もうこの話は一段落、とおもっていたのですがツイッターで「村田順子さんのブログ」を知りましてその記事をリンクして少しまた書いてみます。
竹宮惠子氏側のかたの目から見た感想である、ということもあり私はなるほどなあと思いました。そう、竹宮惠子氏側の目からはやはりこのようにこの事件を見て感じてしまう、のでしょう。
関係ない人の目からも同じように「確かに酷いことを言ったかもしれないが謝ったのだし許してやれば」と思う人もいるでしょうし「もう元通りにはならないのだしきっぱり離れてしまったほうがいい」という方もおられるでしょう。
ひとつの事柄がこのように違ってくるのです。
萩尾望都さんは長い間、というより人生を通して両親との確執をついに解決できないままでいた人です。
これも人によっては「親なんかごまかして適当にあしらっていればいいじゃないか」ということもできます。実際多くの人がそうやっているはずですが萩尾さんにはそれができなかった。お話を読む限りご両親が生きている間にしっくりくる和解はなかったのです。
ずっとマンガを描くことを反対されその価値を認められず侮蔑の言葉すらかけられていたのにある時急に(というかNHKで水木しげるドラマが放送されてから)その価値を親に認められ「今まで反対したことなんかないよ」と言われてしまう。それでも実の親なので完全に縁を切ることもできなかった萩尾望都さんの苦しみは人によっては共感し人によっては「それ普通のことじゃない?」ということなのです。
竹宮惠子さんは本当に理路整然のかたなのでしょう。
自分の非をきちっと片付け仲直りしましょうと手を差し伸べた。
これも見る人によっては勇気ある正義の判断と行動なのでしょうがそれをすべての人に押し付けることはできないのです。
竹宮氏は唯一のライフワークであった『風と木の詩』を描き上げて「これでもうマンガ家としての仕事は終わりました」と別の道に進んでいったように見受けられます。正直それ以外の作品は後に残るほどのものはないと私は思っています。
萩尾望都氏は有名な『ポーの一族』『トーマの心臓』後の作品にさらに深く語るべき作品があります。私は萩尾SFが特別に好きでここまでのSF世界を築けた人は日本にはそれほどいない、と思うのです。
しかしそれは萩尾望都氏が深く深くものごとを考えるからこそなのでもあります。
「ま、いいか」ですまされない思考は諸刃の剣でもあるのでしょう。
萩尾氏が物語を考える時深海の底の底まで落ちていくようにして考える、そこから上がってくるのには物凄く時間がかかるのです、と書かれているのを読んで怖くなったものです。
他にここまでできている人はいるのでしょうか。だからこそ萩尾氏の作品は一つの世界になっている、とも言えます。
私は最も多感な中学生時代に竹宮惠子・萩尾望都に夢中になった世代です。
先に知ったのは萩尾望都の『ポーの一族』でした。なんとメリーベルの消滅の場面から読んでしまったのですが、そのマンガのあまりの衝撃に何度も読み返し呆然となりました。
が、実はその後竹宮惠子を知って「竹宮先生のほうが上手くて魅力がある」と思っていました。
今思うと「お前の目は節穴か」というべき失態ですが少女期というのはそういうものなのでしょう。
しかもその後吉田秋生の『カリフォルニア物語』を知って「萩尾・竹宮はもう古い。これからは吉田秋生だ」と乗り換えました。お前の目は節穴か。
吉田秋生氏は今でも活躍ですが私は『バナナフィッシュ』で吉田氏には決別しました。彼女の感覚に嫌悪を感じ始めたのです。他の人と逆かもしれませんが。
萩尾望都氏の『残酷な神が支配する』がどうしても好きになれず萩尾氏に戻ることもないまましばらく、というか結構長い間別のマンガを読んだりしつつマンガ自体をあまり読まなくなりました。
萩尾望都を再び読みだしたのはいつだったのか、今でははっきり覚えていません。
とにかく『バルバラ異界』を読んで衝撃を受けました。今ではこれが萩尾望都の最高作品と思っています。ま、最高作品が多すぎるのですが。
『マージナル』『銀の三角』『スターレッド』『アウェイ』もちろん『11人いる!』『ブラッドベリもの』『百億の昼千億の夜』などなどSFが大好きです。
嫌だった『残酷な神が支配する』も読み返してやはり凄い、と確認しました。好き、というのとは違いますがこれで萩尾望都氏が一種の自己浄化をされたのではないかとも思われます。
短編では『エッグ・スタンド』『半神』『アロイス』『アメリカンパイ』などなどなど。
もう挙げていったらきりがありません。
それでも一時期、というか長い間萩尾望都を読まずにいました。良いと思っていない時期もありました。今となっては信じられない判断です。
もうこれからはそんなことはないと思いますが、人の好悪というのはそんなにも曖昧です。
萩尾望都さんの気持ちがどうなるのかはわかりません。
私は何度も『十年目の毬絵』に無意識が描かれてしまったのではないかと書きました。今でもそうは思いますがその作品自体が40年以上前なのです。
その後扉は閉ざされていたのに竹宮氏がその扉をたたき、萩尾氏もたたき返さないわけにいかなくなりました。
ひとつの変化があったのには違いありません。
しかしそれからどうなるのか。
力なき民人が女神の判断をそっと伺いみるようなそんな雰囲気を感じています。