高校生の時に怖ろしくて読めず今初めて読んだつもりでしたがこの長い時間にあれこれと読んだものがあったので初めて読んだような気がしませんでした。もしかしたらいつの間にか読んでいたのかもしれません。
他の日本軍加虐事例と同じくこれも「でたらめだ、デマだ」という声が上がってしまうのは相変わらず奇妙なことですがアウシュビッツでさえも「でっちあげだ」という論理を信じたい人々もいるので仕方ないことなのかもしれません。
それで言えばすべての歴史はでっちあげで嘘なのでなにも勉強する必要は無くなるのですが、人間は過去を学んで未来への足掛かりにすることで進んでいけるのですから何も学ばず立ち止まりたいと願うのならばそこで絶えてしまうしかないのではないでしょうか。
本作には筆者が何度も恐怖と悲しみに筆を止めながら戦争の絶望を訴えたいと書かれているわけでまさしくその点にこの著書の意味があるのです。
著書の中で「丸太」と呼ばれ人権を奪われた捕虜たちが生き延びようとする意識を持って日本軍の監視を逃れて情報を回し反抗する姿が描かれています。
高校生当時の私は日本人がこんな惨たらしいことを行ったと書かれた著書に目を向けることができませんでしたが今ではもう「やりそうだよな」としか思っていません。
慰安婦問題も徴用工問題も「そんなものは存在しない」と言いながら現実進行形で存在しているではありませんか。
外国人だけでなく国内において男女差別も性暴力もブラック企業もすべて存在しながら改善されることもなく「デマだ。そんなものは存在しない」と言い放つ不可思議な国です。
自国でも女性や弱い立場の人間には平気で惨いことをし続け反抗すると「おまえが悪いのではないか」と言うこの国の男たちをどうして「戦争中に不正はなにもなかった」などと信じられるでしょうか。
本著でも「赤ちゃんだけは助けて」と訴える母親に人体実験をする話がありますが、今現在の母親の立場を見ていると何も心根は変わっていないと感じさせられます。
本著でそうした女性への実験描写が少ないのは筆者が書くのが耐えきれなかったのではないかと思うのですが。
ここまで怖ろしい著書は他には稀でしょう。
しかし戦争を記した本はどれも惨たらしいものばかりです。
全部読めなくても少しだけでも目を通してほしい。
かつて逃げ出した私もやはり読まねばと思って戦争の本を読みこんだ時期がありました。