ガエル記

散策

『光州5・18』キム・ジフン

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実際に起きた悲劇のクーデターを描いた作品と比較してしまうのは申し訳ないのですがこの映画に見合う日本映画は『シン・ゴジラ』ではないかと思いました。

 

というのは映画自体の品質は良くないのでそれぞれにとっての外国での評価は低いけれど本国では国民的作品になってしまう映画だから、なのです。

 

シン・ゴジラ』はこれ以上ないほど日本的な内容だと私は思っています。それゆえに日本でのみ大受けしたのですがクオリティが高いとはとても言えないでしょう。だけどその品質の低さ、馬鹿々々しさも含めて極めて日本的なのであり庵野監督は無論そのつもりで作られていると思っています。大きな敵、戦うべき対象が現れた時に立ち上がる市民がまったく登場せずすべて国任せで愚かしい政府と自衛隊だけが奮闘する、という形を応援する日本人観客に私は同調できませんでしたがあれほど称賛されヒットしたという現象に恐れを感じました。

事実を映画化することよりも怪獣というファンタジーの中に逃げ込んでしまうのも日本人らしい特性に思えます。

 

一方『光州5・18』に描かれたクーデターは事実です。それを基にした映画は一種のファンタジーになってしまうのではあるでしょうが同じ国民による軍隊が善良で平和に暮らしていた市民を虐殺し抵抗したところを「暴徒」と呼ぶことに怒り自分たちの生活を自ら守ろうとする姿勢はなにもかも『シン・ゴジラ』と真逆のように思えます。

もちろん日本の作品にこういうものがまったくないというわけではありませんが、国内で非常にヒットした映画がこのように対極にあるのが興味深く思えたのです。

 

それにしても本作『光州5・18』の品質は正直かなり低いと感じます。冒頭数分で観るのをやめようかとすらしたのですが『タクシー運転手』と比較したい一心でようやく観終わりました。

 

昨日観た『タクシー運転手』と同じ光州でのクーデターを描いた作品ですが、映画作品としてのクオリティは本作とは比較するのが難しいほどレベルが違います。

というよりも2007年製作の『光州5・18』そして2017年の『タクシー運転手』の10年の間に韓国映画の質がとんでもなく進化してしまったというべきではないでしょうか。

もちろん本作同時期にも一年前にイ・ジュニク『王の男』がありもっと前にパク・チャヌクオールドボーイ』があったりするのではありますがそれらは特別抜きんでいたのが10年ほどの間に高品質が当たり前になってしまうほど成長していった、ということなのでしょう。

私はそれこそこのこの2000年台初期に韓国映画をよく観ていてしばらく離れていたのですがその数年の間に恐ろしいほど良いものばかりになっていました。

私が離れてしまったのはあまりに残酷な場面が多いのとやや低迷したものを感じたからだったのですが現在の韓国映画はそういった欠点などなにもないように感じます。

 

現在の韓国映画しか観ていない人がこれを観たらあまりの泥臭い演出に逆に驚いてしまうかもしれません。

 

それでも本作に出演している俳優を観て楽しむことができます。

一番のびっくりは『王の男』でで美貌の芸人コンギルを演じていたイ・ジュンギが出ていたことです。

本作はその後に作られたもので彼は主人公の弟役でした。すごくかわいい男の子だなあと思っていたら後でイ・ジュンギだと知って驚きました。素顔だと幼くてかわいいのですね。背だけはすごく高いのですが。

 

その主役は『殺人の追憶』でイケメン都会派刑事でをやったキム・サンギョン

そして市民を率いるリーダーをアン・ソンギが渋く決めています。

 

他愛ない兄弟愛や家族愛、そしてラブストーリーが盛り込まれますがこの映画の主題が

クーデターではなく市民のつながりなのですから当然なのですが演出があまりにも粗雑なのですね。

それをうまく演出できたのが『タクシー運転手』ということになります。

つまり『タクシー運転手』と『光州5・18』で謡われる主題は同じものなのです。

素朴でおおらかな人々の強いつながりと愛情思いやりが両方の作品の共通点です。ちょっとした驚きの共通点は本作の主人公もタクシーの運転士だということなのですが、これは奇妙な偶然なのでしょうか。

そしてこのクーデターとそこで戦った市民を忘れないで伝えて欲しいという叫びもまた同じものでありました。

 

邦題は『光州5・18』ですが韓国題は『화려한휴가〈華麗なる休暇〉』こちらも不思議なタイトルではありますが主題は善良な市民の愛情なのだということなのです。