ガエル記

散策

『マイケル・ジャクソンの思想』安冨歩

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マイケル・ジャクソンが1992年10月に行ったブカレストのライブを中心に収録されたライブDVDからの考察でありました。

 

急遽このDVDを購入して読みました。

 

以下ネタバレになりますのでご注意を。

 

 

購入する際amazonでのレビューが目に入りました。もともと安冨教授の著作を読むための購入なのでレビュー評価は関係はないのですけれど。

そこに書かれていたのは「とにかく編集が酷い。マイケルのパフォーマンスを見たいのにすぐに観客に切り替えてしまう。歌が始まってマイケルをじっくり観たいのに何度も観客の大きな口を見せられてしまう」という主旨の不満でした。特別な理由がなければ購入を止めてしまいそうですね。

事実購入したDVDではマイケルの姿以上に観客の叫ぶ姿、感極まって失神しスタッフに連れ出される姿恍惚となってマイケルに向かって手を伸ばしその名を呼び泣き出し悶え狂う大勢の白人の姿がこれでもかと映されています。確かにマイケル自身より騒ぐ観客の映像が多いようにすら感じてしまいます。

 

しかしそんな不出来のDVDを安冨教授は何故題材にしたのでしょうか。

それは著作を読み始めればすぐにわかります。

 

それは「はじめに」の部分ですでに書かれています。

 

マイケル・ジャクソンは救世主である

 

救世主という言葉はよくスターに掲げられるコピーですが、マイケル・ジャクソンはまさしくそのとおり

「神の言葉を告げる預言者

であり彼自身そうであろうとしたに違いありません。

そしてこのDVDはマイケルが「世界を幸福に導く預言者としての軌跡」の記録として作り上げたのです。

そのためにもマイケルはこのDVDに単純に自分のパフォーマンスを映すだけでなく観客がどれほどマイケル・ジャクソンという預言者を崇め信奉し酔い痴れたかを記しておきたかったのです。

 

ですから「編集が酷い」という感想は本人にとっては残念ながらそうであったとしてもマイケルの目的としては見当違いなのです。

DVDはライブ・イン・ブカレストと題されながらも他の映像まで切り張りで編集されているようなのですがそこまでしてマイケルは完璧な「救世主としての記録」を製作したかったのでしょう。

私が上に

「マイケルに向かって手を伸ばしその名を呼び泣き出し悶え狂う大勢の白人の姿」

と書いたのも奇妙な表現なのではなくマイケルにとって

「白人たちが自分を救世主として崇める」

という構図は絶対必要なものでした。

しかもその白人たちは黒人であるマイケルを求めて狂ったように泣き叫んでいるのです。

ライブ中ステージに招き上げられマイケルに抱きしめられた少女は離れたくないとすがりつきスタッフに担ぎ上げられてしまいます。

安冨氏によるとこの映像も別のライブの切り張りとのことですが、それは実際のブカレストの少女がすんなり客席に戻ってしまったためより表現の激しいその映像を使ったというわけです。それほどまでマイケルは人々が自分を求めているという記録を残したかったのです。

 

なんとなくマイケルが過剰に自分をカリスマに作り上げているという文章を書き続けてしまいましたが、マイケルがそこまで自分の評価を高めたかったのは今現在のアメリカのいつまでも終わらない黒人差別と暴動を見れば当然とも思えます。

「あの娘が消えた」「ブラックオアホワイト」にはマイケルとテイタム・オニールとの失恋が関わっていると安冨氏は記します。

マイケルの初めての本格的デートの相手はテイタムという愛らしい白人の女性でライブステージで抱きしめる女性も白人が多かった、というのもマイケルの志向する愛情がどこであるかを語っていると思えます。

 

ここで語るのもはばかられますがマイケルが小児性愛で訴えられた映像でも相手の少年がほとんど(もしかしたら全部?)白人それも色素の薄い子ばかりだったように思えます。一番の話題となったマコーレー・カルキン君は綺麗な金髪の少年でした。

 

さらに安冨著から離れますがマイケル自身が漂泊したように色が白くなっていったのはどういう考えだったのでしょうか。思うと心が痛みます。

 

マイケル・ジャクソンの思想』で安冨教授は書き記します。

「小さな場所を作り、より良い場所にしよう」

これが世界を変えるためのマイケル・ジャクソンの革命の戦略である。

と。

すばらしい言葉であり真実だと私も思います。

さらに安冨氏はマイケル・ジャクソン革命は「子ども革命」であると語り、DVDのマイケルは世界をより良くしていこう!と高らかに謳い上げていきます。

 

安冨歩氏は当時のブカレストー独裁者チャウシェスクを打倒したばかりのルーマニアが迎えたマイケル・ジャクソンコンサートがいかに人々特に若者の心を打っただろうか、と思いを寄せます。

彼らにとってマイケルのコンサートは自由と平等と平和を謳い表現したそのものだったに違いありません。

怖ろしい独裁政権後のその衝撃がどれほどだったのか。

マイケルはそうした彼らの表情を留めておきたかったのです。自分を救世主として観た彼らの眼差しと感激は演出できるものではなかったのです。

だからこそこのDVDはマイケルの姿以上に観客が映されているのです。

 

そしてライブの最後の歌は「マン・イン・ザ・ミラー」

世界をより良くしたいなら自分自身から変えていくことだ

 

巨大な宗教儀式の最後にふさわしい歌です。

 

しかしこの歌をマイケルはどんな気持ちで歌っているのでしょうか。

 

安冨氏の『マイケル・ジャクソンの思想』には彼の世界平和への思想が記されていました。

同時に彼が子供時代に虐待を受け続けていて同じような子供たちを守りたいというマイケルの思いも。

 

そのマイケルが反面子どもたちをとっかえひっかえ性的虐待していた事実をどう受け止めればいいのでしょうか。

彼らの苦しみは世界中の平和のための生贄としなければならないのでしょうか。

 

以前マイケルが我が子をーまだ赤ん坊だった我が子を高いビルの窓から差し出したことがありました。

あの出来事がなんだったのか、私にはわかりません。しっかり抱きかかえていたから大丈夫、という説明で納得できる事件ではありませんでした。

 

偉業を成し得た天才はその引き換えとして精神を破壊されてしまうのでしょうか。

ライブ・イン・ブカレストは本当に感動的なDVDです。マイケルの凄さは記録されました。

でも最後に自分が歌う歌の意味を彼が理解できていたのか、思想と行動は別のものになってしまうものなのでしょうか。