ガエル記

散策

『メッセージ』ドゥニ・ヴィルヌーヴ その2

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映画『メッセージ』で描かれるのは異星人との会話だけではなく主人公女性とその娘との対話でもあります。

 

以下ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

主人公と異星人の対話と娘との対話が挟み込まれる構造となるのが素晴らしい。

主人公女性と相棒となる男性は異星人との対話に苦悩します。異星人から示されたメッセージの解読が困難なのです。

 

場面が変わり主人公の娘が宿題なのか母に聞きます。

「両者が納得する、という意味の言葉ってなんだっけ」

「妥協?」「違う」

「ウィン・ウィン?」「もっと理論的なやつ」

言語学者である母親はこの時ぴったりの言葉を思いつかず

「パパに聞いて」

と答えるのです。

 

再び場面が変わり異星人との対話に手間取っています。

異星人は地球12か所に12分割したメッセージを送っていたのです。

つまり12か所のどこかの国が別の国を出し抜いて異星人との対話を完成することはできないのでした。

その時「パパ」である(となる)男が口にします。

「ノンゼロサム

 

そう。

この映画のメッセージはまさしくこの

「ノンゼロサム

なのです。

この和訳は「非ゼロ和」となるのですがどうにも奇妙な日本語です。果たして日本語といえるのでしょうか。

むしろ商売言葉の「三方よろし」のほうがぴったりくる気もするのですが「ノンゼロサム」の場合は「三方」にとどまらないのですから「全方よろし」とでもいうのでしょうか。この場合も「全方」という日本語はないようです。全方位と書かねばなりません。

 

そしてこの「ノンゼロサム」は映画においてもあまりない思考といえます。

誰も損をしない、誰もが得をする、誰もが勝利者である、という形よりも敵と味方を分けどちらかが勝利する、という形のほうがよりスリリングであり満足が得やすいからでしょう。

その価値観を高めるために敵はいかにも悪のキャラクターでなければならず主人公は観客が共感できる正義のキャラクターに描かれます。

そして憎々しい悪である敵を倒し、主人公が望む幸福を手に入れるわけです。

これが「ゼロサム」=どちらかが勝ち、どちらかが負ける(ことでゼロになる)というわけなのですね。

お宝は一つしかありません。

ある時はこれが美しく愛らしい女性であり、そのハートを射止めるのは誰か、いけすかないライバルの男か、観客の応援を受ける主人公か、です。

まさか美女がふたりの男性と結婚する、というラストになってしまうことはないでしょう。(ごく特別な場合を除けば)

戦争、スポーツ、芸能だけでなくすべてのジャンルにおいて「誰が優勝し、誰が敗者になるか」という勝負を描くのがゼロサム作品でした。

ほぼほぼすべての映画・マンガ・アニメ・小説はこの葛藤を描いていくものです。

 

例えば昨今多くの題材となった女性がハラスメント・虐待・暴行を受けたことを問題提議する作品もこのゼロサム思考が根底にあります。

まずは男性が上位になりたいために女性の身体や心を犠牲としたゼロサムが発生しそれを問題として戦い女性が自分の身体と心を取り戻し勝利し男性が打ちのめされるという逆ゼロサムで決着します。

 

そう考えるならこの映画でも異星人との戦いはノンゼロサムで決着したものの地球人同士の結婚と子育てはノンゼロサムとして決着できずに終わっています。テーマに添うなら主人公たちもノンゼロサムを構築しなければならなかったのではないでしょうか。

 

とはいえ現在世界はゼロサム思考に満ちています。

「強いものが勝つ」などというのがそれでしょう。

世の中がその思考で満ちているために様々なゲームや作品もゼロサムの面白さを追ったものに価値観が見出されます。

もしかしたら、と思うのですがこれまで世界を創ってきた男性たちはこの「ゼロサム思考」が強く女性たちはむしろ「ノンゼロサム思考」が強いのかもしれません。

だからこそ本作の主人公は女性が選択されたのではないでしょうか。

 

さてこの映画はどのように評価されたのでしょう。

私が感じる限り日本ではそれほどの大人気ではなかったように思えます。

「誰も損をしない、誰もが勝利者である」という価値観はあまり面白くない、のかもしれません。

 

そうえいばチェスや将棋・囲碁などのゲームでも女性が少ないのを「女性は能力が劣る」とされているように思えていましたがそうした「勝ち負け」に価値観を見出すのが女性はあまり好きではないのかもしれません。

戦争も勝ち負けを競うスポーツも男性が生み出したもので「女性は向いていない」とされてきましたが当然なのかもしれない、と本作を観て納得したように思えます。

それらはすべてゼロサム思考から生まれているからです。

 

本作の異星人はそうしたゼロサム思考の地球人に

「そろそろノンゼロサム思考したほうがいいんじゃない?」

と伝えに来たのでしょう。

しかし映画内でも主人公たちは自分たちの人生をノンゼロサムできずにいます。

考えることはできても実行するのは難しいのです。

 

そしてゼロサム戦争はもうやめた方が良いし、金メダルにこだわるオリンピックももう終焉を迎えたようです。

ノンゼロサムゲームはこれから増えていくのでしょうか。

ゼロサムを競うのではなくノンゼロサムを目指すゲームはどのようになるのでしょう。少しでも誰かが得して(損して)いればそれは成立しないというゲームです。

 

女性問題論争でも「男性にとってもそれがいいのだ」という論調が増えてきていると思います。

ゼロサムにこだわることは辛いことではないでしょうか。

金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」ということばは今からほんとうに考えられるような気がします。