すみません。ポール・シュレイダー監督の名前を聞いたことはあるようだけど誰だろう、などと思いつつ観てしまったのですが、『タクシー・ドライバー』の脚本を書いた方でしたね。
ネタバレになります。ご注意を。
観終わって途方に暮れてしまう気もしましたが『タクシードライバー』と同脚本家というキーワードを差し込むことができるなら途端に様々な事柄が展開し解けていくように思えます。
まったく違う話のようでいて本作『魂のゆくえ』の設定は『タクシードライバー』とまったく同じなのですね。
主人公は戦争から戻ってきた傷心の男です。タクシードライバーと牧師という職業は全然異なるようですが人々を導き目的地へいざなう、という意味においては同じであると言えるのかもしれません。
彼は自分を見失い不安定な精神で生きています。
清廉でしっかりした女性に惹かれますがうまくいかず別れてしまう羽目になり(『タクシードライバー』でのベッツィー、本作では元妻エスター)セクシャルな愛らしい容貌の女性によって魂が救済されていく、という設定と過程は同じ道を辿っているといっていいのではないでしょうか。
人物名にも意味が強く含まれているように思えます。
ここは英語名に知識がないとイメージが湧きにくいのですが『タクシードライバー』のトラヴィスが「航海」「通行」などの意味から彷徨う人をイメージできるように(タクシードライバーをしながら彷徨っているわけですね)本作のエルンスト・トラ―は「真面目な教え」というそのままを体現しているかのようです。
『タクシードライバー』の少女売春のアイリスが希望を意味していたように本作メアリーはそのまま聖母マリアの意味になるのです。
とはいえ、いったいこの映画はなにを表現しているのでしょう。
1976年の映画『タクシードライバー』はもっと単純で判りやすいものだったと思うのですが2017年『魂のゆくえ』は一見あっさりと簡潔に見えるようでいてその奥にあるどろどろが測りがたいように思えてしまいます。
ふたつの映画の間には40年の歳月がありますから普通ならその間に世界が変わったともいえますが、シュレイダー監督はさらにその前から50年構想を練ってきたのだと書かれています。
ならばこの作品は最近になって生まれたわけではないわけです。牧師の苦悩はずっと以前から続いていたのかもしれません。
エルンスト・トラ―牧師は正しい道を歩んできた人物ではないのです。
悪い人間ではなく真面目で良い行いをしようと努力してきた人ではあるのですが、それだけに余計にやっかいです。
敬虔な信仰者であるという自負もあります。上司からは「きみは祈り続けすぎている」という奇妙な苦言を呈されてしまうほどです。
「キリストでさえそれほどまで悩みはしなかっただろう」とまで言われます。
エルンストは間違いを犯し続けているのです。
妻の反対を押し切って息子を戦争に行かせ失ってしまった。
よき伴侶だった妻と別れ今も手を差し伸べようとする彼女を振りほどき愛らしい人妻に心を寄せている。
病に侵されている自分の体を癒すことを怠り死へと近づいてしまった。
自然破壊を阻止しようとするテロリスト(メアリーの夫マイケル(これも天使の名前))に感化され自らテロを行おうとしてしまう。
エルンスト・トラ―は真面目な人間であり敬虔な信仰者であるがゆえに深く悩み苦しみ逆に怖ろしい自虐の道をひた走ってしまう。
テロのための自爆ベストを身につけたエルンストはあわやというところでメアリー(聖母マリア)の姿を見てとどまり代わりに鉄条網を自分の裸体に巻き付け血を流して痛みに喘ぎます。
血をにじませた白服を羽織りトイレ洗浄液を飲んで自殺しようとした彼の前に再びメアリーが現れます。
今まで抑えつけていたものがはじけ飛んでしまったかのように二人は抱き合い貪るようなキスを繰り返し続けます。
メアリーが強く抱きしめる白服の下にはまだ彼の裸体を締め付ける鉄条網は巻き付けられたままなのでしょうか。
果たしてエルンスト・トラ―は正しい人なのでしょうか。
そうではないでしょう。
それでも彼と同じように私たちは考え苦しみ続けます。
「どうしたらより良くできるのだろうか」と。
彼は常に祈り続け苦悩し続けそして間違え続けてきました。
彼は私たちなのです。
エルンストはジェファーズ牧師に諭され反論します。
「では神が私たちを試しているというのですか?神がわざと破滅へ導いていると?」
「一度試されたじゃないか。ノアの箱舟の時に」
ちょうど今世界はコロナウィルスで破滅されそうになっています。人々は怯え外出を控え必需品以外の購買を控えています。
その結果、ベネツィアの水がきれいになり、あちこちの観光都市が清潔になったと聞きます。
なんということでしょう。
これが答えなのでしょうか。
では神が人間のせいで汚くなった地球を綺麗に清潔にするためにあえてコロナウィルスを発生させたというのでしょうか。
『風の谷のナウシカ』でも菌類が地球を清浄化しているという答えがありました。
『ブラックジャック』では「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という台詞が多くの人の心に残っています。
それでも私たちは常に苦悩し彷徨い続けるしかないのだと私は思っています。
かつてトラヴィスに共感したように今トラーを見てしまいます。とても辛く悲しい気持ちですが。