ガエル記

散策

『白夜』ルキノ・ヴィスコンティ

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なんだろう。

昔の映画って「これって正気なの?」と思わせてしまう異常性があります。

他の方のレビューを見ると「ベタベタのラブストーリー」「よくある純愛ドラマを名作にしているのが凄い」というような感想が多いのですが私にはとんでもない不条理作品としか思えないのですが違うのでしょうか。言えばつげ義春マンガのようなわけのわからなさが漂っていて、それは嫌なものではなくて「なんなのこれ」と言いながら観て行ってしまう不思議さがあるのです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

ヴィスコンティが初めてセットで撮ったというせいもあって余計に不自然な感覚が増していて不気味といってもいいのですがそれがぞっとしながら観てしまう感があります。

主演のマストロヤンニだけがまともな人間に見えるんですが、それ以外の登場人物はなんともヘンテコな造形物にしか思えないのは何故なんでしょうか。

 

まずはヒロインのナタリア(マリア・シェル)が理解不能です。

超ハンサムのマリオ(マストロヤンニ)がぞっこん惚れ込むには庶民的というか綺麗なのかな?とちょっと考え込んでしまう容姿なのですがハンサムは案外こういうものかもしれん、と自分を納得させつつ観ていくのですが冒頭で大泣きしているところから始まって感情が不安定で突然大笑いしたりまた泣き出したり。かつてのヒロイン描写は「女性は謎」的なものが多かった気がしますが今見ると精神の異常を思わせる気がします。

実際そうなのかもしれません。

そしてもちろんマリア・シェルは美人なのですけどね。

 

未読ですがドストエフスキーの小説を原作に白夜のないイタリアを舞台にするために雪の降る夜を「白夜」だとしたのでしょうか。

 

愛の誓いを信じて待ち続けるナタリアを恋い慕うマリオ。彼女の待ち人が来ないことを願いながらマリオはナタリアの心が自分に向くことを待つ、と告げるのですが雪が降った夜ついにナタリアの思い人が現れてしまいます。

マリオは「さあ行くんだ。短い間だったけど幸せだった」と涙を流します。そしてナタリアは彼の元へ走りました。二人が強く抱擁し歩み出すのを見てマリオは去っていきます。

 

ナタリアが恋焦がれる相手も奇妙な男です。これも美男子で名高いジャン・マレージャン・コクトーが愛した男性ですね)ヴィスコンティ自身も同性愛の要素を濃く持っていた方だけにジャン・マレーをこの役に起用する意味を考えてしまいます。

同じ美男子といってもマストロヤンニの甘い優しいハンサムと違ってマレーの顔のいかめしさは少女が恋する男の容貌にはちと怖すぎる気がするのですがこれで問題はなかったのでしょうか。

もうちょっと普通の男、マリオが見て「なんだあんな奴か」というほどの容姿でもよかった気がしますがヴィスコンティの感受性が許さなかったのでしょうか。

 

マリオにちょっかいを出す街に立つ娼婦もとても不思議な存在です。怯える顔が印象的で絵画のようです。

 

この映画の魅力はこうした虚構世界を描き出すために作り上げられた街そのものです。小さな川と橋のある石造りの街並み寒さに雪になるのですが雨が多いのか水が溜まっている路地、そこを歩く男と女。次の夜に再会を約束しあう。

小さな世界を彷徨う恋人たちとその心移りを描いた作品でした。