ガエル記

散策

『メリー・ポピンズ』ロバート・スティーヴンソン

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初鑑賞、だと思います。少し眺めていたことはあったかもしれませんがきちんと観た記憶はないのですね。それでもいろいろな場面をいろいろなタイミングで観ているのでなんとなく観たような気になっていますけどやはり初鑑賞です。

 

 

ディズニー映画に惹かれないタチで特に本作は傘を持った女性が飛んでくる、というような発想に反感があって観る事ができないでいました。

あまりにも子供だましでありふざけすぎているじゃないか。

そう思っている自分が子供でした。

このような作品はひねくれた心では見ることができないのですね。

同じくジュリー・アンドリュースが主演している『サウンド・オブ・ミュージック』もそうなのですがドレミの歌などを子供っぽく感じ馬鹿にしていた自分は何も知らず理解できないガキンチョでした。

そうした「子供の世界」を素直に受け止めそこにある大切なものを理解できるようになるにはある資格が必要です。

しかし最初からそれをまっすぐに受け止めきれる人もいて凄いなと思いますけど一度反発した後でその意味が解るようになることもなかなか良いことではないかと考えます。

 

と言ってもこの映画を観ようと思ったきっかけは岡田斗司夫さんの本作への解説ではあります。

岡田氏の「この映画はめちゃくちゃなんだけどそのめちゃくちゃさこそがウォルト・ディズニーの作品だということ。なんの欠点もなくきちんと作られた映画は商品ではあるけど作品ではない」という論評に目を覚まされました。

それまで「良い映画というのはきちんと作られた映画でぐちゃぐちゃな映画はダメなもの」と私はなんとなく思っていたに違いありません。

商品というものは売れるように考えて設定や物語を計算していくものでそのために仕上がりは万全になるものですが、作品というのは作者が苦悩して自分の中から生み出すものなので必ずしも計算どおりにはいかないし見た目の悪い出来栄えになってしまうのかもしれません。そこにこそ作者のオリジナルがある、ということを今まで考えずにいた気がします。

 

私は原作を読んでいませんが、映画はそれと色々な部分で変化しているようです。

そこにこそディズニーのオリジナルな思い入れがあるのでしょう。

特にバンクス氏や原作にはないらしい銀行頭取の描写は自分自身の投影だったのだと思えます。

原作と映画の違いに映画監督の思いは込められているのですね。