録画した『ソロモンの偽証』映画前後編一度チラリ見して冒頭で気が乗らずにやめていたのですが岡田斗司夫さんの過去動画で前半映画上映が「めちゃくちゃ面白かった。後半に期待」というのを見てしまって再鑑賞することにしました。
結果、物凄い疑問が膨れ上がってしまいました。
とにかく岡田斗司夫氏に少なくとも前半上映時では「日本映画には珍しいほどの面白さ」と言わせたわけです。
私も再鑑賞で前編だけは「結構面白いではありませんか」と思い直しました。
前回なぜ途中でやめてしまったのかは登場人物の言動があまりに嫌な感じに思えたからだったのですが、前編を再鑑賞した時点では「なぜあの時嫌な感じとかで中断したのか。ちゃんと観ればよかった」と反省したのです。
しかし後編まで観通してしまうと前回「嫌な気持ち」になってしまったのは間違いではなかった、と再び思えたのです。
いったいこの映画はなんなのでしょうか。
ネタバレになります。ご注意を。
この作品で最も重要な役はやはり「死体で見つかった少年」=柏木卓也くんです。
彼の死について中学生たちが学校で自主裁判を行う、という設定なのですから当然です。
映画冒頭、ヒロイン藤野涼子が母校の中学校に教師として赴任する場面から始まり校長に思い出を語る、という構成が示されます。
中学生の涼子が同級生の野田健一と共に校庭で見つけたのが雪に埋もれていた同じく同級生の柏木卓也の死体だったのでした。
同級生の突然の死と様々な憶測・嫌疑の中で藤野涼子は同級生と今は他校生ながら小学時代に柏木の友人だったという神原を交えて学校内で中学生による裁判を行うことを決意する、という極めて興味深い内容を映画は丹念に進行させていきます。
じっくりと作り上げていく物語とほぼ素人と言える少年少女たちによる演技は微笑ましくもあり楽しく観れるものでしたが、それは謎を積み上げてきた前編でなんとか思えるもので後編になって物語を掘り下げていくと共に核心から逸れてしまうという展開になってしまったのです。
後編、岡田斗司夫氏がどう思ったのでしょうか。
そして多くのレビューで「つまらない」と書かれてしまっているのは何故なのでしょうか。確かに前編はそう悪くはないのです。最後まで観てしまうと前編にもその予兆はあったのがわかりますがその時点では気づかず後編を観た後で
「これは大切なものが描かれていない」
と気づかされるのです。
それは勿論死んでしまった「柏木卓也」くんの物語です。
そうです。前編でも彼の話はもっと描かれるべきでした。
しかし観る者はまだなにも知らないのでヒロインやいじめを受けて傷つく少女たちばかりに気を取られてしまいます。この映画はそういう物語なのだ、と思わせられてしまうのですが、実はそうではないはずです。
なぜ物語の鍵である「柏木卓也」くんについてこの映画はほとんどなにも描かなかったのでしょうか。
たぶんこの映画を観た者は
「なんだ、ただのおかしなやつ=メンヘラが自殺してメンヘラが他人に疑惑を被せようとしただけの話か」
としか思えません。
なぜ、この映画で最も大切な存在である「柏木卓也」をここまで粗雑に扱ってしまったのか。
物凄い疑問を抑えきれません。
その謎をとくにはやはり原作を読むしかないのでしょう。
そういう意味では原作を読ませる有効な映画だったとか?
とにかく宮部みゆきの小説を読んでもう少しこの物語について書いてみたいと思います。