ガエル記

散策

新型コロナウィルス大戦生活

新型コロナウイルス感染が始まってから世界はまったく変わってしまいました。そしてもう元の世界に戻ることはありません。奇跡的にこの感染が収まってももう人類は別の新型ウィルス感染を意識せずには生活できないはずですし、そうならなければあまりにも愚かだからです。

しかしその危惧はあまりに早すぎですね。いまはまだまだこのウィルス感染期のまっただなかにいるわけで日本では一旦収まってきたかのように言われてはいますがそれが本当なのかどうか少しも信じる気になれません。

多くの人が言ってるようにこの新型コロナウィルスとはずっと長く付き合っていくことになってしまうのでしょう。現在すっかりあってあたりまえになったインフルエンザが毎年型を変えながら襲ってくるように、と思えば当然です。

それはいつ自分が感染して重症化し死んでしまうかもしれない、という危険と隣り合わせです。

それでも私たちはその中で新しい生活環境を考えていかねばなりません。

 

現在も感染して苦しみ、亡くなった方もおられることを悼みつつ発言するとその世界は私たちに今までとは違う新しい希望ももたらしてくれる気もします。

ネットで幾つかの言葉を読みました。

「むしろ今のほうが生きやすい」

「話さなくて済むし接触がないのも気楽」

もちろんそれゆえの犯罪も起きてしまうので単純には喜べないのですが、確かに私も以前より少し気楽になっています。

ほとんど外出してこなかった私ははっきり言って今までの生活と全く変化していません。旅行もパーティもコンサートも映画館にも行かない生活をしてきたので何も変わらないのです。

困るのは図書館が閉館していることだけでしょうか。

外出はスーパーとドラッグストアでの買い物だけで生きてきましたし、後行くのは病院と銀行と郵便局くらいでしょうか。

外食はしますがラーメン店かうどん店に半時間もいないくらいです。

友人もいないので喫茶店でゆっくりおしゃべりなんていうことは何十年もしていません。

スーパーなどでほっとするのは今はペイペイで支払いをしてしまうか、それがないところでも手渡しではなくて必ずトレイで返してくれるようになったことです。

以前は手を握るように渡されたり、逆に触れたくないのか投げるように渡されたりするのが両方嫌だったのでトレイでの返金は心底ほっとしています。手渡しを要求している変なオヤジがいるようですが一体なんなのでしょうか。

 

日本で一向に進むことのなかったリモートワークや学習もこの機にやっと前進できるのでしょう。

自分たちで解決できなかった問題が恐ろしい感染症によって劇的に改善していけるのは皮肉にも思えますが強い力を持つ外部の侵入がないと変化できない日本人の本質をまた観てしまったのです。

悲しい事実ですが先の大戦しかり、ということです。

 

なんと酷いことを言うんだ、と怒りを買うかもしれませんが仕方ない事実です。

しかもこの新型コロナウィルスという戦争はいつ終わるか誰も判らない戦争でいつ私も凶弾に倒れるか、それも誰も判らないのです。

第二次世界大戦は終わりましたが第三の世界大戦は終わりがないのかもしれません。

 

私たちはこの世界大戦の中をずっと恐怖とともに生き延びねばならないのでしょう。