ガエル記

散策

『県警対組織暴力』深作欣二

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一月万冊の平田さんからお勧めされて(話題になってたということですが)初めて観ました。

これまでいろいろな映画観てきましたがどういうものか洋の東西を問わずヤクザ映画はどうしても好きになれなかったのです。

なので名作と言われる深作欣二の一連の映画も本作も観ていなかったし一生観ないまま終わっていたかもしれなかったわけで良いきっかけをもらえました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

本当に観ることになって良かったと思いました。

後年の映画監督である三池崇作品はかなり観たのですがやはりマジモンは際立っています。

 

戦後ドサクサの中で生きぬいた、という言葉をよく目にしました。事実そうでなければいけなかったのでしょう。

戦後の中でも原爆を受けた最も過酷だったはずの広島で暴力団と警察の関係がずぶずぶになってしまう、というのもやはりそういうことなのか、と考えてしまいます。しかしそれならば長崎はどうして違うのか、これも考えなければなりません。

 

話は変わりますが私は昔から同性愛作品が好きでよく読んだり観たりしてきました。

その中でよくモチーフとして登場するのが警官対ヤクザです。

私は言った通りヤクザネタが嫌いなのでこのモチーフが響かないのですがそんなのはおかまいなしにとても多いのです。

なぜなのでしょうか。

しかし本作を観ればその強い関係性は一目瞭然です。

菅原文太演じる警察・久能と松方弘樹演じるヤクザ・広谷はBLでしかあり得ない奇妙な愛情関係で結ばれています。

本作が同性愛を知らずに作られてはいないことはムショ帰りの老ヤクザである親分が男色関係があった男を連れて帰ってきており子分がそれについて愚痴を言う場面で知れます。

腐女子ならば男前の文太さんと松方兄いの関係にノボせるべきではあるのですが私にはどうしても警察とヤクザの裏関係にぞっこん惚れられない枷があるようなのです。

あの名作『兵隊やくざ』の上等兵どのと弟分はなんのためらいもなく大好きなのと比較してどういう理由付けなのでしょうか。

 

が、そうした私自身の嫌悪のリミットを越えて本作は来るものがありました。

戦後の混乱とヤクザと警察は深く結びついているのだということにも気づかせてもらいました。

そして作中ですでに若い刑事・海田(梅宮辰夫)が現れそうした古い関係性が破壊されていきます。

なんでしょうか。

戦争という重い病気を治癒するための劇薬がやがて穏やかな効用の薬剤に変わっていくかのような。

そして現実今はまた違った形の癒着が発生し蔓延り体を蝕んでいるように思えます。

この治癒はだれがどうやってどのようになされていくのか。

 

時にコロナウィルスのいうものが社会への劇薬となっているようにさえ思えます。

 

 

時は昭和38年。ちょうど私が生まれた年のお話です。

映画の中で31歳の刑事が「戦後あんたも闇米を食って生きてきたんだ。法を破った償いをしてから言え」と言われてしまう時代です。