ガエル記

散策

「バカ」の研究 ジャン=フランソワ・マルミオン

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表紙に書かれている Connerie というのがフランス語でバカという意味らしい。

 

インターネットが普及してから私たち以前よりもっと多くの「他人の意見」を知るようになりました。

私のように田舎町に住み他人とのかかわりが極端に少ない人間でもネットを覗き込むが最後怒涛の「他人の意見」を知ることになります。

またテレビで流れてくる情報や言葉にも常にさらされてしまいます。

こうした中で私たちはその意見に感心することも多くあるのですが時折或いは頻繁に「こいつバカか?」

と思わされてしまうわけです。

 

しかし「人をバカというヤツがバカだ」という言説もあります。ここで反射的に「おまえはバカだ」と書き込んでしまったのなら確かにこの言説が成り立ってしまうわけですが本当にそうなのかどうか考えることは自分の糧にもなるかもしれません。

 

とはいえ「私の判断は間違っていないんだろうか」という迷いも起きてしまう凡人にはここはひとつ「頭の良い人」にお墨付きをもらっておきたい、という理由でこの本があるのかもしれません。

 

フランソワ・ジョスト「SNSにおけるバカ」を読むとわが日本国の「SNSにおけるバカ」と同様のバカがお洒落な国として高評価のフランスにも存在するのだとしてほっとできることでしょう。

読んでいるとつまらないひとつの事件によくもここまで沸騰できるものだと笑えますし、本題からそれた「外見への悪口」が過熱してしまうのもどこも同じなのだと怖ろしくもなります。

「手作り料理」に缶詰のサクランボを使うというのはまっとうな事かどうか、がこの炎上議論の話題なのですがもっと真剣に議論すべき案件についてはここまで白熱することはないのだろうな、とため息も出ます。

 

セバスチャン・ディエゲス「バカとポスト真実」は内容はおおいに同意なのですが表現が「ウンコな議論=ブルシット」となっているのがなんとも困ります。

とはいえSNSでは「クソ〇〇」という表現が(女性でも)あたりまえになっていますね。私はどうしてもこの言葉を使うのがダメで今初めて書いた気がしますw

しかし実際、SNSでもリアルでも発される議論のあまりの馬鹿々々しさに「ウンコな議論」としか表現できない場合があるわけですね。

例えば酷い差別発言に抗議する人がいても返ってくる言葉はさらにそれを貶めはぐらかし嘲笑う言葉であったりします。

互いに「おまえが間違ってる」という言葉を回し続けているだけで互いに互いを論破し叩きのめそうとしているけれどどちらものめされまいと歯を食いしばっている状況はなんとも「ウンコな議論」としか言いようがありません。

 

ジャン=クロード・カリエール「バカは自分を賢いと思い込む」の中でケルン大司教が言った「イエス・キリストは神の子であっただけでなく、母親にとってかけがえのない家族でありました」という言葉を史上最大の愚かな発言としています。

この言葉がよくわからなくて考えてみようと思っています。