矢部太郎さんの『大家さんと僕』『大家さんと僕これから』読み始めると夢中になって読んでしまう不思議なマンガです。
大家さんと僕とのちゃーんが可愛いのです。
それにしても物凄い技術で描きこまれたマンガを瞬間で読み飛ばしてしまうのに、まるでラクガキみたいに見えるこのマンガはじっくり見つめてしまうのはどういうことなのでしょうか。
不思議です。
高橋留美子氏の『めぞん一刻』は「凄い美人で若い女性が大家さんで大学生の主人公と恋愛的なやりとりをする」話だと聞いて未だ読んでもいないのですが、それ以上に同じアパートの住人達が部屋に入り込んできてどーの、が苦手でアウトでした。
しかしそれがかつて人気であったわけです。
時代は移り今90代の女性とやや中年にさしかかった男性との交流マンガになったのですね。
これの変化はとても重要であると思っています。
それは完全に恋愛でないわけじゃないけどもちろん恋愛ではなく、単に友情ともいえず流行りの疑似親子関係でもないのです。
そういう簡単にカテゴライズできない女性と男性の関わり合いのお話でした。
それは願望で作った創作ではなく現実の中からすくい上げた物語だからでしょうか。
マンガは特に願望を表現したメディアのように言われています。
強い男になる、美しく可愛いヒロインになる、ステキな恋人と燃えるような恋をする、そうした夢物語がもてはやされる中でこの物語が描かれたのは奇跡のようにも思えます。
それは作者がいわゆるマンガ家ではなかったからかもしれません。
マンガ家だったら描けないマンガだったのかもしれません。
大家さんは高齢なのですが小さくてまるで少女のようにも見えますし、矢部さんは細くて少年のようにも思えます。
おばあちゃんと中年男性であっても少女と少年のようでもあるのです。
『これから』のほうは大家さんの少女時代、戦争中の話が多く語られています。
大家さんは今を生きていてもいつも心の中に戦時があって切り離せないのです。
もしもこのマンガを映画化するのなら大家さんの少女時代がメインテーマになるのでは、いやそうしてほしいと思うのです。