献血ポスター「宇崎ちゃんの乳袋」問題から『彼方のアストラ』作者さんの連ツイと続き、この「女性性で興味を惹きつける違和感問題」と「表現の自由問題」が絡みあう論争が続いています。
献血、という極めて重要で真面目なポスターにおいて、女性の乳房の効果で男性の興味を引き寄せ献血させるよう仕向ける、ということはまっとうな感覚として容認していいものか。いや献血してくれるならイラストの乳房くらい利用していいじゃないか、という感覚はどうなのか。それはその時点では良しとしたとしても別の場面で同じように「女性の乳房を見せて活用しろよ」ということになるのではないか、ということなのです。
ここで映画評論家・町田智浩氏が「今までオッパイの大きな人気ヒロインはたくさんいたじゃないか。なぜ宇崎ちゃんだけがダメだというんだ」という論調で参戦してきます。
巨乳献血ポスターに反感を持っていたひとは「そんなことは言っていない。このポスターの使い方が嫌だと言っているのだ」と言い返すのですが、その論理が理解できないのか。読まないでいるのか、町山氏は「表現の自由をなぜ奪う」という論を繰り返し、しばらくすると論争から離れていました。
次にジャンプマンガ家・篠原健太氏がポスター擁護に加わると「では篠原先生のマンガでのヒロインの乳房は強調されすぎてないか」ということになり篠原氏が応対するも事態が収拾できない状態になり本人がツイッターから撤退してしまったという顛末がありました。
端で見ている者としては互いの考えがまったくすれ違っていてかみ合っていないことが判ります。
そこへ再び町山智浩氏のツイートを見ることになります。
低俗な文化を評価はしない、でも、低俗な文化を無くそうとは思わない。それは、今まで何度も、表現や言論を規制するために、公序良俗が口実にされてきたから。 https://t.co/nBAEj5Mf50
— 町山智浩 (@TomoMachi) November 10, 2019
個人をあげつらうことになってしまうのですが、町山智浩氏のような知性の人であっても「女性性を利用する公共の展示はゾーニングが必要不可欠」という訴えを理解するのは困難なのだ、という「良い例」でありまた有名人であるし、たびたび公開ツイートをされているからということでここに挙げさせていただきます。
このツイートだけを読むと一連のポスターから来たとは言えないように書かれていますが、このツイートは入れ子になっていてクリックしていくと一連となっていることが判りますので町山氏は明らかにこのツイートもそこから繋がっていることを示されています。
ここにきて「低俗な文化」ということになってしまいました。
では氏がこれまでに挙げられた「峰不二子」や「キューティハニー」も低俗な文化、と言われるのでしょうか。これは揚げ足取りではありますがなぜここにきてこれまでの話を低俗な文化と書いてしまったのか。ではやはり「女性の巨大な乳房を描くこと」は「低俗な文化」という認識をしていて、それをにやにやと楽しんでいる、ということになってしまうわけですね。
以前にも書きましたが同性である私は峰不二子やキューティハニーは低俗な文化ではなく、強い女性のシンボルとして憧れて観ていたのです。
彼女たちが持つ巨乳はむしろ男性への攻撃として描かれていました、
「私は強い。私を見ることができる男は私以上に強くなければだめよ」というような意志の表れだったのです。
しかしその後、巨乳だけはそのままで幼児顔で自分が巨乳であることに無頓着つまり「何も考えていない」女性像として描かれていくことで弱い男性たちも安心して眺められる巨乳女性に変化していったのです。
ここに描かれる「宇崎ちゃん」と「アストラのヒロイン」はあきらかに攻撃的な女性ではなく男性に優し気な女性として描かれています。
かつて男性をはねつける攻撃であった巨乳は男性に 「触ってもいいわ」という表情で描かれています。
私は作り手側にも「強くて美しい魅力的な女性」を描こうとしていた意志と「触っても許されそうな許容性のある女性」で男性の興味を惹こうとしている意志を感じることができる、と思っています。
町山智浩氏はとうとう「巨乳問題」を「低俗な文化」にまでおとしめて表現してしまいました。
巨乳を強い女性の力と感じていた少女と「低俗な文化」として楽しもうと思っていた町山氏の意識はまったく違うものです。
なのでこうした表現を語る時にどうしてもすれ違ってかみ合わないのです。
町山氏をはじめ一部の男性たちにとっては楽しい低俗な文化であっても多くの女性たちにとっては自分の精神と誇りを感じる大切なことなのです。
ですから「巨乳」をどう描くか、どこでそれを見せるのか、どう感じてもらうのか、は大切なことなのです。
それは「「低俗な文化」を無くそうとは思わない」程度のやわな感情ではないのです。
女性の乳房には女性の誇りがあるのです。
誰に与えるかは女性自身が決めることです。