田慎二氏のほうに
また大学卒業後の1974年に作品『キャベツ畑でつまずいて』の中で、日本で最初に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を使ったといわれている
と書かれていたので私の思いもそう間違いではなさそうです。
たぶん当時にこれ読んだと思います。
それてしましましたが、それでも世間にロリコンブームを起こした一人は吾妻ひでおさんだったのは確かなことであります。
たしかに吾妻氏のロリータは可愛いだけじゃなく、気が強くてわがままで食いしん坊で気まぐれで女の子が見ていてもチャーミングだったのでした。
吾妻氏が描くマンガでロリコンのイメージがついてしまっていたので他の大勢が描くロリコンマンガがあんなに惨たらしい虐待ものが主流であることに私はまったく気づかぬままにいました。
吾妻さんのロリコンは男が気弱で少女のほうが強い、ことが多いのが魅力なのです。
しかしそれ以上に私にとっての吾妻ひでおはやはり「SF好き」であることです。
今手元に奇想天外コミックス『メチル・メタフィジーク』があるのですが、その巻末に描きおろしの『こうして私はSFした』が載っていて氏がいかにSFに没入していったか、これからもしていこうという意欲あるマンガになっています。
この「SF好き」は吾妻ひでおを苦しめたのではないんだろうか、と私は思ってしまうのです。
SF、というのはなんとなくマンガに必須の要素のようでいて実はマンガ界にSFは「受けないもの」というハンコが押されているのです。
少女マンガでは当然ですが、少年マンガでも主流はスポーツものであり、あるいは学園ものというようなリアル世界を描いたものを「求められる」と言います。
吾妻マンガがギャグ系であるのは氏の独自性でもあることながら氏が描きたいと思うSFが「ギャグマンガ」というカテゴリならば許される、という面も大きかったのではないでしょうか。
が、その反面SF好きの吾妻ひでおとしてはやっぱり「すごいSF作品」を描きたい気持ちもあったのではないんだろうか、と思ってしまうのです。
ところが吾妻ひでおが描いてしまった「すごい作品」はSFでなくリアル世界を描いたものだった、というのが『失踪日記』と『失踪日記2 アル中病棟』だったように思えます。
私自身にとってはこの2冊はある意味、SFであるとも思える「すごい作品」なのですが氏自身はどんなふうに思いながらこの作品を描いたのでしょうか。そしてそれが絶大に評価され表彰されたことをどう受け止められたのでしょうか。
SFという作り物を愛し描きたかった吾妻さんが自身の力を最大に引き出せたのは現実の物語だった。
2冊ともほんとうに素晴らしい作品で私はどちらとも選べないほどの魅力を感じます。
特に惹かれたのはアル中病棟に入って出会うT木さんという女性です。
彼女は描き方からしてかなりの年齢の女性のように見受けられますがガタイのデカいK竹さんをしもべにして君臨していて、ひとりこっそりと集会室でシスターの服を着てお祈りをしているという謎の存在です。
このT木さんの描き方がモデルになる女性がいるのだとしても素晴らしく印象的なのです。
吾妻ひでおさんは美少女よりも案外年増女性を描くのが上手いのかもしれません。
ということは、吾妻ひでおは「美少女が出てくるSF」を描きたいと思っていたのだけど、実は「年増女が出てくる現実」のほうが得意だったのでは、という答えが導かれてしまうではありませんか。
もちろん人のクリエイティブな感情はリビドーによって突き動かされるもので、いくら「年増女が出てくる現実」のほうが向いているよ、と勧めても氏が納得したか、「なるほど」と描くものかどうかは計りかねます。
あと一つ吾妻ひでおさんと萩尾望都さんの対談が載っている『愛するあなた・恋するわたし』
冒頭にふたりの対談があります。
萩尾氏1949年生まれで、同学年、という共通点があるおふたりですが、マンガ界でも屈指のSF好きなことでのつながりもあるのでしょう。
吾妻さんが『バルバラ異界』を読んでいて「なぜ青羽は飛ぶのが下手なのか」という鋭い質問をして萩尾さんから褒められる箇所が楽しいのですが、『残酷な神が支配する』までも読んでいるのはちょっと驚きでした。
『バルバラ異界』で遠軽のカボチャモチなんてなぜ知ってるの?という吾妻さんに「安彦さんから声がかかって町おこしに行きました」なんて会話があるのもいいんですよね。
この対談では萩尾さんがSFで受賞しているのを吾妻さんが凄く羨ましがってマンガにまでしているので「ああやっぱ吾妻さんはSFで受賞したかったんだなあ」と。SFでノンフィクション賞を取られているようですが、やっぱりSFマンガで認められたかったんじゃないかなと思います。
とはいえ『失踪日記』も吾妻ひでお風味があるからこその魅力なのは確かです。
が、この世界をSFとして描けていたら、とも氏は思ったりしなかったのでしょうか。