ガエル記

散策

『ファーストマン』デイミアン・チャゼル

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ネタバレですのでご注意を。

 

 

 

 

ニール・アームストロングはほとんど表情を変えなくていつもむっつり考え込んでいる男でした。その考え事のほとんどは「月へ行く仕事」をいかに上手く達成するかということですが、その考え事の奥底には幼くして死んでしまった娘のことが常にありました。

彼の目的「月へ行く仕事」は簡単に達成できることではありません。それは人類が初めて挑戦することであり莫大な資金が注ぎ込まれるということは貧しき人々はその為に苦しむのです。深く愛し合っていたはずの妻と子供たちとも心がすれ違っていきます。

そんな犠牲の上でもアポロ計画も順調なわけではなく仲間の生命さえ失ってしまいさらにニールも妻も精神は追い詰められていくのです。

果てしないほどの困難の後にやっと月面に降り立ったニールは何もない真っ暗な世界を見渡します。

そして目の前にあった大きなクレーターの穴の奥底に亡くなった娘のブレスレットをそっと落としたのでした。

娘の死後、残されたブレスレットを忘れてしまうのを願うかのようにこっそりと引き出しにしまい込んだように。

 

愛していた娘を亡くした悲しみを誰にも打ち明けずひっそり一人で泣くしかできなかったニールは月へ行って再びブレスレットをそこへしまいこんだのです。

小さな女の子が遠くを指さす場面がそこで映し出されます。

倣うようにニールも同じ方向を指さします。

寡黙な男は愛した娘のブレスレットを月へ持っていき誰にも知られないように月の穴に隠すことで愛を語ったのではないのでしょうか。

 

こちらもネタバレになってしまいますが、映画『沈黙』でキリスト教を信じ続けながら棄教させられ、仏教徒として葬られた男の手に小さな十字架が握られていたことを思い出します。

 

ニールにとって月に行くことは信仰と同じであり、神の国に彼は娘を連れていったのです。

 

それは映画『コンタクト』にも通じるようにも思えます。

 
単純に面白い成功物語を期待した人は失望するのでしょう。

この映画は一般的なSFや冒険譚ではなく(こうした内容のそれらもありますが)一人の男の苦悩と許しを描いたものなのです。

愛する娘を守り切れなかったという罪への免罪。

罪の呵責はずっと長い間彼の心の中にあり彼はそれから逃れることができなかった。他人が楽しむ時も彼には常に責め立てられるものがあった。

その意識から逃れるように彼は辛い責務を果たし続けたのですが、その仕事が達成され彼は娘に許しを乞うたのです。

 

「ずっと愛していたよ」

 

そしてこれからもずっと。

 

映画は語ります。

「これから多くの人間が月へ向かうでしょう。でも初めてその地を踏んだ彼らの気持ちは判りません」

 

ニールは贖罪のために月へ向かったのですから。