ガエル記

散策

『チェルノブイリ』2~5

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ただただ怖ろしい。

1980年代の事故とはいえ人間には原子力を扱う能力はなかったし、今も無いし、これからもあり得ないでしょう。

どうしてこの力を人類が持ってしまったのでしょうか。いくらある種の能力が高いのだと言ってもそれに支払う代価が高すぎるのです。

 

ロード・オブ・ザ・リングのリングのようにそれは捨て去ってしまうものなのではないのでしょうか。

今でもなお原子力発電を手放そうとしない人類たち。早く決断しなければならないのです。他の道を見つけ歩むべきだと。

 

発電、という一点で原子力に頼ろうとこだわるのはなぜなのか。

水力・火力を除いても、今様々な再生可能エネルギーによる発電が開発されているではないですか。

一種だけの発電ではなく様々な発電を組み合わせることによって供給を安定させることができるはずなのに利権にしがみつく人間が原子力を手放すまいとする愚かさをどうすれば阻止できるのでしょうか。

 

このドラマは「ある時期の共産主義国家」の実情を描いただけのものではなく巨大な力を扱いきれない人間がどのような状態に陥ってしまうのかを再現していってくれているのだと思います。

日本という国はこんなことにはならない。犠牲者なしですべてを解決できる、と言えるでしょうか。

その答えはすでにもう現在存在しているではないですか。

 

そう。時を経た今となっても結局何も不都合なく原発事故を回避はできなかったし、大勢の犠牲者が生まれ今も苦しんでいます。

世界で唯一の原爆被爆国と名乗りながら核廃絶国を名乗らない政府を持つのが日本という国なのです。

なぜ自ら被曝を目指すのか、私にはわかりません。

別の道筋がはっきりと見えているにも関わらずです。

 

自分だけが無事で金儲けをしてもこの地球が、もしくは悪者であっても自分の国だけでも守ろうともしない不可思議に不気味な人たち。

金だけ手に入れても地球が汚れ空気が汚れ植物も動物も人間も死に絶え何百年も放射能に汚染されたままで生きてなにが嬉しいのか。

 

このドラマを観なければなりません。

まず影響を受け死んでいくのは子供たちなのです。

何故目をつぶって知らないふりができるのでしょうか。