太平洋戦争期、実際にあった生体実験に関わった二人の若い医師の心を描き出していく。
遠藤周作原作小説を映画化したものです。
テーマからして重々しく謹厳な面持ちで鑑賞するべきものですが、ふたりの若い医師、勝呂=奥田英二、戸田=渡辺謙のほんとうに若々しい初心な佇まいであるのと、ふたりが勤務する戦争中の病院が海辺に在り(現・九州大学だからね)案外のんびりとした牧歌的な日常の光景に一種憧れを感じてしまいました。
先鋭的で抜け目のない頭の良さを持つ戸田(渡辺謙)とおっとりとした人の好さの勝呂(すぐろ)(奥田英二)仲がいい、というわけではありませんがこの怖ろしい場所に同じく居合わせたために嫌でも互いを見つめ合わねばならない、という関係なのかもしれません。
勝呂は病棟のひとりの初老の女性患者を特別に気にかけ「おばはん」と呼んでなにかと世話をする、というちょっと風変わりな青年でもあります。
優し気な九州弁を使う朴訥とした勝呂と対照的に関西弁で立ち回りが上手く頭が切れる、といった風情の戸田のふたりの青年の描き方がなんとも魅力的で映画のテーマにそぐわない感情で見惚れてしまいました。
B29乗組員だった捕虜をつかった生体実験(麻酔はするが生きたまま解剖手術をして死亡させる)の手伝いをするように命じられた二人はそのまま対照的な反応と行動を示していきます。
実験手術中になっても怯え続け出ていこうとする勝呂に戸田は「嫌だったらいつでも断れたはずだ。おまえはもうこの実験に加担しているんだ」と言い放つ。
そして戸田は一向に恐怖も自責も感じない己を不思議と思う。
ちょうどNHKで放送された『100分de名著』の『罪と罰』の動画を先日観たところでした。
勝呂は罪を感じて怯え、戸田は罰さえなければいいではないか、と考えているのです。
状況は違えど私たちはこうした戸惑いに何度も突き当たるのではないでしょうか。
ところでこの映画の手術場面があまりにリアルで1980年代の映画技術としてできるのだろうかと疑問を感じましたが、その理由を知って愕然としました。
それはこの映画自体のテーマと重なりはしないのでしょうか。
人間というのはほんとうに怖ろしい動物です。
結局この映画の製作者たちも捕虜は殺されるのではなく生かされるのだ、と言ってのけた戸田と同じではないのでしょうか。
それを観てしまった自分も悔やまれます。
時代のせい、といってもすべての映画がこうした犠牲を作っているわけではないし、手術場面で臓器を見せる必要もないわけです。