たぶん初鑑賞だと思うのですがもしかしたら過去ブログ記事に書いてたら観てるのでしょうw
以下ネタバレしますのでご注意を。
見知らぬ男女の夢がつながっていてその男の夢のせいで女が苦しむ、という不思議な物語です。
この映画を観ていて思い出したのがまた手塚治虫作品でした。なぜ?
それとも単純にキム・ギドクが手塚読者だったのでしょうか?
そのせいもあってか私にはこの映画の意味が分かる気がしました。もちろんほんの気のせいかもですが。
思い出した手塚治虫作品は本当に短い短編のひとつです。
(これもネタバレになってしまいますが)
「ザ・クレーター」一巻第1話『二つのドラマ』です。
ナンシーという少女の前でふたりの若い(イケメン)男性が殺し合いをするのです。
ふたりはアメリカ人と日本人でありながらひとりの人間であり別々の夢の中でつながっているのですが「自分こそが本物だ」と言って互いを殺そうとします。
ナンシーはふたりの間にはいって「やめて」と叫んで止めようとするのですがふたりからナイフで刺され死んでしまいます。
実はすべてはナンシーの空想物語だったのでした。
ナンシーはかわいそうな身の上で(と説明されています)空想で遊ぶのが好きだったのですが好きな小説の主人公をボーイフレンドに見立てて空想しているうちに「やめて」と叫んで高い窓から飛び降りてしまった、のでした。
これをキム・ギドク『悲夢』と同じ筋立てとするとこの映画を読み解けます。
最初に男・ジン(オダギリジョー)が登場するのでどうしてもこちらが主人公と思ってしまうのですがこの物語の主人公は女性のほうではないでしょうか。
しかもずっと物語に登場していく美しい女性ではなくもうひとりの(あまりきれいではない、いやきれいなんですが役柄としては)女性のほうです。
そうでないとなぜ彼女が刑務所に入っているのかがわからなくなります。
いや彼女こそが恋人を殺して逮捕され刑務所にはいっているのであり、美しい女性は夢なのです。
彼女は恋人を殺して刑務所に入るのですがそこで夢を見ます。この映画はその夢です。夢というより空想をしたというべきなのかもしれません。
つまり彼女は美しい女性となりジンという架空の恋人を作り上げてしまうのです。
ここがおかしいのですがジンは日本語を話しています。日本語のまま会話が成り立つという不思議設定を訝しむ声も多々あるようですが、私には納得でした。
というのは手塚治虫のマンガも舞台はアメリカですがなぜかヒロインのボーイフレンド・ジムが日本人(東洋人とは言っていますが)に憧れて彼は夢の中で裕福で頭の良い日本人になる、という設定なのです。
なので本作でヒロインが作り上げる架空の青年が日本人だというのも奇妙に納得できたのでした。
すべてはヒロインの空想だとすればこの映画はまったく複雑ではない、と言った監督の言葉通りなのです。
ヒロインは恋人を殺し刑務所(精神異常により病室にいるのでしょうか)そこで恋人を殺したのは私ではなく夢の中の恋人であるジンなのだという夢物語を作り上げたのです。そして自分自身もジンが恋する美しい女性となるのです。
夢の中の架空の恋人同士の思いは彼女が思う真実の恋愛でした。
その恋人の職業がハンコ作家でハンコというのは現実の裏返しを彫るのです。
女性の職業も彼女の容姿が装飾であるという意味です。
夢の恋人は女の為に苦しみ抜きます。
現実で彼女が苦しみ抜いた代償のように男は愛のために苦しむのです。
ヒロインは自分の身代わりである美しい化身を自殺させ(だから手伝う)蝶々と身を変えて恋人の男の元へ飛ぶのです。
ヒロインの夢のために。
夢の物語ということもあって美しい映画でした。
こんなにも美しい映画を作る映画作家が亡くなったことは本当に悲しいです。
もともと『キリング・ストーキング』と重ねて考察する企画でしたがさすがに本作はそれほど共通する点は見つかりませんでした。
しいて言えば暗証番号で開くドアでしょうか。
(いやそんなのよくあるといわれればそれまで)
それと『キリング・ストーキング』のラスト近くでウジンが行動を起こすのだけどどうしてもすんなりいかず奇妙なほど間違いを繰り返してしまう、という展開はまるで夢の中のようだと思います。(むりやり)