ガエル記

散策

『レッドタートル ある島の物語』マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット

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昨日一度書いてあげていたのですが、考えが変化して書き直します。

もともとの文章はこの作品の技術の高さを褒めていたのですが、作品を好きになるかどうかはそこではない、と思い直しました。

 

先日観た台湾アニメ作品『幸福路のチー』とは比較にならないほどの高品質アニメ―ションであるかもしれませんが泣いてしまうように心に響いてくるものは何もない作品なのです。

確かに海や星空や島に住むカニや亀や人の営みは美しく描かれていて自然への畏敬を感じるかもしれませんが物語に「驚き」がありませんでした。

 

ひとりの男が(嵐と無人島からイメージされる)人生の困難と一人の女性と出会って恋をし子供を産んで夢を託す、という物語は誰からも共感される普遍的なものであるように思えます。

しかし本当にそうなのでしょうか。

本作は主人公が男性であることもあってこれまで多く語られてきた「よくある英雄譚」のひとつのパターンであるようです。

主人公が敵と戦い「姫」を手に入れる、という筋書きです。

それに比べ『幸福路のチー』はどんなに頑張って戦っても「王子」を手に入れることはできませんでした。「王子」はチーに「子供は欲しくない」と拒絶したからです。

これを『レッドタートル』に当てはめてみましょう。

男女は出会いましたが亀である女性は子供を産むことを嫌い二人に子供はできません。

本作の筋書きは途中で終わってしまいます。

 

しかしそれでもいいのではないでしょうか。

 

本作は労作であるにもかかわらず観客動員が少なかった、と聞きます。

それを「おかしい」と嘆く人もいますが、人の心は案外正直なもので観客動員が少なかったのはそれなりの原因があるものです。

本作の「自然はこうあるもの、人間はこうあるべき」という作品の定義が今の観客にはうるさい押し付けに思えたのではないでしょうか。

 

現在の若者は必死で戦っても異性と結ばれることは少なくそれ以上に子供を作れることは稀になっています。

また同性をパートナーにする場合もあります。

 

男女が惹かれ合い結ばれ必ず子供が生まれる、とした本作品は現代の人々(特に若者)の共感を呼ぶことができなかったのです。

 

特に今世界はコロナ禍にあっています。無人島であれば被害はないわけですが、ここで男女どちらかがすでに感染していた、という設定もできてしまいます。

両方が死ぬか、片方だけ生き残るか、子供が生まれた後、二人が死ぬという筋書きもできてしまいます。

 

『幸福路のチー』であればコロナ時代となっても彼女たちはどうにかしていきそうに思えますが『レッドタートル』ではどうでしょうか。

すでに「普遍的物語」ではなくなってしまいます。

 

ごく当たり前の男の人生を描いたようでいてそれはかつての古臭い物語となってしまったのです。

共鳴できない作品に観客が少なかったのは当然なのです。

 

文字通り主人公の男は無人島から出られなかったのです。

現在と未来を知らない男だったということなのでしょうか。

 

 

この作品はいわゆる「〇〇女房」といった昔話を下敷きにした人生の寓話であるのでしょう。

人生の嵐に会った男は誰にも頼れない(無人島)で一人の生活(戦い)を始めなければなりません。

男は出会った赤い亀を最初敵とみなし攻撃しますが、思い直して介護をするとその亀は美しい女性となって二人は恋に落ちます。

やがて二人に息子が誕生し、成長した息子はやり遂げることができなかった父親の意志を継ぐように島を出ていきます。

それを見送った男は白い髪となり年老いて死にます。それを看取った女性は亀となって海に戻ります。

 

とても