ガエル記

散策

コロナウィルスで世界は変わる

まさかこんな事態が起きるとは誰も思っていなかったのではないでしょうか。数人の予言者はいたのかもしれませんが他人が本気にするまでには至らなかったのです。

私は知識も考察力もありませんがそれでもこの「コロナウィルス」によって世界が大きく変わってしまうことだけは確実になってしまいました。

後はこの「コロナウィルス」がどれほど続くか次第です。

 

今すぐ、もしくは一か月以内にコロナに効果的な治療薬・ワクチンが作られ早期に解決することになっても今後世界中の人々はもう安易にスケジュールを組むことができなくなってしまいました。

それが大規模なイベント―オリンピックのような多大な予算がかかるものほど収益よりもリスクを先に考えてしまうでしょう。

ライブハウスのような小さな集まりでも劇場のような大きな集合でも常に新しい疫病の予感をせずにはおられなくなります。

今回は老人や病人に被害が大きかったのですが次の疫病の被害者が子供であるか、青年であるか、は誰にもわかりません。

 

しかしこれはまだ甘い予想です。

コロナウィルスがそんな早期に片付くものとは今誰も考えていないでしょう。

(日本人はどうかわかりませんが)

中国はおさまりつつあったのに逆輸入の流れに入ってしまったようです。ヨーロッパは今最も吹き荒れている状態のようですが、アメリカはこれからもっとひどくなっていくように思えます。

南米やアフリカ、オーストラリアなどは今後襲われていくような予感がありますし、人の流通がある以上根絶やしにするには時間がかかりそうです。

 

では自国・日本は?

これは逆にどうなるのか、よく判らない奇妙な感じがします。

しかしたとえ日本のみがあまり影響がない(そんなことがあるとして)としても世界中にウィルスが蔓延していることを無視して行動できるはずがありません。

 

ウィルスによっていつどこで誰が侵されるか判らない、という恐怖を実際の生活に当てはめていきましょう。

プライベートスペースを無視した現象をまずなくさねばなりません。

長い間狭い空間に居続けることも避けましょう。

それを思えば満員電車での苦痛、痴漢被害はなくなります。意味のない長い会議もウィルスが危険です。日本政府が推し進めようとしているカジノ法案(IR)もあり得ません。会社での残業もウィルス対策として無くさねばいけません。

大人数がどっと押し寄せることがなくなり、公害は薄まり街の景観は綺麗になり清潔にていきます。

公共衛生は厳格に守られていきます。

見知らぬ人々との接触は嫌悪されていくでしょう。

学校でも授業が短縮化され、まだ遠い未来の話と思われたインターネット授業が当たり前になるのが早まりそうです。

 

思えばSF世界というのは昔考えられていたものでも他人との接触を極端に無くしたものです。

諸星大二郎氏の他人と溶け合った世界もありますが)

握手やキスではない挨拶ードクタースポックの片手をあげて中指と薬指を離すーとか個々にカプセルにはいって休む、といったものはそうしたSF社会でもパンデミックによる改善方法として確立していったのかもしれません。

SF未来がなんとなく孤立した社会に見えるのは疫病対策による現象なのかもしれないのです。

 

インターネットはますます当たり前になっていきます。

会社や学校は出来得る限りネットで行われるものになるでしょう。コンサート・演劇・ライブなどもネットによる鑑賞になります。

接客、という形式もその種類にかかわらず可能な限り店員と来客を隔てたものになっていくでしょう。まさしく人と接触しなければならない職業も変化せざるを得ません。

例えば美容師なども店も客もどちらも恐怖を前提としなければいけないのですから。

 

飲食業はテイクアウトが主流になるのでしょう。

どんなカテゴリの場所でもその場に集まって飲食する・施術を受ける、というものはリスク対策のために高額になっていかざるを得ないでしょう。

 

映画鑑賞など今でも映画館は下火ですがますますネット配信が主流になってしまうのはもう明らかです。

それを考えれば末期であるテレビが復活するかもしれませんがスタジオに多人数が集まる方式はなくなるので現在よく見るワイドショーやエンタメ的なものは変化するでしょう。

個人個人が我が家にいながらのネット交流スタイルは当たり前になっていきそうです。

ただでさえ男女交際は減少傾向にあるのがより下降線をたどっていきそうですが、犯罪は防げるかもしれません。

実際に会うことが少なくなるので暴力は減るのではないでしょうか。

 

逆にアダルトコンテンツは求められ過激化悪化してしまいそのうにも思えます。(これは出来得る限り予測しての制限を求めたいものです)

 

人間は様々な戦争や病気や貧困などの困難を克服してきたかに思えました。現在の問題も努力すれば克服できるようにも思えていましたがひとつの疫病でここまで世界が混乱してしまうのです。

まだまだ人間はなにも克服できてはいないのですね。

コロナウィルスで世界はそれ以前とすっかり変わってしまうのです。

それ以前のように何も考えず行動はできなくなってしまいました。

イベント・集会・交通、多くの人々の楽しみはリスクの上でしか行えないのです。

 

多くの犠牲が生じました。悲しいことです。そしてコロナが沈静しても新しいウィルスへの恐怖は常に存在し続けるでしょう。しかしその分世界は少し清潔になり綺麗になり社会状況は改善されていくかもしれません。

宗教も変化せざるを得ないでしょう。

それはどちらがいいかというような選択ではなく確実な未来です。