実は赤塚マンガをまったく読まずに生きてきました。
もちろんとことんアニメ好きだったのでテレビアニメの『ひみつのアッコちゃん』をはじめ『もーれつア太郎』『天才バカボン』は観ています。さすがに初代『おそ松くん』は記憶にありません。
その私はほぼ若い人と同じ感覚で(いや少しは違うだろうけれども)テレビアニメ『おそ松さん』を楽しんだのでした。
その時思ったのは「50年以上も前に作られたキャラクターがなぜこんなに受けているのだろう。やはり赤塚不二夫ってすごい才能だったんだな」でした。
それでもリメイクアニメ『おそ松さん』を楽しむだけで終わっていたのですが先日ブログ記事にも書いた
で、私はとつぜん赤塚不二夫を今まで読んでこなかったことを後悔しはじめたのでした。
上のブログ記事にも書いていますが1983年(昭和58年)赤塚不二夫氏が同性愛を肯定的に取り上げた、というのは当時画期的なことだったはずなのです。
今頃になって物凄い後悔をしている私はとりあえず赤塚不二夫ウィキペディアでも参考にされている本『これでいいのだ』赤塚不二夫自叙伝から読むことにしたのでした。
以下ネタバレしますのでご注意を。
変な言い方になってしまいますが、私は満州で暮らした日本人記録にとても興味があります。鎖国もして異国で暮らすことはおろか交流することすら禁じていた日本人が初めてと言ってもいい日本以外の国で生活した記録になるわけです。
が、悲しいのはその初めての記録が平和で友好な生活ではなく侵略と暴力を前提とした生活でありそれゆえに権威がなくなった時点で逆に暴力を受けるのは必至となり逃げかえらなければならなかったという異国体験ということです。
以前ちばてつやさんの満州からの引き上げマンガも読んで感動したものです。(すみません。ちばてつやさんはずっと好きなのです)
赤塚さんをずっと無視していた私は彼が満州の生まれ育ちということも知らなかったのでした。
不二夫さんのお父さんは元・憲兵で辞意を出したもののその後も抗日ゲリラと対峙する特務警察官だったという筋金入りの侵略側人間ですがこのお父さんが非常に義理堅い人物で間違ったことが大嫌いというなんか物凄い立ち位置なのです。
この恐ろしいほど凄い父親がバカボンのパパのモデルというのですから、ちょっとまだよく理解できていません。
バカボンのパパが抗日ゲリラ相手の警官???
八路軍の捕虜を拷問した後親切にして逃がす、というくだりなどは子供だった不二夫さんの観察なのでどうにか耐えられる描写でありますがかなり恐ろしく感じました。
まさかバカボンのパパの元ネタを知ろうとして八路軍が出てくるとは思ってもいなかったです。
勿論日常自分たちでも不足のはずの食料を持ってくる中国人に何も受け取らず「自分たちで食べなさい」と言って帰し、家族にも彼らから取ってはいけないと厳しく言い渡すお父さんの真面目さ・やさしさには共感します。
そして日本が敗戦した後彼らをいたぶっていた隣人の日本人は殺され赤塚家は見逃されただけでなく戦後一年近く生活を支えてくれたのです。
もともとその存在がどうなのか、とも思ってしまうのですがこのあたりの細かい描写の物語を知りたい気持ちもあります。
中国人側からの描写はどうなのか、とも思いますが日本人に親切にしていた、という記録はやばいようにも思えます。
まだまだ続きます。