ガエル記

散策

『これでいいのだ』赤塚不二夫自叙伝 その3

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書きたいことが多く遅々として進みませんが少しずつ。

さて満州から引き揚げてきた赤塚少年は今度は日本で「引き揚げ者」として苦労します。

こういうことはどこの国でもあるのか、やはり鎖国時期が長かった日本独特の性格なのか、外国で生活した人に対して奇妙な差別意識があるのはなぜなのでしょうか。

これも一種の嫉妬心なのですかね。

(日本人は嫉妬心があるためにダメになっていく、という最近話題の言葉は本当に思えます)

 

さてネタバレしますのでご注意を。

 

 

赤塚不二夫さんの自叙伝を読んでいると戦時中の満州から戦後の日本での波乱に満ちた厳しい生活に圧倒されますが反面家族や親戚そして友人たちとの交わりが強く感じられます。

もちろん戦争から生まれた過酷な状況を体験したい人はいないでしょうが人間関係の強さ深さに憧れる人は多いのではないでしょうか。

現在のマンガの設定は家族関係はそれほどではなくても仲良しの群像劇に人気が集まるように思えます。

実際にはそんな関係性は希薄であっても物語の中に夢を描いてしまうのです。

何度も書いていますが『おそ松さん』のただならぬヒットは六つ子の兄弟愛によるものです。一見ぱっとせずしかも無職でだらだらと過ごす六つ子たちのそれでも離れられない関係に現代の人間は奇妙な理想を見てしまいました。

私は同じように『もーれつア太郎』もイケるのではないかと思っています。

子供を思って離れられないお父さんとア太郎と彼を師匠と慕うデコッ八の関係はなかなか良いなと思うのですがどうでしょうか。

若干鬼太郎父子と似てしまう弱みはありますが。

ときわ荘での石ノ森氏との関係。居候をさせたタモリ氏との関係と不二夫さんの愛情は深いなあと勝手に思い込んでいます。この辺の思い込みは本からではなくて今まで見聞きしたことなどからのものですが。

 

ところで問題は私がこれまでまったく赤塚作品を読んでこなかったことです。

前にも書いたようにアニメは見てきましたが。

今は便利なのでネットでいくつかのマンガを眺めるとやはりこれは読んでみなくてはならない、と今頃になって決意を固めているところです。

今でも人気の赤塚不二夫作品なのでこの野望は果たせるように思えます。

 

しかし今まで読もうと思っていなかったのに「LGBTを肯定的に書いていた」という一文で気持ちが変わってしまうのだと思い知りました。この逆もまたあるわけです。

なんにせよ「これは読まねば」という強い願望が湧くのは嬉しいことなのです。特にこの年齢になってくると。