ガエル記

散策

『日本のいちばん長い日 』2015年版 原田真人

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英語タイトルは監督自らつけた『THE EMPEROR IN AUGUST』だそうですが、そうなるとますますこの映画の焦点はどこにあるのかわからなくなります。どこに焦点があるのかわからないのがいかにも日本的とは言えますが。

 

1967年版の焦点は戦争の終結時において大日本帝国軍人の怨霊が最期の呪詛に狂乱する様を描いたものと見えましたが2015年版は戦後70年、前作品からは50年の月日を経た日本人はまったくなにも成長できていない無様さを露呈してしまったように思えました。

 

かつて日本映画は世界にもその名を知られていましたが、それは質の高い映像美があっただけではなく気迫と深い哲学があったからだと私は思っています。

現在の日本映画界とそれを眺めている日本人は過ぎ去ってしまった栄誉を懐かしむのみです。

原田真人監督は岡本喜八監督作1967年版に対し「(陸軍大臣の)阿南さんの魂の相剋(そうこく)の描写も物足りなかった」と述べられているようですがそれこそが岡本監督の本意なのに違いありません。

一方、原田監督は阿南を家族思いの優しい父親でありまじめな夫であるという説明描写を入れ「そんな善人であった阿南惟幾の葛藤」として切腹に至りますが、家族との関係に重きを置いたせいで三船版と違って部下とのつながりが希薄となり私には却って

「何を考えているのかよくわからない愛情の薄い男性」と映ってしまったのでした。

三船=阿南のほうが「馬鹿野郎」の声も一発の重い拳固も「おまえたちが日本の未来を作るんだ」の問いかけも人情味あふれるように感じました。

 

それにしても切腹場面って何度見てもすごく滑稽に思えてしまいます。岡本版はその滑稽さが活かされているわけですが原田版の切腹にはその意義を感じません。

しかもその後その遺体に向かって愛妻が語りかけている場面がよりいっそう滑稽でますます狂気を感じました。

これをおかしいと思わず映画を撮っているのならやはり日本映画はもう駄目なのかもしれません。

 

上にあげたポスターも何の美的感覚もない登場人物をてんこ盛りにして文字をこれでもかと乗せたデザインです。

日本人には哲学も美を感じる心もなくなってしまったのです。

 

この映画は確かに日本人が描かれています。

何もかもよく判らないままで過ごしている日本人の姿です。

戦後20年の岡本喜八監督は凄まじい気迫で日本をたたっ切りましたが戦後70年原田監督はまた元の腑抜けに戻って日本をよしよししています。