映画の話など書こうと思っていたのですが、ツイッターでのジェンダー騒動に喚起されてしまいました。
長く生きて来てこれほど男女の性意識についてあれこれと問答し合ったことがあったでしょうか。
もちろんこれはネット上だからこそ思う存分話せていることであると言えます。
ネットで論争するようになってからまだそれほど時間は経っていないわけです。
かつて「男女の性意識」について男女が面と向かって論争したくてもその場がなかったでしょうし、場を作られたとしても2・3時間で解決できるわけもないし「性差をどう思うか」という言葉にしにくい言葉を使用しなければならない対話は本音を言い出しにくくなり弱くなってしまったことでしょう。例えばネットでならポンポン言い合ってる「ち〇こ」だとか「ま〇こ」だとか通常使っている言葉が出ないなら本音も弱くなってしまうわけです。
今現在でもリアルに向かい合っての対話ならここまで言い合うことができるかどうかです。
それがネットでなら時間無制限、参加数無制限、普段使ったことがない言葉でも思い切り言い合うことで本音を言えてしまうわけです。
先にも行ったようにネットでの対話はまだ始まったばかりでもこういう話題が立ち上がるのは本気でこうしたことを論議したいという意欲があったということでしょう。
いまはただもうとっちらかってなにがなんだか噛みつき合っているだけの状態にも思えますが、言いたいことも何も言えずじっと我慢し続けていた長い長い期間を思えばとにかくファイティンするしかないのです。
少し前には「痴漢」の話が白熱していて止まる日が来るのか、と思うほど痴漢の被害についての訴えとそれに対する反論が繰り返されていました。
実際それが縮小したのかどうかは判りませんがやがて少しずつ別の話題が様々に取り上げられるようになりました。
会社での男女の関係性、結婚生活、多くは「日本の男は何もしないで甘えている。日本女性はワンオペでなにかもしなくてはならない」というようなことです。
kutooの「なぜ女性だけがハイヒールなどのパンプスで足を痛めなければならないのか」または「なぜ女性だけ眼鏡禁止ということがまかりとおるのか」というような女性への外見の規則への不満ですね。
学生服でも女子だけなぜ寒い時でもスカート着用なのか、といった話は長い間問いかけられながらも解決していない事柄であります。昨今少しズボン着用可の学校も出て来たようですが。
そして今長期化している話題は先日このブログでも取り上げた献血ポスターから始まった「公の場所でのエロ表現」です。
このツイートの日付が10月18日となっていますから3週間ほどもこの問題についてやり合ってるわけです。
そこへ『彼方のアストラ』作者さんのツイートが絡んできますがここでもなぜか町山氏が登場してきます。
『スケット・ダンス』『彼方のアストラ』の篠原健太先生が「宇崎ちゃん」の献血ポスターについてツイートして炎上してTwitterをやめるに至るまでの一連の流れのまとめ。 https://t.co/ny7utfD1nc
— 町山智浩 (@TomoMachi) November 7, 2019
献血ポスターで叩かれたことがよほど屈辱だったのか、なんとか復讐したいのか、しかしここではもう批判者のリプライはなく町山氏に賛同する人のみしか集まってこなかったのが逆に空しく見えます。
『彼方のアストラ』SFということで少し興味を惹かれたのですが、確かに女性の描き方に拒否感があって観ないままだったのです。
作者さん自身は暴言や悪態をついているわけではなくクリエイターとして真面目に考えておられるようには読めたのですが、これからどう変わられるのか、変わらないという判断をされるのかは見ていくしかありません。
もともとはそういう胸を強調した絵柄ではなく「そんなのでは売れない」と編集者からの忠告で変更になったということを書かれたツイートも見ましたが、もしそうであれば作者氏はより困惑されているでしょうしオッパイをデカく描けば売れる、という定義は当なのかどうかと悩まれてもいるでしょう。
私はマンガが大好きですし、その中での表現の自由は守られなければならないと思ってすが公共の場で同等に目についてしまうのは規制されるべきでしょう。
ただ現在の日本の女性描写(実は男性描写もだと思いますが)があまりにも「ロリコン」路線に乗りすぎてしまっている、しかも「オッパイの大きいロリータ」というなんとも都合よく偏った表現がもてはやされているのが女性側からは不気味に思えているわけです。
流行りは一時期のものでしばらくすると廃れてしまうのか、それともまた違った違和感不快感を持たされる表現に変化していくのか。
というのは以前は男性の好みが「南ちゃん」という清純そのもの、といったキャラで代表されていてこれはもうまったく「おっぱい」が強調されていたりはしなかったのですが、「不快感」という意味では今以上だったように思い出されてしまうのですが。
かくして男が表現しもてはやす女性像と女性がそれに異議を申し立てる追いかけっこは永遠に終わらないのかもしれません。
さて、では女性が描く男性像に男が異議を申し立てることはあるのか。
つまりそれは女性が権力を持ち始めたら起こることでしょう。
いくら女性がイケメン、足長が好きと言っても権力を持たなければ男性に与える影響は少ないのです。
女性の権力化が台頭して女性好みのイケメン足長を採用の条件にし始めたら男性からの申し立ては目に見えてくるはずです。
まだそれが感じられないのでまだまだ女性の社会進出は少ないと言えるのでしょう。