ガエル記

散策

もし『トーマの心臓』を映画化するのならば

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ふたりが帰ってきた直後たそがれるオスカー

萩尾望都の名作『トーマの心臓』何度読み返したかはわからないマンガです。

非常にくだらない考え方かもしれませんが萩尾望都がその実力を思えばとても価されない評価しか与えられていない気がするのですが、その理由のひとつは日本人が登場しない外国の物語をずっと描き続けたことではあるのでしょう。

今ではかなりそうしたマンガ作品も増えてきましたが1970年頃にそうした作品は皆無と言っていいのではないでしょうか。

小説はもとより少年マンガでそうしたものはほとんどなかったでしょうし、少女マンガという閉ざされた世界の中で少女の夢物語的な価値観で捉えられていたように記憶します。

(そんな中で話題となった『ベルサイユのばら』『キャンディキャンディ』は破格ですがその話は別に譲ります)

萩尾氏は本人のインタビューでも何度となく「自分は現代日本を舞台にした世界をどうしても描けず自由に考えるためには外国ものかSFでなければならない」と言った旨を語っておられるのですが、日本社会(他の国もまたそれぞれにそうではありましょうが)では外国ものやSFが受けるのはなかなか困難でどうしても「現代日本」を描く作者でないと評価されにくく映画化やドラマ化されにくいという枷があります。

萩尾氏の作品でテレビドラマ化されたのが『イグアナの娘』なのは珍しく現代日本が舞台になっていたからでしょう。

その上でも『11人いる!』=SF、『半神』=外国もの、が舞台化されまた非常に話題になっていることはものすごいことなのだと思っています。

私としては何故『ポーの一族』がアニメ化されないのか、どうして『バルバラ異界』を実写映画化しないのか、といつも叫んでいるのですが。

 

さて前置きが長くなってしまいましたが

「もし『トーマの心臓』を映画化するのならば」

です。

これはそのままの内容でアニメ映画でもいいし、日本に置き換えた実写映画でも良いと思っています。

 

以下、ネタバレになりますのでご注意を。 

 

 

 

連続テレビものなら作品をそのまま移し替えることもできるでしょうが映画にするのならどの部分かを中心に置き換える作業をしたほうがいいのではないかと考えます。

その場合『トーマの心臓』のどこを中心に切り取るかとすればエーリクの母親が急死し、彼が寄宿学校を飛び出して実家に帰ったのをユリスモールが連れ戻しに行く、という部分なのではないでしょうか。

 

この箇所はエーリクとユリスモールがふたりきりになって旅をし成長する、という重要な場面ですし、寄宿学校という変化の少ない物語の中で非常に動きのある部分です。

エーリクはとても子供っぽく感情が爆発してしまう少年です。母の死に動揺して後先は考えず学校をやめるつもりで飛び出して実家で暮らそうと思っているのですが家はすでに他人に売られていると弁護士に告げられます。そこへユーリが入ってくるのですが短気なエーリクはかっとなってユーリにお茶の入ったポットを投げつけポットは壁に当たって割れます。

弁護士は太っちょちょび髭でいわゆる雑魚キャラ的に描かれているのですがこの弁護士はエーリクを叱りつけ「迎えに来た友人になって態度だ。きみはまだ1ペニヒも稼いだことがないのに高価なポットを平気で割ってしまう子供だ。君は教育をうけにゃならん」と言い渡します。この言葉にエーリクは赤くなって恥じ入ります。

こうした小さなキャラクターに重要な言葉を言わせてしまうのが萩尾氏の凄いところだと私は思っています。

ふたりきりになる列車のなかで黙って詩集を読むユーリにはじめ苛立つエーリクですがでも・・・と思い直します。

ふたりは列車の乗り継ぎを間違えてしまい仕方なくユリスモールの実家に一晩泊まることになります。ここでエーリクはユリスモールが「差別されている人種の子供」であることに気づきます。

アメリカで大変な問題になっていることや日本でも「差別されている対象」であることがどんなことなのかを考えればユリスモールの苦悩を思いやることはできるはずです。

そしてユーリの家に向かう途中で出会う八角眼鏡の男。突如登場するこの男こそユリスモールの苦悩なのですが実体としてはこの僅かな出番しかない、というのも驚きです。

彼の出現でユーリは普段には見られない取り乱し方をします。

 

トーマの心臓』のキャラクターとして最も魅力的な存在はオスカーですが、結局彼は傍観者として描かれ陰と陽の対照的な存在であり欠落した人格であるユーリとエーリクが互いに成長していく、という構成になっているのも萩尾世界の特徴なのかもしれません。

他でよくあるのは絶対的理想キャラであるオスカーのようなキャラがふたりを導き癒すという筋書きですが一方的なものではなく相互に影響し合うのを見つめている存在にオスカーを当てはめているのが本作なのです。

 

寄宿学校を飛び出した学友を連れ戻しに行く委員長。そのふたりの短い旅の物語部分を中心にした映画を作れないものでしょうか。

実写ならばドイツ舞台はなかなか難しいので日本に置き換えてもとても良い映画になるように思えますし、まあアニメならば問題はないのですが、日本舞台の実写映画にしても味わい深い作品になると思うのですが、どなたか是非ご検討願いたいものです。