ガエル記

散策

なにがいちばんたいせつなのか


東大教授と語る「このハゲ~!」騒動から3年経過の豊田真由子さんの記事を読んで。個人の持つ暴力性を個人レベルで叩いても意味が無い理由。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。

一月万冊、観まくっています。安冨教授の話、感心するばかりなのですがこの動画は特に安冨さんの話を理解しやすい回だったのではないかと思います。

豊田真由子氏の罵倒事件は多くの人の記憶に残っているものでしょう。その彼女が実は凄い努力家でここまで登ってきた女性だったと。それがあの罵声で日本中から嫌われてしまうことになってしまったが、彼女の周りには支えてくれる人たちがいた。そして彼女は「ここであきらめてしまったら娘たちに「努力は結局無駄になってしまうってことじゃない」と思われてしまうことだけが心配だった。そうではないことを証明したい」

と表現しているようです。

「人のために頑張りたい」と働いていた豊田氏が頑張り続けた結果人を罵倒してしまい、どん底まで落ちてしまったが「再び人のために頑張りたい」と復活する。

これを立派な女性として「婦人公論」が記事にしたということです。

 

news.livedoor.com

この記事を読んで素直に感動感心してしまう日本人は多いのではないでしょうか。

私自身、先に安冨・清水両氏の意見を聞いていなければどう思っていたのか、判りません。

しかし豊田真由子氏のこの「立派な考え」こそが日本の「奇妙な思考」であると両氏は示唆しています。

記事の中にも豊田氏に対して「料理洗濯掃除など、つまらないように見えてもとても大事なことです。心を込めて打ち込んでください」と助言している人がいるのですがそこでも彼女は結局間違った方向へと思考を働かせてしまいます。

 

私の母は、どんなことがあっても、どれほど体がつらくても、一日も欠かさず、朝早く起きてお弁当を作ってくれました。

 

なぜ彼女は極端に走ることを理想とするのでしょうか。

時にさぼり、いや弁当作りが苦手なら別の方法をとってしまうのも一つの手段であって助言者はそこまで追求したわけではないと思うのですが、彼女は究極を選択してしまうのです。

彼女は常に自分を追い込んで「どんなに辛くても頑張る」という域に達しないと自分に及第点があげられないのです。

 

秘書を罵倒した記憶が彼女にはない、とここに記されています。あそこまで罵倒をした覚えがないというほど追い込まれた状態に彼女はなってしまったのですが、それ自体がおかしいことです。あの時期、「なぜ彼女はここまで追い込まれてしまったのか」という検証をした人たちはいたのでしょうか。

 

そしてそんな状態になってしまう政治家に果たして「良い政治」ができるのでしょうか。

 

日本と言う国は一途になって働き詰めることを尊しとする考えがあり、それで追い詰められ自殺してしまう話があふれています。

 

人間はなにを理想とするべきなのか。

幸福とはどういうことなのか。

 

安冨・清水両氏の語り合いを聞いていると

「何が一番大切なのか」

を考えさせられるのです。