昨日ツイッターであるマンガ家氏が自作品の説明をしていました。
「このマンガは主人公少年の成長を描いたものです。最初はダメな奴だったのが様々な出会いと経験の中で学んでいきます。彼は女性アイドルタレントと同級生の女の子を好きになるが最終的に同級生の女子を選ぶ。もし彼がアイドルを選んでいたらこの作品はダメになっていたと思う」と。
私はこの作品をまったく知らないし、読むつもりもないので作品として批評はできません。なので作者名も作品名も伏せたままこの説明のみで考えたことを書いていきます。
単純に日本の物語のなかで日本男性が「アイドルタレントの女の子」と「同級生の女の子」(つまり作者はアイドルに比べれば容姿も劣るしセクシーでもチャーミングでもない平凡な女性だと言っているのでしょう)を比較して「アイドルタレント女子」を選ぶことはほとんどない、と思います。
作者は男性はなによりも女性に「美しいか」「可愛いか」「セクシーか」「ぐっとくるのか」を求めるものだ、という欲望があるのにもかかわらず自分が作り上げた主人公男子がそれよりも「性格が良い女子」「安らぎを感じさせてくれる女子」「自分を幸せにしてくれる女子」を選んだ、ことに満足を得ているのです。
これは無論実際の作品を知らない上であえて言っているのですが、なぜならこうした「可愛い顔やナイスバディという見かけよりも優しさや安らぎを持っている女子」を選ぶ男子を素晴らしい、という思考そのものに私は疑問を持っているからなのです。
良い容姿よりも良い性格を選ぶ、というのは「偉い」ことなのでしょうか。
ここに書いた「良い容姿」も「良い性格」も「偉い」もすべて何を基準にするか、になってしまいますがあえて一般論で押し通してしまいます。
先に出した主人公少年は結局自分の幸福のために「性格の良い女子」「安らぎを与えてくれる女子」を選んだにすぎないのではないでしょうか。
もしその選んだ女子が「他に誰からも好かれないような容姿」の持ち主であり、「誰からも好かれないような嫌な性格」であり「病弱」(つまりこどもは望めず)で家族にも多大な問題を抱えているにもかかわらず彼女を選んだのですよ、というのなら確かに「偉い」かもしれませんが何の問題もないごく普通の女の子で普通にやさしい、というのであれば多くの日本男性は「アイドルタレント」よりも「普通の女子」を選ぶものです。
実際、現実でもマンガでも小説でも主人公男性がアイドルタレントと結婚した恋人にした、という結末はほとんどありません。なぜならアイドルタレントであり続けるのなら恋人・夫になる男性はほとんど相手にしてもらえないからです。仕事は忙しく男性のためになにかをしてくれることはできないし、アイドルを辞めてしまえば彼女が同じように愛らしいままかは未知数ですし家事ができるかどうかはほぼ期待できない。
女性に対して家事育児を求めるのが基本になっている日本男性がアイドルタレントを妻や恋人にしたい、わけがないんです。
せいぜい少し付き合った、くらいが理想でしょう。
つまりはその主人公はアイドルタレントと「少し付き合って」自分を幸福にしてくれる「普通の女子」と結ばれるという日本男性として一番当たり前のしごくまっとうな単純な行動をとっただけです。
果たして「アイドルタレント」を選らばず、「普通の女子」を選ぶのはそんなに男性として立派なことなのでしょうか。
もしかしたらアイドルタレント女子の方が辛いこともいっぱいあるかもしれません。なにしろ厳しいショービジネスの世界で戦っているのです。
アイドルのほうが普通の女性よりも助けて欲しい、と願うことが多いと思えます。なぜ彼はそんな状況にいる彼女を助けようとしなかったのでしょうか。
結局面倒だから、ではないんでしょうか。
普通の女子であればそんな面倒はありません。自分のためにお弁当を作ってマフラーを作ってくれる、そんな幸福を願っただけにしか思えないのです。
主人公の少年は最初ダメダメだったけど成長した。つまり最初は可愛い、だけで好きになっていたのに経験を積む中で自分を幸福にしてくれる女子はどちらかと計算できるように賢くなった、ということですね。
何故少年のほうが女子を助けようとはしないのでしょうか。
可愛くて好きになったのならその女の子がどんなでも命をかけなさいよ。
自分に優しくしてくれる女子を選ぶように成長した。
確かに「偉くなりました」ね。