『今昔物語』十二世紀頃成ったといわれる膨大な説話集である。三十一巻(うち、八・十八・二十一の三巻を欠く)から成り、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三部に分かれている。仏教説話や世俗人情をテーマにした、一大短編集である。
と冒頭に書かれています。
芥川龍之介は第三部の本朝篇から「芋粥」や「六の宮の姫君」を書いたのです(と記されています)が田辺聖子氏もそれに倣うように特に惹かれた物語を選び現代文に書き改めてくれました。
田辺聖子氏が選出した物語はどれも興味深く面白い短編集となっています。
その中でも心に残ってたびたび思い出してしまったのが「捨てられた妻」でした。
子供もある仲の良い夫婦がいたのですが、夫が若い女性に心惹かれてしまい妻は嫉妬で苦しみます。
転勤の際に夫は妻と共に愛人も連れていきたいと願うのですが、それを聞かされた妻は離縁を決意します。
夫は若い愛人だけを連れて転勤し妻は恨みに任せて別の男性と結婚します。
が転勤後すぐ若い愛人は死んでしまい元妻はそれを知って陰湿に笑います。がその後元夫が出家したと聞いて「それほどにその女を愛していたのか」とさらに苦しむのです。
さらにその後元夫は立派な僧侶になって尊敬される、という話です。
よくある説話であるなら捨てた元夫は悲惨な目にあいそうですが(その他の話ではそういう例も書かれています)この男性は修行の末中国の皇帝にも認められる僧侶になるというちょっと一味違う物語です。
そんな話が心に残っているのはその元夫が出家するきっかけになるのが「生きたまま雉を料理させその惨さに涙して僧侶になる」というエピソードがあるからなのです。
読んでいてもあまりの惨たらしさにぞっとして忘れられないでいるのですがその男もその料理法に嫌悪を感じながらあえてさせるのです。
文章とはいえ雉が憐れで可哀そうでした。
そんなことをさせた男が立派な僧侶になるとは。
それだけの決意が要ったのだ、というのもなにか腑に落ちません。
反感を持ってしまう話なのですがそれだけに気になってしまうのです。