昨日に引き続き萩尾望都です。今回は『バルバラ異界』これも複雑な物語で様々な角度から思い出し論じたくなります。
『バルバラ異界』ほど複雑な作品もそうそうないのではないでしょうか。物語は多層に構築され扱われるエピソードアイテム発想も多岐にわたります。
その中の一つが「記憶」です。本作の内容にとって重要なポイントでありながらほんの一部でしかないという贅沢さです。
主人公渡会時夫は2歳の時に別れた息子の顔を思い出そうとしてその曖昧さに焦れます。
自分の息子の顔と別の男の子のイメージがすり替わってしまったような焦りを感じるのです。
記憶というのは実に曖昧です。
事実を忘れてしまうのは当然ですし、怖ろしいのは逆に体験していないのに体験した記憶としてしまう例さえあることです。
嘘の思い出をずっと聞かされ実際あったことだと記憶を作ってしまう、のもあるのです。
よく「〇〇さんの声で再現されました」というのがあります。
ある声優さんが言いそうなセリフを自分の頭の中でその人の声で作り上げてしまうのです。
その人が発声してもいないのに脳内ではその作業ができてしまう。
応用すれば脳内で実際に起きてはいない事柄を記憶として創作できてしまえるのです。
いつも楽しみにしているデイブ・フロムチャンネルのアリさんが先日「マンデラ・エフェクト」を取り上げていました。
これは記憶すり替えをひとりだけではなく同時多発してしまう現象をいうのだそうです。
言葉の意味は実際には2013年に逝去されたネルソン・マンデラ氏が1980年代に獄死していたという記憶を持つ人が多数現れたことから命名されたそうです。
実例のひとつに『羊たちの沈黙』映画の中でレクター博士が「ハロークラリス」と言う場面がある、のだそうですがこれなんかも映画を何回も観ているにかかわらず私自身言われてみればあったようななかったようなと曖昧でしかありません。
となれば誰かが適当に「こういう場面があったよね」と言ったり書いたりしていると嘘の記憶が脳内に保存されてしまう可能性はおおいにあるわけです。
マンデラ氏の件もいつかどこかで誰かのことばを聞いた読んだ記憶が「事実の記憶」にすり替わってしまったのではないでしょうか。
有名なマンデラ氏や映画となれば世界中の人々が同じ操作をしてしまう恐れがあるのです。
「かもね」という体験を「事実あった」記憶にしてしまうのです。
さらには噂話がいつの間にか「事実」として伝聞され恐ろしい行動になってしまったという事件も幾つもあります。
「あいつは~かもしれない」が
「あいつは~そうにちがいない」になり
「あいつは~だ!」となって暴動果ては人命を奪う結果すら生み出します。
脳は勝手な計算をしてしまうのです。
その能力は素晴らしいものでもあると同時に恐ろしいものにもなります。