先日誰かのツイートで知って読んだのですがほんとうにそのとおりだと共感していたのですが、YouTubeでも宮台氏の対談を見つけて聞きこんでしまいました。
この世代の方特有と言っていいのでしょうか、非常に熱い語り口にも共鳴させられます。
まだまだ読み始め聞き始めたばかりなので書けることもないのですがとても肯ける話が多いのです。
「人を幸せにするための教育」という部分は特に大切なものだと思います。
日本人は自分たちが「自分を犠牲にして他のために尽くしてきた」ことは間違っていた、と思い始め「もっと自分のために生きていいのではないか」という方向へ舵を切り出しました。
結果、「自己責任だろう」とか「子供の声がうるさい」とか「電車にベビーカーを持ち込むのは迷惑」というような発言が湧いてくるのです。
自分の「良い気持ち」を損なうものは全て排除せよと発言すべき、と考えだしてしまったのです。
このあたりの意識とバランスがすでにおかしいのだと思われます。
「自分を犠牲にしたくないから他人を犠牲にする」
いや犠牲にするのは自分であっても他人であってもいけないわけです。
幸福を誰かが犠牲になることで成立させようとしていては幸福は成り立たないのです。
「自分が犠牲になることはやめて幸せになる」という考えは間違ってはいないでしょう。しかしそれがどうして
「他人を犠牲にすることで自分は幸せになる」という思考になっていくのでしょうか。
現在の日本人の多くは「人を幸せにすることで自分も幸せになる」ということがどうしても理解できないでいるように思えます。
自分を含むすべての人が幸せになる方法をどうしても見つけきれない。
そのためにはどうしても「会話」が必要になるのですが、その「会話」コミュニケーションというものを使うことがなによりも嫌なのが現在の日本人のようです。
対話なしにどうやってすべての人の幸せを理解できるでしょうか。
やはり諸星大二郎さんのマンガ世界のようにすべてのひとがひとつに溶け込んでしまわないと無理なのでしょうか。
(いきなり諸星マンガが出て来てしまいました)